レトリカルクエスチョンの対処方法はバッドノウハウ

このツイートのコメントに結城さんが「レトリカルクエスチョン」という言葉をだしていないのが不思議だった。


レトリカル・クエスチョン(修辞疑問)というのは
「質問の形をしているけれど、実は質問の答えを求めているわけではない」
という表現のことです。レトリカル・クエスチョンを多用するのは
コミュニケーションの品質低下を招くことがあるので注意しましょう。

〜 中略 〜

ところで、普段からレトリカル・クエスチョンを多用していると、
コミュニケーションの品質が低下してしまうことがあります。
ここでは一つだけ説明しましょう。それは発言者は「質問」している
つもりなのに、相手は「非難」だと受け止めてしまうという場合です。
結城浩のYahoo!日記:レトリカル・クエスチョンに気をつけようより)

最近の部下への接し方(学生への接し方)のTipsとして「なぜ?」と問うのではなく「何をしたの?」「どうやったの?」と問うようにしましょう。というのがあるけど、これは「なぜ?」をレトリカルクエスチョンとして使うから発生する話。多くの人(私も含めて)が「なぜ?」をレトリカルクエスチョンに使うから、「なぜ?」と言われると謝罪や撤回につながってしまう。なので、「なぜ?」を使わないようにしましょうというのは、どう考えてもバッドノウハウ。

そろそろ、大学入学時か研究室配属時のリメディアル教育としてレトリカルクエスチョンの概念を説明して理解したもらった方が良い。また、指導教員は「この研究室という場では『なぜ?』は叱責や怒りの言い換えでなく、原因・理屈・背景の説明を求める疑問詞として扱ってほしい。私もその使い方だけで使うよう心掛ける」と明言した方が良い。

まあ、私も毎回「なぜ、そういう風に考えたの。っていうのは、別に**くんを叱責したり、今の意見が間違っているという指摘ではなくて、その考えに至った理由を知りたいだけなので、『なぜ?』って尋ねているんだよ。で、改めて、なぜ、そういう風に考えたの?」と言い訳セットで使っているので実践できていないけど。「なぜ?」に対して、「その理由は…」とすんなり移行できるようになるのは大体2年後ぐらいかな。卒論生のときはだめで、修士1年生の夏でも怪しくて、修士1年生の秋ぐらいからやっと慣れて、修士2年生で完全に慣れるという印象。

過去のレトリカルクエスチョンに関するエントリー

本1冊につき真似したい/したくない表現を20個ずつぐらい探す

語彙の学習、文章構成パターンの蓄積、文体および表現の違いの認識およびパターンの蓄積&好みの確立を文章をまるごと移すという過程を通して暗黙的に得られることを期待した作業なのだと思うけど、そういうのが合う人と合わない人は当然いると思う。私は絶対にやってられない。

どれくらいすればいいのか目安はないんですかね
何もないようだと根性論と変わらないので効果測定もできないんですけど
はてな匿名ダイアリー:写経すれば文章力身に付くっていうけど

ゼミの時間に卒論生に「各発表に対して必ず2回ずつ質問すること。質問内容はなんでも良いけど、他人との重複禁止。早いもの勝ち。」というルールを適用しているけど、このルールは「質問しなければいけない」という意識の下で「自分がわからないこと。腑に落ちないことはなにか」を意識することで能動的に他人の発表を聞く(&批判的に聞く)というのを目的としている。

漫然と文章をまるごと書き写すというのが合わない場合には、「本1冊につき真似したい/したくない表現を必ず20個探してリストアップする」と決めて読むなり、書き写したりすれば良いのではなかろうか。こういうルールにすると少なくとも自分が好きな/嫌いなの文体や表現を意識しつつ読むようになるし、リストアップすることでパターンの蓄積ができるので写経を行う目的の幾分かは達成できるのではないかと。

どの国でも花粉症はあるらしい

日本で「花粉症デビュー」した外国人の怒り - 「大迷惑」「今はひどい」の中にもあるけど、海外にも花粉症があるらしい(ただし、スギ花粉とは限らない)。Session 22:【Podcast】「まず顔を洗うべし!?〜最新・花粉症対策!久住英二・長谷部愛・成田崇信」3月17日放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」平日22時〜)にて、「ナビタスクリニック」の久住英二さんが紹介していた。英語で hay fever (枯れ草熱、花粉症)と言うらしい。

先のSession 22の番組によるとスギ花粉症の人がスギ花粉があまり飛ばない国にひっこしたら、スギ花粉症は楽になるであろうとのこと。

図、表、例、式のみに語らせない

学生の論文指導をしていてのメモ。図、表、例、式のみに語らせてはいけない。図や表、例、式で自分が説明したいことはキャプションおよび本文中でしっかりと説明すること。自分が説明したいことを読者に推測させてはいけない。

例えば以下のような図の使い方はダメな例。図4.1が何を示していて、どういう解釈の下で何が分かるのか。分かったことから、主張したいことにどうつながるのかの説明がない。

~の実行結果を図4.1に示す。図4.1で分かるとおり、本提案手法は有効だといえる。

数式は自然言語の曖昧さをなくして、一意に読み取らせるために有用なのだけど

  1. 検討している問題と数式中の変数(パラメータ)との対応の説明がないと誤解を招く
  2. 概要だけをつかみたいとき、プログラムコードからやりたいことを推測するのが面倒であるとおり、数式からやりたいことを推測するのは面倒。先に何を説明するために数式を用いているのかを説明する(対象読者によってどこまで説明するかは変わる)

図や表はそもそも解釈に幅のあるものなので、どこに注目してもらい、何を読み取ってほしいのかを著者がしっかりと明言しないといけない。ただし、読者がその主張どおりに解釈するかどうかは読者の勝手。

また、観測結果そのものとして図をつかう場合(何かの変化を写真などの形式で記録しておく場合)と観測結果の変化や特徴を読者が理解しやすいように図を使う場合(観測データのグラフ化や装置の配置図の提示など)では、図の位置づけが違う。図から何かが分かったのか、分かったことを図の形式で説明したいのかは区別すること。