残念ながら技術までにはまとめきれなかった。
まとめ
- 完璧主義者だから質問しないのではなく、わからないという事実を悩んでいるだけで、何がわからないのかを考えていない(考えることができない)学生、別の言い方をすると「何がわからないか」がわからないをそのままにしておく学生もいる
- このような学生は、失敗を恐れない、意図的に質問をするように心がけても、質問はできない。理由は質問の内容がないから。
- 「何がわからないのか」を取り扱うステップは以下のとおり
- 自分が『考えている』のは、『何がわからないかわからないので困った』ということなのか、『何がわからないのか』なのかを区別する
- 何らかの方法を用いて自分の頭の中を可視化する
- 頭で考えるのでなく手で考えるということ
追記2
はてなブックマークのコメントにとても良い指摘があったので転載。
- ステップ1は自分のわかるところから、分からないところの境界線を探すだと思うが。。。
私は、これをステップ1にするのは敷居が高すぎると思っています。今回提案している手順は、実は「自分のわかるところから、分からないところの境界線を探す」方法です。慣れちゃっている人は、いきなりステップ3に飛んで、自分のわかるところから、分からないところの境界線を探せばよいと思います。
本文
はてな匿名ダイアリー:私の修士での2年間は失敗に終わったは、いろいろと論じたいポイントがたくさんあるのだけど、一番気になるというか、心配なのは「質問できなかった」ということに対する分析がちゃんとできているかどうかという点。
「質問するべきだった」「質問することは必要」という認識は持たれているので、修士2年間が無駄だったとは全く思わないけど、実際に質問できるのかという点は少し心配。質問できなかったという事実があるとき、技術的な要因と気持ち(環境)の要因の両方の側面があるのでその部分を良く検討し、今後の改善方法(not 精神論)を見つけないと、良い先輩や上司に出会えない時にしんどいことになるじゃないかと思う。
質問に関する記述の部分を抜粋。
おかしくなりはじめたのはM1の6月あたりから。つまるところ研究がはやくも進まなくなった。
進まなくなった理由は単純で「私が先生にあまり質問しなかった」からである。
けっこう最先端のことをやっているのだから、当然わからないところが出てくる。しかも「何が分からないのかわからない」という状態に陥った。けどやはり院生たるもの「何が分からないのかわからない」なんてことは言えないし、精一杯自分で調べようとした。その結果、どんどん質問できなくなるという悪循環に陥っていき、進捗報告とかもあんまりしなくなっていった。というかそもそも報告できる内容とかもあんまりなかったような気がする。
大学院に入る前まで特に先生に質問をしたという記憶があまりない。分からないところがあっても問題集の解答や解説を読めば理解できたし、大学の授業や単位とかでも困ったことはなかった。でも大学院ではそんなやり方は通用しなかった。そういえば小学生の頃からゲームとかでも困ったら自分で考えようとせずすぐに攻略本を見るタイプだった。
これから大学院に入る人へアドバイスする資格など私にはないと承知しているが、ぜひとも「質問する力」を身につけていって欲しい。私にはそれができなかった。
春から企業でエンジニアとして働く。もう助けてくれる先生はどこにもいない。また大学院の2年間と同じようなことを企業で繰り返すかもしれないという恐怖がある。
上記の記述からすると、技術と気持ちの両方の要因が入り混じっているように思える。私の所属研究室の以下のような学生がいる。
- 教授や私(助教)が質問を受け付けていることを知っている
- 質問をするという重要性自体は何度も言われており認識している
- でも、まったく質問しない
こういう学生は、価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれないや卒業研究・修士研究時の悪循環を防ごうで書いたような完璧主義者気質を持つ学生であることもあるのだけど、一方で、わからないという事実を悩んでいるだけで、何がわからないのかを考えていない(考えることができない)学生、別の言い方をすると「何がわからないか」がわからないをそのままにしておく学生もいるのではないかと最近思うようになってきた。
「何がわからないか」がわからないをそのままにしている場合、気持ちの要因からの解決方法(失敗を恐れない、意図的に質問をするように心がける)では質問をできるようにならない。なぜならば、質問するべき内容がないため。技術的な要因からの解決方法(緩和方法)が必要となる。
第一ステップは、「自分が『考えている』のは、『何がわからないかわからないので困った』ということなのか、『何がわからないのか』なのかを区別する」だと思う。
- 「何がわからないかわからないので困った」ということを考えている(これは悩んでいるだけ)ならば、「じゃあ、どうする?」と質問を展開してみる(これが実際に考えるということ)
- 「何がわからないのか」を考えているならば、「わかっている」ことや、現在認識している「わからないこと」を可視化する。
第二ステップは、何らかの方法を用いて自分の頭の中を可視化すること。私が観察する限り「何がわからないか」がわからないをそのままにしておく学生は、可視化の試みをまったくしていない。その理由は以下のとおり。
- そもそも可視化する必要性を理解していない
- 必要性を理解していても、可視化の手法を持っていない
- 可視化の手法をもっていても、その手法を行える環境をそろえていない
可視化の代表的手法は言語化(単語や文章にすること)。あとは、図化、表化、数式化など。とにかく、他者が認識できるようにするのが可視化。もし、それが自分にとってやりやすいならば、視覚を除く、聴覚、味覚、嗅覚、触覚で認識できるようにしても良い。「何がわからないか」がわからないをそのままにしておく学生の多くは、そもそも、メモを取る習慣がない。また、考えたということを頭の中だけで覚えておく傾向が多い。あと、同じ可視化手法ばっかりを使っているような印象がある。
第三ステップは、頭で考えるのでなく手で考えるということ。頭の中を可視化したからといって、考えがはっきりしたり、わからないことがわかったりするわけではない。それをこねくり回しているうちに考えがはっきりしたり、わからないことがわかったりする。「何がわからないか」がわからないをそのままにしておく学生は、効率主義者の傾向が強い気がする。本人が無駄だと思うことをやりたがらない。そして、正解じゃないことは無駄だと思っているので、試行錯誤をせずに一発正解を狙っているような気がする。
わからないのだから、自分の持っている可視化手法を駆使して、自分が認識している範囲でパラメーター(変動要素)をいじってみて、「わからない」と思っている対象を突っつきまわしてみないといけない。本来は表を使って考えるのが適切でない事柄だって、表にする前にはそれがわからないのだから、とりあえずやってみればよい。だめならば、箇条書きで書いたり、マインドマップ書いたり、ユースケース図で書いたり、あるいは、オリジナルの表現形式でとりあえず書いてみればよい。
こねくりまわし方の事例
メカニックデザイナー、アニメーション監督・演出家の河森 正治さんのこねくり回し方。
「変形の河森」と呼ばれ、ロボットから他形態(飛行機・車)への変形機構デザインをライフワークとしている。平面上の図案に止まらず、自ら試作モデルを作り、立体化を提案するプランナーでもある。この試作にはレゴブロックを用いるが、可動部を綿密に検討するため、デザイン完成まで数年掛かりという場合もある。なお、子供の頃に親から買ってもらったフィッシャーテクニックというブロックはその性質上、可変メカの試作という点ではレゴよりも数段上との事で、あれがあれば楽だけど手に入らないからレゴを使っていると語っている[9]。『マクロスF』の主役機・VF-25では、河森のレゴ試作をCGスタッフが忠実に3DCGモデルで再現し、それを基にCGモデルを製作する手法が採られている[10]。
ja.wikipedia:河森 正治
小説家&元大学教授の森博嗣さんのこねくり回し方。
学生に「考えてきたか?」と尋ねると、「考えましたが、ちょっと良い案を思いつかなくて」と言う。「じゃあ、悪い案を幾つか見せなさい」と言うと、きょとんとした顔で、「いえ、悪い案も思いついていません」と言う。「考えましたが、まだ、ちょっとまとまらなくて」と言うから、「では、まとまらないものを見せて下さい」と言っても、たいてい見せてもらえない。
こういうのは、僕の場合「考えた」とはいわないのである。
「いろいろ考えてはいるんですけどね」と言い訳する人には、その「いろいろ考えたものを見せてくれ」と頼む。ところが、たいていは、せいぜいあっても1つしか案がない。1つの案しかないのに「いろいろ」なんて言うなよ、と思う。1つでは選べない。これでは何を考えていたのか、問いたくなる。
(DESIGN IT! w/LOVE:Fw:本当に考えたの?(それは「考えた」と言わない。)で引用されている「MORI LOG ACADEMY: 本当に考えたの?」より]
佐藤可士和さん&大貫卓也さんのこねくり回し方。アイデアを出すときには数十例〜百数例を実際に作るという方針。
- 糸井
- よかったねぇ。
- そういえば、大貫くんのアイデアを出すときの惜しみなさは、可士和くんにつながるものがあるかもしれない。
- 佐藤
- それは大貫さんから学んだんです。
- 大貫さんとやらせてもらった時期が、ぼくにとっては学校みたいなもので、「コンセプトを考えぬく」ということを教わりましたね。
- 糸井
- 大貫くんって、四〇案ぐらいだすでしょう?
- あれは学んだほうがいいよね。
- ぼくは大貫くんとは仕事ではあまり接していないんだけど、作品にメッセージが入っているから、しゃべらなくても、考えそのものが、ほんとうによく伝わってきますよね。
- 大貫くんが捨てる案を三十九も考えるというやりかたって、可士和くんには、ショックでしたか?
(ほぼ日刊イトイ新聞 - デザイン論!より。改行変更はnext49)
宮本茂さんのこねくりまわし方。
だから、これは極端な例ですけれども、もしも、ゲームがいつまでたってもまとまらないときは、「タイトル画面をつくれ」って言うんですよ。
で、タイトル画面をつくると、そのつぎは「『1人用、2人用』って出てくるの?」って質問できるようになるじゃないですか。「いや、出てこないですね」ってなったら、そういうふうにすればいいわけで、「じゃあ、つぎはなにが出てくるの?」って訊いていくと、流れやフローチャートがどんどんできていきますからね。それは、自分に対しても、やるんです。そういうふうにしていくと、自分の残りの仕事が見えるようになりますから。〜中略〜
この、「見える」というのが重要で。漠然と考えているときというのは、自分の残りの仕事が見えてないんですね。だから、なにをどれだけ考えているのかすら見えない。そうすると、もう、チームって、「なにを悩んでいるのかわからないのが悩み」みたいな状態になっていくから、そういうときはできるだけ、形で見せるようにしなくちゃいけない。見ながら出たネタにはハズレは少ないはずです。
(宮本茂さん、『Wii Fit』などを語る。:第8回 イメージの要所に杭を打ち込むより)
じゃあ、具体的に可視化ってどうやるんだよ
じゃあ、具体的に可視化ってどうやるんだよ!という感想をお持ちでありましょうが、私も他人にきっちり教えられる可視化手法がない。
思いつくままに表現形式とその使用目的。
- 箇条書き:わかっていることのグルーピングの準備。わかっていないこと(箇条書きとして列挙しなかったこと)の可視化。説明の詳細度・クラスが同じであるかどうかのチェック
- 番号付き箇条書き:順番がある事柄の可視化。
- 見出しつき箇条書き(HTMLでいうdlタグ):用語の定義のチェック
- 関連:「ポリリズム」ばりに広まってほしい「パラレリズム」
- マインドマップ:概念の階層的展開の手助け。頭に思いついたキーワード間の関連付け。
- グラフ(グラフ論のグラフ):識別できる事柄間に関係があるときの可視化。とりあえず迷ったらグラフで図示を始めることが多い。
- ベン図:集合間の関係の可視化。
- UMLのシーケント図:複数主体間でのコミュニケーションの可視化
- フローチャート図:分岐やループのある逐次的事柄(順番のある事柄)の可視化
- データフロー図:入出力があり、かつ、処理順番のある事柄の可視化
- 質問:概念や考えの展開に
- 関連:質問テンプレート
- 数式&グラフ作成ツール:パラメータによって変化する事柄の可視化。あんまり使っていない。
- プログラム:分岐やループがあるパラメータによって変化する事柄の可視化。
自分がわかっていることについての確認としては、箇条書きを使うことが多い。比較を行うときには表を使う。あいまいな事柄については「まず、図にできないか?」というところから、考え始めることが多い。図は、再利用の観点からデジタルで書くのが一番なのだけど、制限が多すぎるのでコピーの裏側にフリーハンドで書いてみて、それなりにまとまったらデジタルに書き直すのが多い。文書の場合は編集のしやすさが思考の速度をそがないポイントなので、ほとんどデジタルで書く。