以下のBlogで紹介されていたので読んだ。
光文社発行の書籍より
〈目 次〉
はじめに
第一章 アホ大学のバカ学生
第二章 バカ学生を生む犯人は誰か?
第三章 バカ学生の生みの親はやはり大学!?
第四章 大学の情報公開をめぐる二つの講演
第五章 ジコチューな超難関大
第六章 「崖っぷち大学」サバイバル
終章 バカ学生はバカ学生のままか?
あとがき
参考文献
大学ギョーカイ用語集
タイトルほどは中身は挑発的でないように思った。第一章で現代の大学生のよくない部分をクローズアップして紹介。二章と三章で学生があまり賢くない行動をとるようになったと思われる原因を紹介している。どれもそれぞれごもっとも。四章は大学の情報公開に関する姿勢の違いを、極端に大学側の講演と極端に非大学側の講演で、典型的に紹介している。非常に衝撃的で挑発的で、かつ典型的で面白いけれどもどう考えても創作。作者のいろいろな言い訳も「まあ、大人だったらわかるでしょ。」という感じ。別に創作でも問題ないのに。五章は東大、京大、早稲田、慶応が日本のトップ大学でもあるのにもかかわらず自分たちだけにかまけている姿を「自己中心的」とみなして紹介している。六章では、その他の大学の試みや状況をいくつか紹介している。最終章では、学生が成長するのはどういうときなのかを紹介している。
全体的にはかなりフェアな書き方をしていると思う。私は大学教職員なので多少は「ちょっとちょっと」と思うところもあるけれども、この本は「大学」を批判しており「個人」を批判しているわけではないので、私がどうなのかという話と組織としての大学がどうなのかという話は切り分けて読まないと読者としてフェアでない。学生についても「バカ学生」と挑発的な書き方をしているが、機会が与えられれば素晴らしく成長するというように述べていることから、暗黙に「今の学生は成長する機会が乏しいだけではないの?」といっているように思える。
特に大学側の人間として一言も返せないのが「情報公開」について。
103ページ
入学者数や卒業者数、就職者数などの基本情報を公開することは広報云々の問題ではない。国の認可を得て一兆円以上の税金投入を受けているならば、情報公開は当たり前の話なのである。
まあ、おっしゃるとおり。一兆円以上の税金投入しているのならば情報公開はするべき。
予算額を見ても、国立大学の運営交付金は少ない額ではなさそう。ただし、文部科学省:「教育指標の国際比較」(平成18年版)の一般政府総支出に占める公財政教育支出の割合の高等教育の数値を見る限りでは、日本はそもそも十分な予算を取っているとはいえないことは考慮の余地あり(平均が3.0%、日本は1.6%)。
- 文部科学省:平成19年度 文部科学省一般会計予算の構成
- 国立大学法人運営費交付金:1兆2,044億円
- 私立大学助成金:4,547億円
- (参考)義務教育費国庫負担金:1兆6,559億円
- (参考)厚生労働省:平成19年度予算
- 医療:8兆4,285億円
- 年金:7兆305億円
- 介護:1兆9,485億円
- 福祉:3兆3,371億円
- 雇用:2,213億円
- (参考)国土交通省:平成19年度予算
この本で少なくとも情報公開をするべしと言っている項目は以下のとおり。
- 入試情報
- 入試制度別の志願者数
- 入試制度別の受験者数
- 入試制度別の入学者数
- 総入学者数にしめる入試制度別の入学者割合
- 就職率
- 全卒業生数に対する就職先決定率(現状は就職希望者に対する就職先決定率が就職率として出されている)
- 注:私は就職率ではなく、進路決定率(就職先決定者+進学者/卒業者)が良いと思う
- 現役卒業率(学生が4年間で卒業できた率)
- 年度ごとの就職先実績
ちなみに国立大学法人は最後の二つを除いて公表している。探しにくいと思うけれども。ただし、就職率は就職希望者に対して就職先が決定した率なので自分で計算しなおす必要がある。国立大学が現役卒業率を公表したくないと消極的に思う理由は、
- 大学としては大学のブランド力維持のためにある程度の能力を持った卒業生を輩出したいので、能力がない学生には留年してもらいたい
- 実際に就職率や卒業後の学生の質が大学評価(運営費補助金の額に反映)の項目に入り始めている
- 入り口で質の悪い学生をふるい落とそうにも、定員の充足率が悪いと大学評価にペナルティが課される
- 学生の人数で教員の定員がほぼ決まっているので入学定員を減らすのは困難(定員が減っても学生に学ばせる講義科目は減らない)
- 最近は大学に来なくなってしまう学生もいて、家族でもどうしようもないのに大学がどうにかできるとは思えない(けど、電話かけたり、カウンセリングに誘ったりといろいろするのだけれども)
以上の複合的理由から現役卒業率は消極的に発表したくないのが本音。以下、全部apjさんのブログのエントリーですが国立大学教員の状況の参考に。
まあ、どういう進路を選ぼうが学生の自由だが、就職しませんと自ら意志決定する学生が居ることで、就職率が下がったとか、大学評価に影響するといったことになるのは困る。学生が進路をどうするかは自己責任だし、学生が意志決定したことは、あくまでも学生が結果を引き受ける範囲だけで閉じていないとまずい。教員側にできるのは、就職活動の足を引っ張らないようにゼミや実験のスケジュールをするとか、情報を得る手助けをするとか、必要な推薦状などを発行するといったことだけである。
定員超過の原因は、定員の充足率が悪いとペナルティがあることと、多様な入試&多数回のチャンスを受験生に与えろという文部科学省の方針が原因なわけだが。
「準」ではなく本当に引きこもり状態になって学校に来なくなる学生への対応をする羽目になっているのが大学教員の現実で、だからといって大学教員はカウンセラーじゃないから何をどこまでアドバイスすればいいかもわからず、学内じゃ教員に対する説明会まで行われている。
一方、この本で目から鱗なのが132ページ。DHT代表・物木有三氏の発言とされている部分
別の大学では、教員が「今の学生は卒業後の進路をきちんと連絡しない。私たちだって困っているんだ。」と話していました。〜中略〜。学生に責任転嫁をするなら、「卒業後の進路を大学に届けない限りは卒業を認めない」と内規に定めればいいのです。
この進路先を知らせずに卒業してしまう学生は本当に困っているのでこれが可能ならばこうしたい。でも、裁判で負けそう。
また、この本では広報能力の不備に関しても延べられている。この部分については大学プロデューサーズ・ノート:『最高学府はバカだらけ―全入時代の大学「崖っぷち」事情』に詳しい。
終章で語られている「成長する機会」については、ここにあげられている事例だけから考えると、「自分の価値観の外にいる人間と触れ合う機会」と言い換えて良いように思う。石渡さんの主張は「今の学生は昔と異なり自分の価値観の外にいる人間と触れ合う機会が少ないのだから、大学側がそれを用意してあげるのが良いよ。それが面倒見の良い大学だとみなされる条件だよ」と言っているのだと思う。
自分を振り返ってみても、「横のつながり=同年代前後、同組織内の関係」(あんまり得意じゃなかったけど)しかなく、「縦のつながり=世代を超えた関係、組織を超えた関係」がなかったからなぁ。世代を超えて接するのが親と先生だけというのでは、緊張感が足りず成長はできないだろうとは思う。でも、大学でそれをどうやって演出するのかは非常に難しい。
総評として、大学関係者は読んで損はないと思う。