注意するのもされるのにも慣れていないというのもあるのではないかと

注意するのも、注意を受け入れるのも本能ではなく、学習によって身に着ける行動なので、穏当な注意の仕方や受け入れ方を学んでいる過程であり、こどもたちが「責め合う」のは「責め合わない」ようになるための準備段階という案はどうだろう。

自分が子供のころと比べて今の子供の方が「責め合っている」という印象がある場合、それの解釈の一つは子供が減ったことで注意する機会もされる機会も減ってしまい、成長に費やす時間が長期にわたるようになってしまい、その結果として大人の目に見えるところで「責め合い」が発生してしまうというのがあり得るかと。