卒論生のみなさーん。先生や先輩から研究に関する助言や指示があったときは以下のどちらかの態度をとろうね。お兄さんとの約束だよ!
- 自分が納得するまでがんとして受け入れず、分かるまで質問をする(or 説明してもらう)
- 良いか悪いか判断する根拠がないので、とりあえず先生/先輩の助言や指示を信じる
一番良くないのは、納得していないのにも関わらず、とりあえず先生/先輩の助言や指示に従うという道をとり、その後、何となく納得できないのでやる気がなくなって研究が手につかなくなるという態度だよ。なお、とりあえず先生/先輩の助言や指示に従って研究を進めてみた結果、指示や助言が間違っていると思ったら遠慮なく伝えてOKよ。
追記:「根拠ないんだけど助言を頑として受け入れない」は顕在化しやすいので案外OK
ブックマークコメントより。
- mbr 「納得してないけどとりあえず従ってあとからやる気なくす」これの逆の組み合わせで「根拠ないんだけど助言を頑として受け入れない」もあるかも。でも後者は問題が顕在化しやすい分、前者の方が厄介といえば厄介か。
私の意見では、「根拠ないんだけど助言を頑として受け入れない」場合は目に見えるので状況がわかりやすく、かつ、「どうして受け入れたくないのか」を中心として双方のコミュニケーションが可能ですので解決に向けて進みやすいと思います。ですので、OKです。「納得してないけどとりあえず従ってあとからやる気なくす」の場合、こちらとしては問題は解決したと思っているのにもかからず、実は問題は解決しておらず時間差で火をふくのでつらいのです。
追記:「質問を繰り返せば必ず分かるようになるわけではない」
ブックマークコメントより。
- heis101 あらゆる組織において言えそう。理想はそうだ。だが実際には、その良くないケース、分からないけど指示を信じてやるというケースが一番多い気はする。質問を繰り返せば必ず分かるようになるわけではない。
おっしゃるとおり「分からないけど指示を信じてやるというケース」が一番多いと思います。
研究やルーティンワーク以外の業務のように正解がない(成果の解釈の幅が広い)事柄は多くの場合やってみなければ良いか悪いかわからないものですから、やり始めた作業を一通り終えてしまわないと意味がありません。このため、作業を途中で停止させてしまう要因はできる限り排除したいのです。正解のない事柄に関しては、ある程度の寄ってすがれる根拠(信念あるいは諦め)がないと作業をしているうちに「なぜ、私はこの作業をやっているんだろう?」という疑問がでてきて「この作業は意味があるんだろうか?」と自分を疑うようになり作業を進める手が止まってしまいます。
この観点からすると「質問を繰り返せば必ず分かるようになるわけではない」というのはどうでもよいことです。ポイントは作業を一通り終えることができるぐらいの寄ってすがれる根拠(信念あるいは諦め)をどうやって構築するかであり、理解が正しいかどうかの重要度は二の次です。自分を納得させられる程度に理解できていれば十分です。
あと、「質問を繰り返せば必ず分かるようになるわけではない」は正しいのですが、残念ながら短期間で分かるようになりたければ質問を繰り返さなければならないのも事実であります。