社会人は全員何かの専門家であり、関わりによって専門家としての信用を与えられる存在である

ここに書いてあることしか読んでいないけど何だこれ?

ただ、大阪大学の教授である菊池誠先生が「と学会」名義の本に寄稿をしたり、会員であることが知られていることで、と学会に社会的な信用を与えている事実と責任はあります。「盗用を容認する団体に信用を与え続ける国立大学教員」というレッテル貼りは可能です。

社会人は何らかの形で生計を立てているわけだから必ず何かの専門家。その専門領域に関わることならば、「専門家たる〜さんが**に関わっていることで、**に信用を与えている。それは??という行為を行う**という団体に信用を与え続けているとみなしてよいですよね。」と必ず言える。こんなこと言われたら、社会人は趣味的活動および社会的活動の一切を行えないか、行ったとしてもまったく第三者に公表することができなくなってしまう。私は、そんな圧力社会は嫌だ。

自分が関わった組織が未来の時点で何か道徳的あるいは法律的にまずいことをすることをどうやって予測するのか。そんなことできるはずない(できるならばその人は株で大金持ちになっているだろう)。そして、自分が関わったことのある組織が何かをしでかすために、自分の全プロフィールからそれを消去するのを当たり前の行動としている人はいない。いたとしてもそんな人は逆に信用できない。なぜならば、組織が何かしでかしたとしても、その人が関わったときにはその組織がまともだったならば、その人とその組織がしでかした行為はまったく関係ないため。

組織がしでかした行為の直接的原因となる関わりを行った人に対して「専門家たる〜さんが**に関わっていることで、**に信用を与えている。それは??という行為を行う**という団体に信用を与え続けているとみなしてよいですよね。」と言うのは構わないけど、「組織に属している/いた」という事実だけで、上記のことを言われるんじゃ世の中息苦しくてやっていけない。

「なに言っているの。それが世の中ってものでしょ」という意見もあろうが、そんなこと言う人には聞き返したい「あなたはそんな世の中が好きなの?」。現状はAであるということと、だから未来もAでなければならないという考えには同意できない。