修士ぐらいまで私もこう考えていた。
かと思えば、ツイッターで変な盛り上がりをしているのが、コミックサイエンス問題。
関連エントリ:コミックサイエンスなんかいらない
つぶやきがまとまっている。
【話題】Togetter - まとめ「「コミックサイエンス」撲滅委員会に用語は適切かと聞いてみた」 がアップされました@S&C
>帰省している間に話題沸騰の,「コミックサイエンス」撲滅委員会の用語についての
議論に関するまとめがアップされているのを見つけましたこちら。
「コミックサイエンス」撲滅委員会に用語は適切かと聞いてみた@トギャッター
内容への問題意識ではなく、ネーミングへのツッコミというか揚げ足取りになっているのが悲しい。
論文、研究費の申請書やブログを書くようになってから「名称はとても重要」という考えに変わった。
端的に言うと、情報があふれる現代社会において、自分が発する情報を他の人が受け取ってくれる保証はない。仮に受け取ってくれたとしても、その情報に費やす時間は数秒、長くて数十秒ぐらい。そんな短い時間で、「私の発する情報はあなたにとって有用ですよ」ということをアピールするためには、自分が伝えたい主張を凝縮した「名称」が重要になると考えている。だからこそ、メールの件名、論文のタイトル、申請書における研究テーマ、ブログのタイトルは内容を表すものでなければならないし、広告業界において、コピーライターという職業が成立している。
もちろん、プロのコピーライターではない私たちが、一発でぴったりな名称を思いつくことはできない。また、口先だけの議論より、行動してみるというのはとても重要なので、名称の決定が行動を制限するのは良くない。でも、多くの人を巻き込みつつ、活動をしていきたいならば「その団体に興味を持っていない人が団体名を見てどう思うのか?」「団体名は自分たちの活動方針や目標を端的に表しているだろうか?」と考えるのは当然の話だと思う。名称を気にしなくてよいのは、勝手に人が集まってくれる団体や製品だけ。あとは、脳みそ振り絞って良い名称を考えないといけない。
「『コミックサイエンス』撲滅委員会」の話は、団体名と活動の中心をなす「コミックサイエンス」という用語の使い方に関するやりとりを通して、「我々は他者の協力を必要としていない」ということをアピールしてしまったのが問題。ブログのコメント欄やTwitterのつぶやきには、「活動の意義には賛成だけど・・・」という意見も多くかかれていたのに。
名称の良し悪しと物自体(製品や組織)、それの開発者や組織者の良し悪しは別々のはなし。論文や申請書ルールで言うならば、「タイトルが悪いからまともに読んでもらえなかった」というのは著者の責任で読者の責任ではない。誰もが、私たちの行なったことに興味があるわけではないし、興味があったとしても、十分な時間を割り振れるとは限らない。相手に何かを伝えたかったら、聞いてもらえるよう、読んでもらえるように努力しないといけない。
参考: