上記エントリーでyanatakeさんが面白い問いかけをなされていますので、私も考えてみたいと思います。
yanatakeさんは、統計を例にして以下の主張をされています。
日本のアカデミックの世界の最大の弱点は、使われている言葉が難解すぎる
その難解さは何に由来するのかというと
英語を直訳して、本来の持つ意味からかけ離れてしまっていたり、もしくは全く意味を成さないような言葉なのに、それを日本語として無理やり使ってしまっている
と仰っています。対照的に英語は
英語の論文は、専門用語を除いて、普段使う言葉でかかれるので、意外と読みやすい
という実例を挙げていらっしゃいます。
以上の主張に対して、私のは「言葉の難解さ」と「文章のわかりやすさ」は関連性はあるが、言葉が難解だからといって、必ずしも文章がわかりにくいわけではないと考えます。
文章が難解になる理由を私は以下のとおりに考えます
第一に、読者をしっかりと想定していないこと。このため、どんな層の読者を想定しているのか、背景知識、専門知識の量はどれくらいかを見積もらないので、常に同じ書き方、発表の仕方になってしまいます。
第二に、専門用語や略語を定義や説明なしで使うこと。自分の知っていることを他人が知らないとは考えていないことに由来する(上記理由とかぶる)。日本人は均質であるという幻想に由来しているのではないでしょうか。
最後に、ある文章や発表に対して、聞き手や読み手が理解できないときの責任を情報の受け取り側にかぶせる態度。これにより、情報の受け取り手は、情報の送り手の背景知識、その情報を発した状況などを知った上で情報を解釈しなければならないと考えてしまう。この結果、反論することは失礼な行為、また、自分がわからないほどの(背景知識を持っていると思われる)情報をありがたがるようになってしまうのだと思います。