議論のしかた

議論のしかたY日記:議論のしかた経由)を読んでのメモ

  • 2章:議論の種類として、討論、議決、対話とあるが「合意形成」は議論じゃないのか?
    • 合意形成の内容は
    1. 自分と相手の違いを明確化する(多くの場合、前提、問題意識、問題解決手法、実現方法の順番で違いを明確にする)
    2. その違いが何に由来するのかを明確にする
    3. 妥協、もしくは発展、もしくはどちらかの意見を採用できないかを検討する
    4. 場合によっては、権限や第3者の意見により合意すべき内容を決定する
  • 3.1より:「議論とは人の意見を聞いて理解する場である。」に賛成。ただし、私は以下のように理解の内容を変更したい。「議論とは自分と相手の違い/同じ点を明らかにする場である」(5.8節に書いてあった)
  • 3.4より:「公理」よりは「前提」の方がとっつきやすいような気がする。数学の公理系に親しんでいる人は違和感ないだろうけど。
  • 3章の「公理」の部分にからめて「その公理を認めると同意する限り、その議論の結論も正しい」と明確に書いたほうが良いと思う。このルールを忘れている人がたまにいる。その結果こんな展開がよくある。
    1. Aさんが公理に対して疑問を呈する
    2. Bさんがその公理の下ではこうだよと議論を展開する
    3. また、Cさんが公理に対して疑問を呈する
    4. じゃあ、その公理の下ではこうなるよとBさんが議論を展開する
    5. Dさんが「Bはコロコロと意見が変わって矛盾している。信用できない」と言い出す
    6. 「だって、公理を変えたら話は変わるじゃないか」とBさんが反論する
    7. Aさん、Cさん、Dさんが「意見をコロコロ変える奴は信用できない。嘘つきだ」とBさんを責める
    8. 以後、Bさんは黙る
  • 4.3より:「責任」と「能力」を対にするよりも「責任」と「権限」を対にした方が良いのではないかと思う。能力に付随して権限があると考えればどちらも意味が一緒だけれども、多くの場合、能力は個人の努力や生まれつきによって獲得する力であるのに対して、権限は組織から力を行使する資格と範囲をあたえられるものなので、能力があっても権限がないので力を行使できない場合がある。多くの場合には、権限外の力の行使をしてしまうと、罰があたえられることが多いので、責任が能力に対して発生するものだとするのは厳しすぎるかもしれない。
  • 4.4より:「発言しない自由」「参加しない自由」は重要というのは確かにそのとおり。ただ、「発言しなかった」=「その意見は正しい」というのはちょっと深読みしすぎではないかと思う。「発言しなかった」=「その時には特に反対意見はなかった」が無難なラインではないかと。あまり、行間を読みすぎないで、字面どおり、発言どおりに意見を理解した方が無用な誤解を防ぐことができると思う。
  • 4章の発言の自由の解説は素晴らしい。
  • 6.6より:撤回/訂正という手続きは重要だ。自分ではこの手続きを議論に含めていなかった。
  • 8章は掲示板やメーリングリストでの議論が前提の例かな?というよりそもそもこのドキュメントがメーリングリストや掲示板での議論のためのものかな
  • 議論において、参加しない自由(意見を言わない自由)を認めるならば、「反論しない」=「自分の意見が正しくないと認める」というスタンスにしてはいけないと思う。相手の質問に答える気がしないので答えないという自由が失われるので。でも、これは勝ち負けの観点かな。
  • 9.4より:他人に対して「辞書に出てくる言葉の定義と違う」と言うのは良くないが、自分は辞書に出てくる言葉の定義を使うように心がけるべき。議論は自分と議論相手の違いを見つけ出すものなのだから、相手に理解してもらうことが最重要。相手に理解してもらうためには、多くの人がその言葉の意味を理解するベースとしている辞書に言葉の意味をあわせるのが無難。相手が日本語しかしゃべれないけれども、こちらは英語と日本語をしゃべれるという状態のとき、相手に理解してもらいたいならばこちらは日本語を話すのはあたり前の話。辞書に出てくる言葉の定義に従うというのもほぼこれと同じ理屈。
  • 10.2より:相手に礼儀がなっていない/書き方が不快である(内容ではない)と伝えるのはよくないが、自分は礼儀を守り、不快ではない書き方にするように心がけるべき。相手に理解してもらいたいならば相手が理解しやすいようにすべきで、相手が礼儀正しくされたい、不快な書き方は読みたくないと思っているならばそれに従うべきだから。
  • 10.5より:賛成。言葉の裏を読んではいけない。行間を読ませるような文章は議論の際には使わない(使わざるを得ない場合もあるので適切に使う)。言葉の裏や行間を読む能力は場面に応じて使い分ける。常に読んではいけないし、常に読まなくてもいけない。
  • 10.6より:曲解される原因は自分の発言(自分の存在でないことに注意)にあると心得よ。納得。一方で、自分は相手を曲解しないように注意する
  • 10.7より:間違えることは罪ではない。間違えたことを罪に問うてはいけない。賛成。一方で、自分は間違えないように心がけるべき。議論で間違えることが許されないのであれば誰も発言できなくなる。訂正しないことが問題であり、間違えたこと自体を問題にすべきではない。
  • 11.1より:本物の科学は、他の科学者を納得させることができれば研究の発端が何であろうと気にしないと思う。着地点が問題で、本来はそれを述べているのだと思うけどこの書き方はちょっと誤解を招くと思う。自説にあわない事実を全てなかったことにしてしまうから問題なのだと思う。(「結論」の意味が違うのかもしれない)
  • 11.4より:科学者は「自分がわかったことを世界に公表し、還元する」ことがその使命であるので、「この真実を多くの人に伝えたい/広めたい」と思うのは当然であり、思わなかったら逆にいんちき科学者であるとみなしてよいと思う。科学は公表されることで発展してきたのであり、秘密にしていたら今でも錬金術や魔術だっただろう。動機によっていんちき科学者であるか否かを判定することは難しい。やはり、主張している内容が科学の方法論に従っているかどうかと間違いがわかったときにそれを訂正するかどうかで判断するのが適当だと思う

全体として納得いく話だった。ただ、

  • 「質問」「回答」ともに皆のものであり、発言者とは関係がない。誰がどの質問に答えても、答えなくてもいい。

という点は、合意形成が目的の場合には納得できないルールだ。でも、そもそもこのドキュメントでは合意形成は議論の項目に入っていないので当然のこと。