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質問の仕方による回答の相場観

発声練習

うまい質問をするためのTipsでのshiroさんとのコメントが秀逸だと思いましたので転載して、新しいエントリーに。

「考えてない質問にはそれ相応の反応しか返ってこないよ」というのは、「100円の商品と1000 円の商品があったら、100円の方はまあそれなりの品質でしょう」というのと同じことですね。でも、それをわかってても私は100円ショップを覗くのは嫌いじゃありません。安物を買うことに対して萎縮すべき要素があるわけじゃないのと同じように、自分の働きかけ方をセーブしてそれ相応の情報を得る、というのも単に選択の問題のように思えます。

にもかかわらず、質問のコンテキストで「それ相応の反応」を受けることを避けて、自己規制してしまうのはなぜか。
もしかすると根っこには、他人の素っ気ない反応に対して本来以上に敵意を感じてしまう、というような、対人関係における感覚が反映されているのかもしれません。

100円ショップに相場観があるように、今回のエントリのような形で「質問の相場観」を得ることは、そういった対人関係のファントムを回避するのに確かに役に立つかもしれません。ほんとうは「そこに敵意などないんだよ」ということがわかるのが一番だと思うんですが。

質問の自主規制をしてしまう人は、shiroさんがおっしゃるような「質問の相場観」を把握していないというのが一つあると思います。

一方で、質問の自主規制をしてしまう人は、コストを費やしたら必ず商品が手に入るという現在の情況を無意識に二者間での質問と回答のやりとりに援用してしまっているのではないかと私は考えています(というか、この文章を書きながらそう考えました)。

値引き交渉をする文化圏ではない人(たとえば、典型的に私)にとって、値段がはっきりしていない商品を購入するのはとても怖い(面倒な)ことで、その怖さはともすれば商品を買うのを拒否してしまう原因になると思います。そういう人は、定価がある店でしか買い物をしないわけです(これが「質問の相場観」がわからないと質問できない理由)。

一方で、定価があることが当たり前に思える人は、お金を払ったら必ず商品の引渡しがあることが自明に思えるわけです。このとき、お金を払ったのに商品を受け取れない事実は、相手への怒りや自分への疑惑(私は何かを間違えているのではないか?)に変換されると思います。

二者間での質問と回答のやりとりは、一種の取引と考えられるので、質問者が費やすコストに関して相場があり得ます。ところが、一時的に回答者の負荷が上がったり、そもそも回答を持っている人がいなかったりするため、質問者が市場の値段どおりのコストを費やしたからといって必ずしも回答が得られるとは限らないわけです。このとき、お金を払ったら必ず商品の引渡しがあると思っている人は、困惑するでしょう。

私は、うまい質問をするためのTips 「なんでも質問する」姿勢と「ググってから質問する」行動を「質問の相場観」を示す例として書きましたが、これらのエントリーを「規範(質問者は〜すべきだ)」と受け取る読み手の方もいらっしゃいました。この事実は、上記の私の考察をある程度裏付けていると思います。