グローバル化というとみんなが英語を話すというイメージだけど、日本語を外国語として学んだ海外の方が日本に来て暮らすようになるというのもグローバル化の一つであることを忘れてはいけないと思う。
外来語をカタカナで表現するのがなんとなく分かるのは日本語ネイティブ話者だけであるというのをぜひ認識してほしい。外国語として日本語を学んだ人に聞こえる外来語の元の発音は日本語ネイティブ話者とは違って聞こえている。このため、カタカナ語から外来語を類推できない。なので、以下の記事とは別の観点から、カタカナ語を公文書からできる限りなくして言った方が良いと思う。
「県はカタカナ英語を使いすぎ」――5日の石川県議会一般質問で、新谷博範議員(改新)が苦言を呈し、県は改善を約束した。
新谷議員は2月定例会での「知事議案説明要旨」や、当初予算案などの「主要施策の概要」について、「カタカナ英語を乱用している」と指摘。「『エクスカーション』は『短期旅行』か『現地視察』で十分。『ハイレベルセッション』『デスティネーションキャンペーン』『シェイクアウト石川』などは、英語ではない」と述べた。
らに「英語を使った言葉遊びで政策を目新しいものに見せ、さも革新的なものであるようなふりをするのはやめるべきだ。ふざけているのか、県民・議会を軽視しているのか、知識や教養を試しているのか、はっきりしてほしい」と痛烈に批判した。
これに対し、植村哲総務部長が答弁に立ち、「確かに『サポート』や『モチベーション』のように日本語でも十分、意味を表現できるような内容は、安易に外来語を使用することには注意しないといけない」と認め、「日本語を大切にしながら、県民にご理解いただけるよう、わかりやすい言葉遣いを心がけていきたい」と述べた。
続いて答弁した谷本知事は「安易に外来語は使うべきではないとは思うが」としながら、「グローバル化がどんどん広がり、外国から入ってくる言葉もあり、的確に日本語で表現できないものも中にはある。どうしても使わざるを得ない場合もある」と説明した。
以前も似たようなエントリー書いた。
カタカナ廃止は限定的に賛成。外来語のカタカナ表記はネイティブの日本語話者以外にとって逆にわけ分からないので明治のように頑張って和訳すべき。元の言語との発音とカタカナ表記が違いすぎて、元の言語での発音を知っている人はカタカナ外来語に混乱してしまう。カタカナのおかげで外来の概念を簡単に日本語に組み込めていたわけだけど、第二外国語として日本語を学ぶ人を考慮にいれるならば、できる限り使用を減らすべき。その他の敬語、長音、数序詞に関しては、第二外国語として日本語を覚えた人に寛容になることで対処すれば良いのではないかと思う。
(日本語話者かき集め戦略:非ネイティブ日本語話者への寛容度をあげるより)