主語を「日本」「日本経済」などにせず「私」にする

まとめ

私たちの思考は言葉に引きづられます。ですから、適切な言葉で適切な質問をしてあげる必要があります。主語が「日本は」「日本経済は」は、ほとんどの人にとって適切な主語ではありません。なぜなら、日本や日本経済全体に影響を与えるには時間がかかるからです。ですから、基本は「私は」であるべきです。まずは、私にやりたいこと・できることから何かをすれば良いと思います。

その上で民主主義社会の構成員として当たり前のことをしましょう。

  • 投票権を行使する(できる人は被選挙権も行使する)
  • 自分の考えを発言する
  • 何をしたいか(What)、なぜそれをするべきか(Why)、どう実行するか(How)を良く考えて自分の行動を決める

また、この非常事態にがんばってくださっている方々に感謝と敬意を示しましょう

  • すべての勤労者(もちろん、子育て中の専業主婦/主夫にも)に敬意を。
  • 特に公共交通機関、医療機関、特別公務員(警察、消防、自衛隊海上保安庁など)のみなさんに敬意と感謝を
  • これから被災地に入って支援活動をするみなさまに敬意を

余裕がある人は「自分の誕生日近辺で被災地の方の援助につながる行動をする」と心に決めて実行されてはいかがでしょう?

本文

提案:関東在住の人の12日、13日の過ごし方に頂いたコメントへの私なりのお返事。

h1r0 2011/03/13 02:19

日本人のモラルの高さ、協調性を垣間見れ、胸が熱くなります。

こんなときに不謹慎ですが、日経平均等株価が下落、産業への打撃、中長期的に日本経済も危ぶまれます。こういうときにどうすれば、より早い復興が可能でしょうか。知識のある人の情報がほしいです。

私は経済の専門家ではありませんので、どうすれば良いことなのかわかりません。ですが、こういうときの考え方はよくわかっているつもりです。

大学の教員として、あるいは研究室の先任研究者として、自分ひとりでどうにもならないような事態が発生すると「この大学はどうするべきか」「この研究室はどうするべきか」と考え、途方にくれてしまいます。うまい方法があったら教えて欲しくなります。

で、だいたいどうするかといえば主語を変えるのです。「すぐにはどうにもならない。よろしい。では、私は何をしたいのか」。すると、何をしたら良いのかが自然に頭の中に浮かび、どうやってそれを実現すれば良いのかを探す気力ができます。

「私益が他益になり、他益が公益になる。そういうときに人は一番力を発揮できる」という主旨の言葉をユリウス・カエサルが言ったそうです(塩野七生著:ローマ人の物語にあったように記憶しています)。まずは、みんなが自分の出来ること、自分のやりたいことをやりましょう。

継続的な支援が必要とのこと

こういう大災害が起こると発生してからしばらくは援助が続くのだけれども、その援助も長くは続かないそうです。我々には自分の生活がありますし、災害は次々と発生するので、それは私もしょうがないなぁと思います。

でも、継続的な支援が必要であることも事実です。で、提案なのですが、自分の誕生日の近辺に被災地の方の援助につながる行動をするというのはいかがでしょう?誕生日ごとに偏りはあると思いますが、365日毎日誰かの誕生日です。結果として1年〜2年は継続的な支援ができるのではないかと思います。

支援としては以下のものなどいかがでしょう(素人考えなのでまとはずれかもしれませんが)。

私の方針

政府と日銀にはデフレを脱却してマイルドインフレに誘導してもらい民間企業がチャレンジしやすい環境を整えて欲しいです。ですから、そういう方針の政治家、政府、活動家を支持します。

大学教員の端くれとしては、考える力を持った学生を社会に送り出すのが目的です。当面は、担当する1年生授業と卒業研究・修士研究・博士研究の指導をがんばります。

そして、私自身が研究者として生き残れるようにがんばります。。それが当面の私の方針です。

以下、関連過去エントリー。