NBonline:「『消費者は何も分かってない』と怒っている製品開発者さんへ」の感想

重要で、おもしろそうなことが提起されているように思えるけれども理解できず残念。専門家じゃないと理解できないのかな。

3ページ構成なのだが、最初の2ページはよく理解できるし、納得できるのだけれども3ページ目は突然理解できなくなってしまった。2ページまでは、「聞き手が発表を理解していくプロセスを想像して、聞き手が理解しやすいようにプレゼンテーションをしなければいけません。なのに、日本人の発表はうまくない。」という話だった。ところが3ページ目は突然、プレゼンテーションの話からマーケティングの話になっている。

そして、理解のキーになる発想の転換の部分が難しい日本語になってしまっており理解しづらい。

商品開発のプロセスにおいては、ユーザーの声を反映した製品設計をしていくことはあっても、彼らにとっていったん出来上がった製品は「パーフェクト」なのです。あとは大量広告による「リーチ×フリクエンシー」のパワーで、企業から消費者へ製品の価値を “伝えれば”売れると信じてきました。消費者の側に立ってどう“伝わったら”買ってくれるだろう?などと思ったことはなかったはずです。

「消費者の側に立ってどう“伝わったら”買ってくれるだろう?などと思ったことはなかったはずです。」とはどういう意味?

そして、

日本企業の多くは、広告に以前の様な"伝える力"がなくなった今になってようやく、どうしたら"伝わる"のだろうと聞く側の視点でマーケティングのコミニケーションを考えはじめています。

「伝えるためには、聞き手が理解しやすいようにプレゼンをしなければならないのに、日本人はそれができなかった」と2ページ目までで説明しているのに、日本企業の広告は以前は伝える力があったというのはどういうこと。プレゼンテーションと広告の話は関係ないのであれば、別に矛盾ではないけれども、だとすると、前半のプレゼンテーションの話は何の意味が?

あと、

 その観点で、欧米ではマーケティング領域で聞く側に立ったメッセージを伝える方法論としてPRが多用されてきました。日本ではまだまだPRが普及してないのはやはり、消費者視点からの情報伝達という感覚があまりないからなのでしょう。

PRって何? Public Relationsの略であるならば、それは広告とどういう違いが?

日本企業の以前の広告の伝える力があった理由はどうしてで、何故、いまそれが通用しなくなったのか?従来の日本企業の広告が持っていた伝える力が現在に通用しなくした要因を、どうして、「より聞く側に立った"パーセプション" (知覚、 認識,物の見方 、理解)という概念でマーケティングのプランを設計」したら回避できるようになるのかよく分からない。

以上、コメント欄にはとてもかけないのでエントリーにたてた。