セロトニン仮説の下では脳疲労にBCAAが効くらしい

TwitterのTLで、脳の疲労にはBCAAが一番効いたというツイートを見て「そんなバカな。脳はブドウ糖だろ!」と思ったのだけど、セロトニン仮説というものの下では効く様子。

BCAAは、Branched Chain Amino Acidsの頭文字で、分子構造から分岐鎖(ぶんきさ)アミノ酸と呼ばれ、具体的には必須アミノ酸であるバリン、ロイシン、イソロイシンのことを言います。

〜中略〜

BCAAを摂取することの効果の二つ目は、中枢性疲労の軽減です。中枢性疲労の一つのメカニズムとして、脳内におけるトリプトファンからのセロトニン生成によるものがあると考えられています。つまり、血中から脳内にトリプトファンの輸送が促進されると中枢性疲労が高まると考えられているのです。脳内にトリプトファンが輸送される場合には、脳血液関門(blood-brain barrier)を通過しなければなりません。脳血液関門のトリプトファンの輸送体はBCAAの輸送体と共通であるため、このゲートを通過する際に競合します。

従って、血中のトリプトファン濃度に対するBCAA濃度が低下すると、脳内にトリプトファンの取り込みが増加して、中枢性疲労が促進されることから(図1)、中枢性疲労の予防・回復にたんぱく質(BCAAを多く含む)の摂取が有効である可能性が示されています。

BCAAとは | グリコ 健康科学研究所 | 研究&実験アーカイブより)

上の引用中に登場する「中枢性疲労」とはなんぞやというと以下のものらしい。

疲労は、末梢性疲労と中枢性疲労に分類される。末梢性疲労とは、脳以外の身体(末梢)、すなわち筋肉などに由来する疲労感覚を感じる状態である。中枢性疲労とは、脳が主体となって疲労を感じている状態である。
疲労 - Wikipediaより)

中枢性疲労の発生についていくつか仮説があり、そのうちの一つがセロトニン仮説とのこと。

セロトニン仮説

中枢性疲労発生機構としておそらく最も有名なのはNewsholmeらによって発表されたセロトニン仮説であろう。運動を長く継続するとエネルギー源として脂肪酸を多く利用するようになる。脂肪酸は血中では血清アルブミンに会合して運搬される。脂肪組織からは脂肪酸が供給され、これがより多くアルブミンに会合することで脂肪酸以外の物質はアルブミンから押しのけられ、血中にフリー(非会合状態)で存在するようになる。アルブミンには多くの疎水性の高い物質が会合して運搬されているが、その中にトリプトファンが含まれる。運動の結果としてアルブミンに結合していないトリプトファンの量が増大する。神経伝達物質としても機能するセロトニンはトリプトファンから生合成される。脳内でのセロトニン合成は基質であるトリプトファン供給過程が律速段階となっている。血中でフリーのトリプトファンが増大することにより、その脳内への供給量が増大することとなる。また長時間の運動では脂肪酸に加えて、タンパク質を分解して分枝鎖アミノ酸もエネルギー源として利用され、血中での濃度が低下するようになる。脳内へのアミノ酸供給にはいくつかのトランスポーターが関与しているが、トリプトファンと分枝鎖アミノ酸は同一のトランスポーターによって運び込まれる。同じトランスポーターを取り合う関係にあるわけだが、拮抗する分枝鎖アミノ酸濃度が低下することも脳内へのトリプトファン供給増大に寄与することとなる。結果として脳内へのトリプトファン供給が増大し、脳内セロトニン濃度が増加することが中枢性疲労の発生につながるとするのが彼らの説である。この説は生化学的に生合成の取れた理論であり、広く認められている。彼らは運動させたラットの脳内各部位でセロトニン濃度が増大することを報告している。また実際に運動開始前に分枝鎖アミノ酸を多く摂取することが疲労感発生を遅らせる効果も報告されている。

この説に対する疑問は、まず運動していないのに感じる疲労の発生機構を説明できないことである。血中での脂肪酸濃度増大や分枝鎖アミノ酸濃度の低下が起きるような状況は長時間の運動を行わなければ起こらない。そのような運動を行わなくとも疲労感が生じるのを我々は日常的に経験している。この説の有効な状況はかなり限定的と考えざるを得ない。(以下略)

06 中枢性疲労発生に関する諸説 - Lab. of Nutrtion Chemistry より)

リンク:憲法研究者に対する執拗な論難に答える

以下を読み始めて、「なんか言い過ぎなんじゃないか」と思っていたところ、この著者に対する反論の記事があった。
synodos.jp

全編とおして大変勉強になった。

特に面白かったのは5 憲法9条2項後段「交戦権」の解釈。原案もなんとなく、訳語もなんとなくとは…

「交戦権」の英訳語である「right of belligerency」という表現は、国際法上の概念として確立しているものではない。

〜略〜

「rights of belligerency」は、「マッカーサー元帥一流の特異の用語」であり、GHQでは意味については別に論議もしなかったとされている。

あと、日本は非核三原則の立場をとっていると習ったし、そう認識していたのだけど、政府としては自衛につかえる核兵器がでたならばその配備は合憲との解釈であったとはしらなんだ(「6 憲法9条改正について」の項)。以前、Session 22に出ていた憲法学者の方が9条は軍拡防止の効果があるので改正すべきでないと言っているのを聴いて「なんだそのへんてこな理屈」と思ったのだけど、自衛のためだから核兵器OKという理屈が通るならば、確かに怖い。

安倍首相も、自衛のための核兵器の保有は合憲であるとし、「政策論として」非核三原則を堅持すると答弁している。

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メモ:未承認の治療に関する一つの考え方

「こういう考え方もあるのかなるほど」と思ったのでメモ。

先進諸国では、未承認のがん治療は、研究治療として、政府に届け出をすることが義務付けられている。しかし、日本では医師が行う保険外の自由診療は、医師の裁量権として、許されている。未承認の治療、研究的治療は、患者に安易に行われるべきではない。本来は医学的に妥当であるか、また人間に投与することが妥当であるか倫理的な問題まで、第三者による厳密な審査(倫理委員会)を経てから投与されるべきものである。このことは、ナチスドイツが行った非倫理的非人道的な人体実験の反省を基にしてつくられた医学研究の倫理規範であるヘルシンキ宣言にも記載のあることである。

 また、患者には生きた〝実験台〟として、研究に参加してもらうのであるから費用を患者から徴収することは、倫理的には許されるものではない。日本の治験制度(承認取得のために政府に届け出をする臨床研究のこと)では、治療費を患者から徴収することはなく、無償提供される。がんの治験では、交通費が1回の通院費用として7000円支給される。日本で未承認で保険適用にない治療法があれば、研究的な治療であり、それは基本的には〝治験〟として行われるべきものである。

〝インチキ治療〟さえ見過ごされる日本のがん対策の現状 WEDGE Infinity(ウェッジ)より)

2017年10月の衆議院選挙への抗議は白票+国民審査全部×で行っては?

2017年10月に第48回衆議院議員総選挙第24回最高裁判所裁判官国民審査が行われる。

この際に、今回の衆院選が行われるに至った経緯やその後の民進党および希望の党周りのゴタゴタに対する意思表示をしたいならば棄権するよりも以下のような投票行動をして、数字として残るようにしてはどうだろうか。

  1. 小選挙区および比例区については白票を投じる(→ 無効票に含まれる形で公表)
  2. 最高裁判所裁判官国民審査については全員×をつける (→ 各裁判官への不信任数として公表)


国民審査の方は×以外の表記(空白、○など)は一律で信任としてカウントされるとのこと。また、多くの場合は最初の方の裁判官には×がつけられるが、後ろの方の裁判官には×がつけられない傾向があるとのこと(参考:【音声配信】「最高裁裁判官の国民審査〜7人の裁判官はどんな判決を下してきたのか」江川紹子×西川伸一×長嶺超輝×荻上チキ2017年10月12日(木)放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」22時~))。

なので、上記の投票行動をとると、最高裁判所裁判官国民審査の不信任数の最頻値(あるいは中間値)と同じ分だけの無効票が「不満の意思を持って投じられた白票数」とみなすことができる。

  • 白票を投じると組織票を持つ政党(自民党、公明党、共産党など)に有利になるのを理解する必要がある。
  • この方法の利点は公的に数値として残るという点。
  • 投票を棄権した場合は、選挙に関心がない人間との区別がつかない。よって、組織票を持つ党は無視しても良い。一方で、提案方法は選挙には行くという意思表示なので、次回の選挙では考慮の対象になる蓋然性が高い。
  • 国民審査は形骸化しているので、こういう風な使い方をしても問題ないと思う。むしろ、この方法で史上初の罷免が起こったらそれはそれで制度改革のきっかけになるのでよい。

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