300年前の職業、1000年前の職業

デューク大学の研究者であるキャシー・デビッドソン氏が2011年8月、ニューヨークタイムズ紙のインタビューで語った予測が波紋を呼んでいる。「2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」というのである。

情報化が進むに従って、我々の働き方は大きく変わってきている。例えば、10年前には「情報セキュリティマネージャー」や「ソーシャルメディア・コーディネーター」などという職業は存在しなかった。企業がイノベーションを進めるたびに、業態の変化によって新しい職業が生まれ、既存の専門職を置き換えつつある。

65%という数字は米国を対象とした予測であり、日本でも同じようになるかは分からない。ただ、国際化が進む世界では1つの国で起こった変化が他の国に瞬く間に広がる。若者の雇用不安が世界的現象になっているのはそのためだ。私自身は、雇用の前提となる専門性の変化が常態化し、職業が安定した存在でなくなることは間違いないだろうと考えている。

以前、Twitterでつぶやいたのと同じ考えが上記の記事を読んでまた浮かんだ(Togetter--私的メモ:「消えてしまった職業たち」)。それを丸ごと転載する。

私的メモ:「消えてしまった職業たち」の転載

日の下に新しいことなしと言われるわけなので、今存在するいろいろな職業のほとんどは昔に存在した職業の諸条件をちょいといじったものであると考えられる。機械化と情報化の本質は、これまで人間が行ってきた(比較的)簡単な仕事を機械と計算機に行わせて、人間をその仕事からはずすことになる。なので、人間はもっと難しいことに取り組むか、まだマニュアル化、あるいはアルゴリズム化していない仕事に取り組むしかない。また、我々人間は学習できるので、同じ仕事をより短時間でできるようになる。この結果として、生じているのが第一次産業第二次産業から、第三次産業への労働者の鞍替え。別にわれわれが怠惰で怠け者になったり、汗をかくことを嫌がったからではなく、学習して効率をあげられるからこうなった。

放っておけば、第1次産業と第2次産業では労働者がどんどんいらなくなる。一方で、第3次産業でも新たなサービスが考えられなければ、新たな職が生まれず、第1次、第2次であぶれた労働者を吸収できない。不況や好況というのを無視するならば、一番、重要なのは第3次産業において新たなサービスを作り出すというのが、みんなが食い扶持を稼いで生きていくためにとっても重要なポイントとなる。

「新しいサービスっていったって、既にもう何でもあるじゃねぇか!」という考えは当然思い浮かぶのだけど、良く考えてみるとアニメ産業というのウォルト・ディズニーの前には存在しなかった。ネットカフェというのもWWWができる前は存在しなかった。5年くらい前、ソフトバンクの孫さんのビジネスモデルが「タイムマシン商法」みたいな呼ばれ方をされていた。これは、アメリカで流行ったやり方を日本用にカスタマイズし、日本で流行らせるという方法。文化的、技術的、経済的に日本がアメリカに追いついてきたあたりからこれが使えないという話。

話戻って、アニメ産業というのはディズニーの前になかったわけだけど、映画産業は既にあった。アニメと映画は違うものだけど、かなり似ているところが多い。映画の前には舞台(劇)があった。映画と舞台は違うけどかなり似ているところが多い。「日の下に新しいものなし」という話に戻ると、孫さんのタイムマシン商法を100年、300年、1000年のスパンで、また、アメリカだけでなく、いろいろな地域において適用してみたら、条件をちょいと現代風にカスタマイズしたら、新たなサービスを生み出しやすいんじゃなかろうか。

世の中には誰にとっても役にたたないようなことを調べて、整理して、体系化している人がいある。そういう人たちは研究者と呼ばれている。たぶん、200年前のオーストリアの**という町で流行った職業についての研究者が必ずどこかにいる。「13歳のハローワーク」という本があったけど、似たような感じで「消えて言った職業たち」という本かサイトかデータベースがあったら、とてもおもしろそう。ある時代、ある地域では当たり前の職業だったのに今ではまったく消えて(廃れて)しまっている職業がたくさん紹介されている本。いつの時代、どういう地で、どういう職業が存在したのか。その職業はその社会においてどうして成立していたのか。どういうサービスを提供していたのか。それが職として成り立っていたのはなぜか。なぜ、廃れてしまったのか。こういう点について記述されていて欲しい。

工学の基本は制約条件下でのデザイン。制約条件が変われば、最適なデザインが変わる。ある制約条件の下で適切なデザインを集めたものがデザインパターンと呼ばれる。いろんな工学分野においてデザインパターンは非常に重要な武器となっている。民俗学史学、経済学、経営学などの人文学研究者(民間研究者含む)の研究成果を生かして、「消えてしまった職業たち」をまとめることができれば、第3次産業へシフトする社会において非常に役にたつものになると期待できる。

私が小学生のころ(今から20年前くらい)は、靴磨きが職としてなりたっていた。今は成り立っていない。一方で、その当時は思いもつかなかった爪を飾り立てるというサービス(ネイルアート)は職業になっている。私が子供のころなら「単なる無駄」とみなされるような爪飾りが…。爪飾りが無駄でなくファッションになった背景に家事の簡単化、外食産業の隆盛、経済の進展、女性の高学歴化などがあると思う。でも、美容室からの流れで考えれば、そんなにびっくりする話しでもない。条件が整ったので単独で職業になれたのだと思う。

レンタルビデオ/DVDは貸し本屋のリバイバル。ケーブルテレビやネットの普及、DVD価格の低下によって、レンタルビデオ/DVD屋が再び貸し本屋に戻ろうとしている。条件が変われば、昔、消えた職業が復活するかもしれないという一例。田中芳樹さんの本だったか「ある一時期は、クリーニングするYシャツを太平洋を横切ってある島で洗って、それを再び太平洋を横切って持ってくる。これで採算がとれた」という話があったように記憶している。これが本当なら、これもサービスの成立は条件次第であるという一例。

今は、不況によりお金が回っていない。だから、新たなサービスも広まりづらいだろうけど、お金が回るようになれば、条件は変わる。生活が苦しいときは「無駄」にみなされていたものが「まあ、お金払ってもよいかな」になる可能性も高い。経済状況、技術革新、既存のサービスからの連想によって、サービスは無限に生み出していける可能性がある。基本は、欲望と想像力の結合だから。そういう意味で、細かい多様なサービスがひしめきあいながら、共存しあえる可能性はあると思う。

そう考えると、文系の大学生が多いというのも別にそんな悪いことでもないような気がする。問題は、多様なサービスを生み出す基本となるそれぞれの分野の教養(世の中の見方)が身についていないという点だけで。

おわりに

リンク先の記事は、21世紀はグローバル化の時代でグローバル対応の職業が新たに生まれるという話だけれども、古代ローマモンゴル帝国、非イスラム諸国を配下に従えたイスラム系王国など、(当時の移動手段において)地理的に離れた地域、および、文化や言語もバラバラであるところを統治したものは歴史上いくつもある(大航海時代の後のスペイン、ポルトガル、オランダ、英国などもグローバルだったと思う)。これらの体制下で生まれ、成立し、かつ、グローバル体制が崩壊したら消えていった職業は、21世紀の今こそ復活できる可能性があるんじゃなかろうか?

私はこういう話にかかわるとしたらデータベース設計・作成および情報共有基盤整備しかできないけど、こういう話をできる人と組んで「消えてしまった職業たち」をデータベース化してみたい。30くらいの職業があればよいので誰か歴史系の方2〜3名と組んで科研費に申請してみるべきかな?

追記:はてなブックマークコメントやTwitterでいただいた意見

はてなブックマーク - 300年前の職業、1000年前の職業 - 発声練習より

  • d:id:spqr さんはメイドについてはまとめていたような。

ご紹介いただいたspqrさんのブログ。まさにこちらのように個人個人が興味もって集めている情報をつなぎあわせて、データベース化できると面白いんじゃないかなというのがこのエントリーの元々の発想。ちなみに、Senatus Populusque Romanus は、私もハンドルネームに使おうとしたことありました。間違えてsqprとしちゃっていたけど。

  • 乳母制度復活も時間の問題か

女性の社会進出が進み、経済的な状況が変われば乳母もありだと思うんですよね。今でも短期利用のベビーシッターやハウスキーパーがあるわけですし。放課後に子供をどうするのかとか、通学時の安全をどう守るのかという話がより厳しくなれば「じゃあ、親が一緒にいられない平日は学校に泊まらせてしまえ」という発想で寄宿舎学校が人気になったりすることもあると思いますし。

過去の職業を検討してどうなの?という点についてTwitterで議論してくださっている方がいらっしゃいました。

職業についてどのようなデータや情報を集めて、構造化したならば、新たなサービスの提案の種になるのかというのはとっても難しく面白いポイントだと思っています。今の段階ではつてや基盤となる知識がないので、アイデア段階の話です。このデータベース自体の元ねたは失敗知識データベースです。

何で、計算機科学系の私がこんなこと考え始めたかといえば、趣味として歴史が好きなこともありますがメモ:「娯楽の基礎としての科学」をアピールする話ひすとり編集会議参加記 2:ドラマチック西洋史自分の分野の常識をWebでアクセスできるようにしておくことということを以前に考えたからです。