日本語話者かき集め戦略:非ネイティブ日本語話者への寛容度をあげる

世界は60億人の人間がおり、数十年後は100億人になる見込み。なら、世界中から自分の国に馴染めず、かつ、日本文化と親和性の高い人材を招き寄せることができたら、日本人だけよりは多様性は高いけど、日本文化自体はそれなりに継承されるというようなうまい状況がつくれるんじゃなかろうか。実際、日本で育ったけど日本の環境はちょっと肌に会わないという人がそれなりの数いるわけだし。

インターネットの登場は情報の需給関係を大きく変え、知の供給の役割を担っていた産業に激震をもたらした。知の供給者にそれまでお金が回っていた仕組みが脅かされるようになったからだ。しかしこのたび米国の出版社がアマゾンと組んで「英語の本を世界へ」というサービスに乗り出したことからもわかるように、グローバル化の流れの中で、英語圏に限っては、消費者層が大きく広がるフロンティアが確かなものとして現れたのである。

逆に言えば「国内市場だけみれば仮に昔ほどおいしいビジネスモデルでなくとも、新技術を生かして世界に出れば…」と発想できるのは、英語圏の知の供給者だけなのだ。キンドル日本発売に際してアマゾンは「日本語による配信開始時期は未定」と説明したが、「世界へ」というフロンティアが存在しない英語圏以外の出版社が同じモデルに乗ることは困難なのである。

国内では少ない人しか望まないサービスでも、世界規模でみれば収支をトントンにできるくらいの売上になる可能性があるとの話。これを日本文化&日本語をサービスで考えれば、国内では頭打ちになるかもしれない言語だけど、世界規模でみれば、文化を維持できる程度の人材を集められるのでは?

ある言語を覚えるということは、ある文化(慣習や考え方)を学ぶということもかなり含まれるため、世界が英語圏に飲まれるとき、逆に反発を覚える人がでてくるのは確実。反発を覚えた人の受け皿として、何の言語が残るようになるかが結構な問題。第一候補は話者数(13億人くらい)と歴史の観点から中国語なのだけど、中国は文化大革命で一度歴史を捨ててしまったのでそこが不利な点。また、一党独裁なので民主主義国家出身者はちょっと二の足を踏んでしまうところも不利な点(まあ、各国のチャイナタウンに住めば良いという話ではある)。フランス語やスペイン語(ポルトガル語)は、旧宗主国なので2億〜4億人の話者がいるけれども、不利な点は英語圏の文化と近いこと。なんぼ、言っても言語的に親戚だし。アラビア語も話者数が多いけど、政治体制的に不利。でも、英語圏との文化の差はとても魅力的。日本は現在の話者数は1億強、話者数が少ないのがデメリットだけど、政治体制や宗教的には有利。英語圏との文化の差も有利。がんばれば、マイノリティのための言語として地位を保てるんじゃないかと思う。

じゃあ、どうやって日本文化と親和性の高い人を世界中から集めてくるかという話になるのだけど、一つは日本に来た人が日本に居残り安い環境を用意するというのがその一つ。

  1. 敬語のうち、「尊敬語」と「丁寧語」だけ残し、「謙譲語」は廃止。これって、日本人でも本当にわかりづらく、この誤用のために「ファミレスの店員の日本語がなっていない」といった、無用な文化摩擦を引き起こすし、百害あって一利なし。昔の複雑な身分制度があった時代に必要な言語体系だったのはわかるけれど、今は「相手を尊敬する、丁寧に言う」だけがあれば、相対的に自分を「謙譲」していることになるので、それでいいじゃないかと。
  2. ひらがなだけを残し、カタカナは廃止。カタカナは外国語由来の言葉に使うっていったって、どれがそうなのかいちいち覚えなければいけないし、またなんで区別する必要があるのか、意味不明。水村美苗さんの本だったか、「かつてカタカナは、漢文を読み下すのに使われていた文字で、男・権威のある人が使うカナであったのに対し、ひらがなは女子供の文字だった」という話を読んで納得した。そういえば、明治憲法はカタカナで書いてある。その「外国からはいってきたものの権威」が、戦後残滓として残ったのが、「外国語はカタカナ」ということじゃないかと思う。だったら、もういいじゃん、いまどきそういうのなくても。全部ひらがなで統一しちゃおうよ。本当に外国語であることを強調する必要があるなら、アルファベットでそのままスペルする。アラビア語とかでもアルファベット表記に統一しちゃう。そのほうが、「これってスペル何?」といちいち調べる必要がなくて楽。
  3. ひらがなによる長音表記はすべて「−」で統一。「おおかみ」と「おうさま」はどうして表記が違う??どうして「お」と発音するのに「う」なのか、どれとどれだけ例外の「お」表記なのか、どうしてそうなるのか、子供に聞かれても説明不能。どっちも「おーかみ」「おーさま」でいいじゃん。助詞の「は」とか「へ」とかも、音どおりに統一したほうが簡単。
  4. 一枚、一匹、一羽、一本とか、数え方の数が多すぎて覚えられない。「謙譲語」と同じ問題を引き起こす。これも、大幅にSKUを減らす。
  5. 「簡素化」というと真っ先に槍玉にあがる漢字については、日本人の「対中国語戦略」の一環としてむしろあまり減らさないほうがいいので、外国人の人には頑張って習ってもらおうかな・・・これについては少々まだ迷いあり。習うのは大変だが、いざとなれば中国語で書いてあるものが読めるというのは、いろんな意味で便利でもあり、日本語習得者の優位にもなるので・・・

カタカナ廃止は限定的に賛成。外来語のカタカナ表記はネイティブの日本語話者以外にとって逆にわけ分からないので明治のように頑張って和訳すべき。元の言語との発音とカタカナ表記が違いすぎて、元の言語での発音を知っている人はカタカナ外来語に混乱してしまう。カタカナのおかげで外来の概念を簡単に日本語に組み込めていたわけだけど、第二外国語として日本語を学ぶ人を考慮にいれるならば、できる限り使用を減らすべき。その他の敬語、長音、数序詞に関しては、第二外国語として日本語を覚えた人に寛容になることで対処すれば良いのではないかと思う。

気をつけるべきは、日本には日本におけるテレビの始まりのときより存在する片言日本語を話す外国出身芸能人を笑いものにする習慣があること。こえは、広く言えば東京弁を話さない人を異端として笑いものにする習慣だ。こちらの方を国語教育を中心とした学校教育で修正していくのが良いと思う。第二外国語としての日本語話者が存在すること、その人たちにとっては、ネイティブ日本語話者が当たり前だと思っている部分が難しく感じる場合があることを知ってもらえるようにした方が良いと思う。また、議論の仕方や説明の仕方を技術として学ぶのも良い方法だと思う(何を主張しているのか、何を説明しているのかを相手にわかってもらえるようにする技術が第二外国語として日本語を学んだ人とのコミュニケーションにも生かされると思う)。

あと、ビジネス文書や公文書の非ネイティブ日本語話者への寛容度をあげれば良いのではないかと思う。公文書をすべてルビ付きにすること。長音の取扱いの間違いや数序詞の間違い、敬語の間違いなどは見ないふりをするなど。

世界語になりつつある英語は非ネイティブスピーカーによってどんどんと簡素化されているので、強制して日本語の簡素化をはかるよりは、ネイティブ日本語話者側の非ネイティブ日本語話者に対する寛容度をあげることによって、第二外国語としての日本語話者が増えるようにしたら良いのではないかと思う。