模様を決める方程式:Turingの原理

Togetter:「虫の模様ってどうやって決まるんだろ?」-チューリング理論の証明-で、アラン・チューリングが生物系の話もしていることを初めて知った。

他分野ながら、非常に面白い。近藤先生は文章もうまいね。

4月からの3か月で研究室/ゼミの存在意義が理解できなかった方のためのリンク集

「3か月間放置プレイ中です」という感想もあろうかと思いますが、本当にそうですか?というのが私のご提案です。

  1. 提案という形式で「やっておいた方が良いこと」が提示されていませんでしたか?
  2. あなた個人宛でありませんが、教員や先輩が研究室の全員に向けて説明していたり、メールを出したりしていませんでしたか?
  3. 就職活動や大学院入試を優先させるということで、特に何も言われていませんが、同じ研究室の他の卒論生は着々と何かをしていませんか?

リアル放置プレイな可能性も高いですが、学べることは学びとれる姿勢、体制、環境にしておくと長い目でみてあなたにとって有利なことだと思います。

あなたの議論能力および発表能力は何段階目でしょうか?

なぜ、他の人の発表練習や進捗報告を時間をとって聞く必要があるのでしょう?

特に他人へのダメだしに聞き耳たてていますか?

もしかして、あなたの頑張りに応じて、先生や先輩の振る舞いが変わっているのかも?アウトプットは出していますか?

そもそも卒業研究のテーマは決まっていますか?

放置されているという認識の下、どう対応し始めていますか?

そのほかの過去エントリーリンク集

なんで模範解答公開しないのだろう?

そういえば、大学教員になり入試実施側になるまで、入試問題の正解というのは大学が公開しているものだと思い込んでいた。なぜなら、通称、赤本と呼ばれる大学ごとの入試問題の過去問題集があったから。まさか、あの解答を第三者が作っているとは思わなかった。

試験直後に正解を公表すると解答のミスがあったときに困るので、1年後から半年後に公開したらよいのではなかろうか。そのくらいに公開するならば、大学にとっての不利益は、ほとんどないと思う。

問題を公開しているのだから、解答だけ隠しておいても問題の使いまわしはできない。インターネット普及前までならば、公開しないことで出題ミスをごまかせる可能性があったが携帯電話からすらネットにつなぐことができる現在では、この点で隠しておく理由はない。解答のミスについては、採点中に疑義がでて修正されることもある(バザールモデルのメリットであるたくさんの目があるから発覚しやすい)。このとき、解答がすでに公開されていると新聞沙汰になってしまうので、採点前に解答を公開するのは経験的に大学側は嫌がると思う。採点ミスについては、正解であるのに不正解にしてしまう方の間違いは、比較的厳しくチェックされるのでそれほど問題ないと思う。

ただし、解答を公開することで悩ましいのは部分点の一貫性。センター試験のようにデジタルな採点ならば話は別なのだけど、普通、個別入試はセンター試験では測れない記述能力を測定するのが目的。なので、記述式の問題が多くなる。このとき、完全正解でなくても部分点が与えられることが多い。当然、出題者によって部分点の基準が示されるのだけど、受験生は個性的なので、予想外の解き方をする学生もたまにいる(とんでもない方向にスタートダッシュきって、そのままゴールする人がたまにいてびっくりする)。このとき、採点者間では、部分点をどう扱うのかを統一しなければならないのだけど、採点者が増えるにつれ、回答者間の学力差が増えるにつれ、部分点の与え方を統一するのがどんどんと難しくなる。受験生が多ければ、採点者も多くすることで負荷分散したいわけだけど、採点者が多くなると採点基準の適用の仕方についての合意形成が面倒になる。で、解答を公開すると、事実上、採点者が爆発的に増えるのと同じなので採点基準の適用の仕方について合意をとるのは事実上不可能になる。

9割5分の受験生は採点基準の適用の仕方について問題なく感じたとしても、5分の学生が問題視したとき、話は面倒になる。部分点の適用はどうしてもぶれるわけで、何人かは部分点を根拠に「私の答案なら合格のはずだ!」と主張してくるかもしれない。このとき、出題ミス、解答ミスならば逆に話は早いのだけど、採点基準の適用の仕方のブレによる部分点の与え方の違いが原因だと、これを異論を申し立てる受験生に納得させるのはかなり厳しい。ここで人的・時間的コストが費やされると、翌年度から「ブレないような問題を作ろう」みたいになって、個別入試のセンター試験化が起こる可能性がちょっとだけ存在すると思う。

どちらかといえば、役所側の立場にいる人間としては、95%の人が良いねといってくれても、5%の人が激烈に文句を言ってきて、こちらのリソースを圧倒的に消費してしまう場合は、それ自体を止める(やらない)選択をしがちなような気がしている。5%の人の文句(正当か、正当でないかを問わず)に対するリソースが準備できていないかぎり、その文句で他のリソースも消費されるので、業務全体に影響がでる。そのとき、ほとんどは良い評価が下されない傾向にあるような気がする。たぶん、入試解答の公開は、陰謀論や大学の傲慢さが原因というよりは、5%の人の文句に対するリソースが準備できていない(できない、できそうに思えない)からではないかと思う。こういう判断は、結局、トップの決断とリソース分配でどうにでもなることなのだろうけど。

ちなみにいろいろ言ってくる教員を黙らせる言葉として「では、〜については先生が責任を持ってご担当いただけるのでしょうか」という一言は結構破壊力強いと思っている。

「どうしたらいいんですか?」と聞く前に

何をしたいのか、何を説明したいのかをはっきりさせよう。適切な「どうやって」は、「何に」「何の目的で」によって変わる。

「列車がいいですか?車がいいですか?」への回答は、「どこに」「どういう目的で」行くのかによって変わる。「どこに」「どういう目的で」も伝えてくれないのに「どう行ったらいいですか?」と尋ねられても困る。「どこに行きたいの?」とまず最初に聞き返したい。