文化を創るデザイン

ビッグデータに基づくデータマイニングを補完する視点

僕はデザインには2つの役割があると思っています。
ひとつは人の要望を満たすデザイン。たとえばこういう機能が欲しいって言われたからその機能をつける、そういった役割。

もうひとつは、人の行動を変えるデザイン。例えばiPhoneが出た当初、スマートフォンはBlackBerryが市場を占めていました。それまではハードウェアのキーボードのボタンがついているのが常識でした。ただiPhoneはそうしたデザインのすべてをそぎ落として、ひとつの方向性を提示した。そしてそれによって人の行動が変わりました。こういう人の行動を変えるデザインって強い信念が必要だと思います。まだ世の中に受け入れてないものを、それでも「これが正しいんだ」って貫かないといけない。

面白い例えがあります。財布のデザインを頼まれた。ユーザーはクレジットカードを平均10枚は持っているので、それが収まるようにデザインを依頼される。一つの方向性は、もちろんカードが10枚うまく入る財布をデザインすること。ただ逆の方向性もあって、3枚しか入らない、けれどその分薄くて持ち運びに便利な財布をデザインするってことも考えらえる。3枚しか入らないので持ち主には必要なカードを選んでもらわないといけない。ただその行為を強いることで、実際に必要なクレジットカードって実は1枚か2枚ってことを気付かせることになるかもしれない。もしくはどうやったらカードの量を減らせるかっていうことを考えるきっかけをつくるかもしれない。

そういう要望とは別の、人の行動を変化させるデザインが面白いと思う。Ingressもそういうデザインを意図しています。本来ゲームって家の中でやるものですよね。でも世の中を良くするためには人が外に出た方がいいんじゃないか、じゃあどうやったら人を外に出せるゲームを作れるか。人の行動を変えるのは簡単なことではありません。でもどうすればデザインやテクノロジーの力で人の行動を変えることが実現できるのか、それがIngressの挑戦です。

行動が変わる、そうした能動的な「気付き」が達成できると自然と愛着も湧くんですね。愛着が湧くから人にも伝えたくなる。それがIngressが広まった大きな理由だと思います。

Ingress、ポケモンGOの開発現場。Niantic川島優志さんに聞く。【前編】 | AdverTimes(アドタイ) - Part 2より)

後付けの肯定

書きながら考えるという話につながる気がする。

  • 水野
    • 8月27~28日が海老名運動公園、9月10日、11日が厚木市荻野運動公園。どちらも陸上競技場なんですけど、そこでやりますので、もしよろしかったらみなさんぜひ。あと、その前にニューシングルも出しまして、『ぼくらのゆめ』と『ラストシーン』という映画『四月は君の嘘』の主題歌の両A面シングルが出ます。
  • 権八
    • どういう思いで出された曲なんですか?
  • 水野
    • 映画の物語の中にあることもうまく取り入れながら、そこにインスパイアを受けながらつくった曲です。一応、今回の話でいうと、自分の中にテーマとしてあって、いろいろとポップな曲を書くんだけど、最終的に終わりがあるということをいつも書こうとしていたんですね。最終的に死んじゃうぞみたいなことを必ず書くようにしていて。
    • その考えがちょっとずつ変わっていって。震災があって、大切な方を亡くされたりして、終わりの後を生きなければいけない人が結構多くいるじゃないですか。ご夫婦で連れ添っていて、片方が亡くなって、これからも生きなければいけないという。でも、ちゃんと思い出を背負っているみたいな。そういう曲も必要だと思っていて。
    • 1つの別れがあって、次になんとか思い出を抱えながらもスタートしていくみたいなことが曲にできればいいなと思って。今回はそういうテーマの曲ですね。
  • 澤本
    • テーマが多いね。
  • 水野
    • しゃべってるだけですけど(笑)。
  • 澤本
    • でも、こういうときにしゃべってると、実は自分でこういう風に思ってたんだと気が付くことあるじゃないですか。
  • 水野
    • そうですね。僕はほとんど後付けで(笑)。
  • 澤本
    • 後付けって実は素晴らしいと思っていて。それはウソじゃなくて、自分で何をやっているかわからないことでも、こうやってしゃべっていると後付けでパッと言えるときはちゃんとそのときに思ってるんですよ、絶対に。
  • 水野
    • 勇気づけてもらいました。
  • 澤本
    • いやいや、僕なんて全部後付け人生ですよ(笑)。
  • 権八
    • なんかいいこと言ってるような(笑)。

いきものがかりが「男性2人、女性1人」になったのは、マーケティングの結果だった!?(ゲスト:水野良樹さん)【後編】 | AdverTimes(アドタイ) - Part 5より)

以下は上の出典の記事。おもしろい。
www.advertimes.com
www.advertimes.com

ピタゴラス勝率

ある期間における試合中に発生した総得点のうち、自チームがとった得点の割合を見るのか。いろんなこと考えるなぁ。得点支配率みたいな概念。

《セイバーメトリクスにも得失点差を用いた“ピタゴラス勝率”という指標があってだな。これがメジャーでは監督の“采配力”を示すともいわれているんだ。その数式(総得点の2乗÷総得点の2乗+総失点の2乗)に巨人の成績を当てはめると4割1分1厘。実際は4割9分4厘だから、チームが接戦に強いか、由伸監督が相当優秀だってことになるな。》

「長嶋茂雄=高橋由伸」説は本当? 監督初年度は最下位&カープの優勝。より)

「あんたに言われたんだから、やるんじゃないんだからね」問題

タイトルはおちゃらけたけど、実際問題根深い問題。自分たちの判断ではAが良いと思っているところに外部からAをやれと言われる。このときに、Aを実施すると外部の意見に従ってAを行ったと第三者に判断され、今後の運営に問題が生じる懸念がある。なので、今回はAをやらないと判断をくだす。そんな面子問題とか無視しなさいよと思うけれども、こういう類型はたくさんある。

政府・与党からは早期解除をけん制する声も上がっていた。「見送った場合、政治的な圧力が強い時は、日銀は自主的に金融政策を決定できないという誤解を与えかねない」(3月、水野委員)ことも解除を押し通した背景にあった。
日経新聞:日銀が06年1~6月の議事録公開 福井氏、緩和解除押し通すより)

木曜日のSession 22の特集でゲストの原武史 さんが言っていた理屈。天皇陛下からの要望に従い、憲法や法律を変えたということになれば、天皇が政治的な働き方をしたということで憲法で述べられている「象徴天皇」という理念に反する。これは、国民(つまり、政府)が議論をしたうえで、これこれこうこうと皇室典範や憲法を変えましたと天皇陛下に報告する形にするのが筋。まだ、明らかではないけど、当人が体つらいので退位したいという意向であったとしても、日本国憲法の枠組みを保つために個人の意思はあえて無視するという形にしないといけない。これは上の事例の応用編に思える。
www.tbsradio.jp

生活保護とか障碍者福祉とか、社会的にマイノリティーになる側でかつ、制度の対象となっている側が「この制度は~に不備がある」と制度の不満を言う時、「確かにそうだ。変えた方が良い」と思っても、当事者が何か文句を言ったらそれが変更されるという前例ができるから今回はやらないみたいな構図がいろいろとある感じがする。

「そういう要望があったのは確かだが、彼ら/彼女らは妥当な独立的にかつ妥当な判断の下で~を行った」と証明してくれる第三者の存在が必要なんだろうなぁ。

指導教員はコミュニケーションの仕方を工夫しなければいけないという話

以下のエントリーにコメントをいただいた。当該エントリーの件に関しては、コメントに書かれているような方法でのコミュニケーションは当時とっていなかったけれども、コメントに書かれているようなつらい思いをした方もいるということでコメント転載。

next49.hatenadiary.jp

以下、当該コメント(書式の追加はnext49)

今年、君は卒論に苦しんだね。君が卒論に苦しんだ理由は自分でも分かっていると思うけど、常に外部に正解を求めたことにあるんだ。私が「どうして、それが正しいと思うの?その理由を教えて。」と聞くと、いつも君は表情を凍らせて黙ってしまったね。何度も何度も「研究には正解とか不正解とかない。誰も答えを知らないから研究になっているんだ。だから、自分の主張をとりあえず述べて、相手の反論が正しいと思えてから自分は間違っていたと考えれば良いんだよ。」と伝えたのだけど、最期最後まで君は自分の主張の正しさを自分の言葉で言えず、常に私の保証を求めたね。はっきり言ってそれが私にとっては本当につらかった。
価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない - 発声練習より)

なんて言ってますが、本当にそうなんでしょうか?学者の方って自己の正当性をとても評価していらっしゃるけど、生徒へ向けて言っていることが片言で日本語の体をなしていなかったり、まともに伝わる言葉でなかったりしますよね。
今回の場合も指導教員のあなたが、学生に「どうして、それが正しいと思うの?その理由を教えて。」と聞いたのではなく、ただ一言「本当に?」といっただけなのでは?


それなら学生の表情をこわばらせるのは至極もっともなリアクションです。学生は嘘をつくつもりなどさらさらないのになんの根拠なくあなたに疑われたわけですから。


このケースの場合あなたの価値観は重要じゃありません。大事なのは正常な形式で日本語をあなたが発することができるかどうかです。こういうケースはあなたに限らず多くの学者が経験していることと存じますし、また、一度や二度の経験じゃないでしょう。


あなたのコミュ力が標準的な人間以下にあることが主要な問題で、あなたの論理は全て己のコミュニケーションの下手さ加減を、自身よりふた回り以上年少の人間に押し付ける卑劣な論理です。

君が雑談ならば私とも明るくおしゃべりできるのに、研究の話となった瞬間に凍り付いてしまうのは、雑談は自分の感情をベースに話せるので自信を持てる(自分の感情だもの、正しいも正しくないもない)のに対して、研究の話は自信がないからだよ。

どうして、自信がなかったのかといえば、たぶん、間違うことに対して恐怖をいだいているからだと思うよ。何で間違うことに対して恐怖を抱いているのかというと、まだ君には精神的な背骨が育っていないからだと思う。君は、自分の価値判断の基準を外部に委ねており、自分の内部にそれがない。君が自分の価値判断の基準だと思っているのは、外部に依存した「優等生な自分」「良くできる自分」という役に立たない基準なんだ。
価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない - 発声練習より)

なんて言ってますが、これも研究が行き詰まって今後の指針について学生が話しにきたのを、あなたは何もしないで何も教えることができないから、学生に自信がないとか言って、「あなたの研究能力が指導教官として不十分である」ことを学生の心理的要因に転嫁しているだけですよ。


学生と接するうちはあなたは研究者ではなく教育者として、学生の保護者の資金により大学に雇用されているのだから、学生が、あなたの判断にではなく、研究者として教育的意見を求められるのは当たり前かと。
もしあなたがそれを辛いと感じるのであれば、大学の研究者として、素養がなく資格がないのでしょう。あたりまえのことを辛いと思うなら、仕事を辞めてみて転職するのも一つの手と思いますよ。


かわいそうなので少しあなたの生い立ちについて考えてみました。あなたは学生の頃(と言っても大学教員として学校にいるのだからある意味であなたは未だに現役の学生です)から人とつるむことができず、一人で勉強をして、一人で研究をしてきた。大学教員がゼミを開き学生にオープンな意見を期待している場面であっても、あなたは頑なにだんまりを決め込んだ。今でもそれは変わらない。年長・年少関わらず、あなたは外部の期待や意見に関わらず、常に自分中心の世界で、誰にも理解されない状況を作っていた。そして、今、誰にも理解されない状況が仇となり学生の指導が行えない。あなたの所属する職場(大学)は優秀な学生が多く、放っておいても自力で研究できる力を持っている。しかし、人と積極的にコミュニケーションの取れる体育会気質の人間もいる。彼は地道な努力により入学したため、大学のいろは何て知る由も無い。当然、大学の研究を知るため、その第一線にいていた教員に教えを請うだろう。しかし、あなたは、あなたに意見を期待されている時でも常にそれを無視して、内省に執着してきたため、もはやあなたには他人を指導できるだけの言葉はない。


あなたは誰かから接せられるだけで、あなたのコミュニケーション能力の不足を認識してしまい、学生を憎むようになった。


まあ、そんなあなたでも学生は我慢したりスルーして卒業しているので、やはりあなたの指導教員としての能力は顧客、もしくは利用者たる学生からも期待されていないのでしょう。


何もしないでお金もらえているのだからもう少し社会(お金をあなたに与えるものたちの集団)に感謝してあげてもいいと思いますけどね。だって、あなたの研究って学生の研究がベースになっているのだから。


あっステレオタイプを想像していただけなので間違って判断していたらすみませんね。

得られる教訓

少なくともここ10年くらいの私の感覚では「本当に?」も「どうして、それが正しいと思うの?その理由を教えて。」もどっちも理由を尋ねているので大差はなく、何の感慨もなく理由を説明してしまう。でも、学生の立場で、しかも、理由を根掘り葉掘り聞かれた経験が少ない人にしてみれば「本当に?」は言葉足らずで、「どうして、それが正しいと思うの?その理由を教えて。」と聞くべきなんだろう。


当時は、学生に近かった年齢も、だんだん学生の親御さんに近い年齢になってきているので(もっといくと学生の祖父母に近くなる)言い方には気を付けたいと思う。