ダメな議論(amazon.co.jp)

正しい議論を見抜くための方法ではなく、明らかに検討する必要のない議論を見つけ出し、検討すべき対象を絞り込む技術というのが実用的で面白い。ただし、後半のダメな議論の典型例を解説するところでは、正直ついていけなかった。

ダメな議論を選び出すチェックポイントは以下の5つのポイントを1つでも満すものがダメな議論とのこと

  • 定義の誤解・失敗がある
  • 無内容、あるいは反証不能な言説がある
  • 難解な理論の不安定な結論である
  • 単純なデータ観察で否定できる
  • 主張が比喩とたとえ話に支えられている

筆者の飯田氏は、分析的な解釈が議論を深めるために必要だと考え、それを推奨している。そして、あらかじめ分析的解釈を取った際に話者が直面するであろう反論を列挙し、それに対する対策法を提示している。反論される点は以下のとおり。

  • その分析は「真の***」とはいえない:「真の**」論法(飯田氏命名)
  • そのデータは現実を表していない
  • 総合的に考えるべきだ
  • あなたの分析は必ずしも100%正しいとはいえない:虚無論法(飯田氏命名)

また、飯田氏は分析的解釈は、論点が明確され、またその解釈の限界も明確に提示するため、間違っているか間違っていないかが明確にわかるという欠点があると指摘している。これは欠点の指摘に耐えられない人にとって非常に大きなデメリットであるとも指摘している。

そして、ダメな議論の典型例の紹介があるのだけれども、ここは後半の経済の話についていけなかった。飯田氏の理屈には納得するのだけれども、感情的に納得できない点がある。すなわち、飯田氏の理屈では感情が納得しないのだ。これに良く似た例を私は知っている。それは、研究室の学生と研究に関する議論をしたときに、学生によく言われるのは「私の言っている理屈は理解できるが納得はできない」ということ。この飯田氏の説明に対する私の感情とよく似たものである。なんで、私は飯田氏の説明を理解できても納得できないのかを考えてみることにする。

  • ついていけなかった例:世界一高い物価の話(p.136)

昨年度の出国者数は1700万人を超えた。
〜中略〜
海外旅行を経験した人ならば誰しも、現地の物価と比べて日本の物価が異常に高いのを再認識させられるだろう。*1
〜中略〜
95年の東京での生活は、ニューヨークでの同様の生活に比べ1.6倍も高くついていた。(内閣府調べ)*2
〜中略〜
もちろん、このような大幅な内外格差を長期的に維持することはできない *2
〜中略〜
このプロセスが数字となって現れたのが95年以降の価格破壊デフレーション)である。 *3
〜後略〜
(注:*は私が付け足したもの)

飯田氏は、*3を導き出す議論がおかしいということでこの例を出した。*3の議論の根拠として、*1を使うのは比喩とたとえに支えられた主張だとのこと。私は、飯田氏の理屈には全く賛同するのだけれども(内外格差は為替レートの変化と連動しているので実際は日本の物価がニューヨークよりも高いということではないという理屈)、そもそもこの例文のタイトルである「世界一高い日本の物価」に対する答えになってないような気がして、どうも納得できない。

物価が高いとはどういうことかを考えると、自分の持っているお金に対して買えるものが少ないということだと思う。しかし、内外格差の話はそこをポイントとしているのではない。アメリカと日本で同じものを買うのに費やしたお金をどちらかの単位に換算して比較しているだけである。じゃあ、どんなデータを出されたら私は納得できるのかと考えると、ある社会的階層が同じ人間において、その人の給料で何を買うのに給料を何%費やす必要があるのか?あるいは、1リットルの牛乳(卵1パックでもよい)の値段に対して、さまざまなものがどれくらいの値段を持つのかということである。

それで、ここまで書いていて気がついたのは、私は「物価が高い」ということはどういうことかについて納得をしていないのであって、飯田氏の議論について納得していないのではないということだ。物価が高いということを飯田氏の議論の枠組みで納得すれば別に問題がない。(なお、私が知りたい「物価が高い」という話のデータも実は飯田氏が述べているデータで説明できる可能性はすごくある)

  • ついていけなかった例:天ぷらそば論法(p.141)

〜前略〜
日本の食糧自給率が極めて低い水準にあるのは周知の事実である。 *1
〜中略〜
われわれが口にするものの6割は輸入に頼っているのだ! *2
〜中略〜
平時には合理的な選択に見える貿易も、非常時には非合理となるかもしれないのだ。 *3
〜後略〜

飯田氏は*2の検討として、天ぷらそばを1000円で食べられると仮定した場合のその値段に占める輸入代の割合を検討していく。私はここの時点でついていけなかった。「口にするものの6割は輸入に頼っている」の検討事例が「あるものを食べる際に支払った金額に対する輸入代の割合」となるのが納得できない。材料がなければどんな技法をこらしても何も作り出せないのだからこれが上の主張を検討する土台となるというのがどうもわからない。

余談ですが、この「天ぷらそばを1000円で食べられると仮定した場合のその値段に占める輸入代の割合」の後で説明されている日本の総GDPに対する輸入と輸出の割合の話は参考になる。日本は結構国内で経済をまわしているのね。

*3のポイントの議論について飯田氏は、チェックポイントを追加し「政策的に妥当であるかどうか」を使って検討している。非常時を二つに分けて議論して一つは人口爆発による非常時、もうひとつは輸入ができなくなる非常時。

人口爆発による非常時についての検討は、この非常時の場合、人口増加による食品価格の高騰は農業を保護しても意味がないというのが飯田氏の主張。ただし、この主張の前提は「自由な貿易が行なわれている限り」。自由な貿易が行なわれないのであれば、日本国内で安価に食料を回すことができ、食料を海外へ輸出する必要がない。日本人が食料を確保できるという点を問題にすると、自由な貿易をするのは非合理的。なので飯田氏の主張は*3への反証になっていない。

また、もうひとつの非常時については、飯田氏の主張は大東亜戦争をもう一度始めない限り(周辺国と一斉に戦争状態にならない限り)この非常時は起こらない。この非常時が起こる場合には石油が枯渇するのでそちらの方でノックアウトされるとのこと。農業の支援という政策の妥当性からすると、この主張はおっしゃるとおりだけれども、*3の反証になっていない。

結局ここまで書いてきてわかったのが、私がついていけなかった理由は例文の主張が「日本が食料自給率が低いのは問題である。なぜならば非常時には貿易が合理的行動でなくなる」ということなのに対し、飯田氏は例文の主張を理由として、農業支援策を行なうのが妥当かどうかを議論しているからである。つまり、何を議論しているのかについて私がわかっていなかったので、ついていけなかったのだと思う。でも、これは飯田氏が否定したかったことを例文に含められていないのが悪い。この例2はあまり良い例になっていないように思う。

ここまで自分がついていけなかった理由を分析してみると

  • 議論対象の定義について同意できなかった
  • 議論対象自体を認識していなかった

の二点にあることがわかった。すっきりした。