リンク:Y日記:復興のグランドデザイン・「科学者」への違和感

金曜日の日本学術会議緊急集会では、被災地復興のグランドデザインを描くために、日本学術会議の総力を結集すべきだという発言があった。必要な課題だとは思うが、違和感も感じた。その理由はふたつ。ひとつは、何よりも地元の方々の自発的意思や考えを大切にして、ボトムアップで復興のデザインを描く必要があると思うから。もうひとつは、グランドデザインは価値観がからむ課題であり、日本学術会議会員科学者の多くは、価値観の扱いに慣れていないと思うから。

同感。プランZぐらいまで用意するのが科学者や技術者の責任範囲。どのプランをとるかは選挙を通して民意を反映させている人たち(国会議員、自治体の長、自治体の議員)の責任であるべき。経済学者の飯田泰之さんは、本やWebで以下の主張をされている。

理想的には経済学者の仕事は「こういう社会にしたい」というオーダーを受け取り、そのオーダーが「可能かどうかを検証」し、さらには「効率的な目標達成手法を示す」ことです。
(「芹沢 一也, 荻上 チキ 編, 経済成長って何で必要なんだろう?」より。この本の私の感想はこちら

少なからぬ経済学者・経済評論家が「世の中はこうあるべきだ」という主張をしますが、そういう価値観の部分は、経済学の専門的な論理から出てくることはほとんどありません。経済学者の語る「あるべき日本経済の姿」は「専門家の意見」ではなく、「漱石研究者が語る芭蕉論」みたいなものと考えてください。
(「芹沢 一也, 荻上 チキ 編, 経済成長って何で必要なんだろう?」より。この本の私の感想はこちら

当然のことながら科学者や技術者も同じ。価値観を扱うために集められたのが選挙を通して民意を反映させている人たち(国会議員、自治体の長、自治体の議員)なので、学術会議は彼らが提示する価値観の下でベターな方策を提案するのが良いと思う。もちろん、価値観がおかしいと考えたら、その価値観を揺るがすような事実やデータを提供するべきだけど。

一方で、価値観(方針)を提示したあとの具体的な進め方は専門家に任せるようにしてほしい。責任分担が重要。