菊池誠氏の「福島の甲状腺検査は即刻中止すべきだ」への批判点整理

はじめに

甲状腺集団スクリーニングは止めるべきという主張に私は賛成。で、反対する人はどこの部分で反対しているのかを整理したくてこのエントリーを書いた。

元エントリー

webronza.asahi.com
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本稿では福島で現在行われている甲状腺検査について考える。最初に結論を書いてしまうと、筆者はここで、甲状腺検査が医学研究倫理に反しており、受診者の人権を侵害しているので即刻中止するべきと提言する。
福島の甲状腺検査は即刻中止すべきだ(上) - 菊池誠|論座 - 朝日新聞社の言論サイトより)

批判レベル

以下の4つのレベルにわけられると思う。検討すべき批判点はレベル3の部分のみというのが私の考え。

  • レベル1: 「ガン検診において過剰診断があり得る」に反対(受け入れない)
  • レベル2: 「甲状腺集団スクリーニングの不利益が利益を上回る」に反対
  • レベル3: 若年層限定で「甲状腺集団スクリーニングの不利益が利益を上回る」に反対
  • レベル3.5:被ばく下においては「甲状腺集団スクリーニングの不利益が利益を上回る」に反対(追記:2019/7/1 22:00)
  • レベル4: 社会全体で見た時に「甲状腺集団スクリーニングの不利益が利益を上回る」に反対

レベル1: 「ガン検診において過剰診断があり得る」に反対(受け入れない)

ガン検診の分野ではずっと言われている一般的な概念みたいなので、ここは議論がないと思う。

「過剰診断」とは、生命を脅かさないがんを発見することです。
がん検診で発見されたがんの中には進行がんにならずに消えてしまったり、そのままの状況に留まったりするため、生命を脅かすことがないものもあります。現在の医療では、どのようながんが進行がんとなるのか、生命予後に影響を及ぼすかはわかっていません。早期治療を考えると、このようながんにも通常のがんと同じような検査や治療が行われるケースがあります。
(日本医師会:知っておきたいがん検診:がん検診のメリットデメリット]より)

がん検診はがんによる死亡を防ぐことを目的に、がんによる症状が発現する前に発見し、治療するために行われる。ここには、がんは放置すると進行し致死的となるという前提が存在するが、放置しても、致死的とはならないがんも、一定割合で存在する。端的な例はがんが進行して症状が発現する前に、他の原因で死亡してしまうようながんを早期に発見する場合である。こうした例は、がんの成長速度が極めてゆるやかであったり、極めて早期にがんを発見した場合、あるいは、がんが発見された人が高齢者であったり重篤な合併症を有する場合に生じやすい。このようながんを診断し、治療することは、受診者にとっての不利益につながることから、過剰診断と呼ばれる。
科学的根拠に基づくがん検診推進のページ:用語解説「過剰診断」

過剰診断とは、検診によって発見されたがんであっても生命予後には影響しないものと定義される22)。すなわち、がん検診のない状況では本来発見されるはずのないがんが相当する。がんの発生から診断に至る過程(滞在時間)はがん種によりその期間は様々である。しかし、すべてのがんは一様に進展するわけではなく、成長が緩やかながんや途中で進展が滞ったりあるいは消退してしまう病変もあり、こうした病変を発見することが過剰診断に該当する可能性がある。成長の緩やかながんとしては前立腺がんや甲状腺がんが該当する。また、子宮頸がんの前がん病変であるCINは進展が滞ったり、あるいは消退してしまう可能性がある。がん検診を行うことでこうした病変を過剰に診断することは、結果的には過剰治療を招くことになりかねない。しかし、特定のがんに限らず、どのようながんであってもがん検診を行うことによって、一定の割合で過剰診断が生じることは不可避である154)。
([Mindsガイドラインライブラリ:有効性評価に基づく前立腺がん検診ガイドライン「5.不利益の評価 1)過剰診断」]より

過剰診断のもっと詳しい説明。
natrom.hatenablog.com

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interdisciplinary.hateblo.jp

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レベル2: 「甲状腺集団スクリーニングの不利益が利益を上回る」に反対

ガン検診の考え方。

がん検診に限らず、あらゆる検査には「偽陰性」(本当は+なのに-と出てしまう)と「偽陽性」(本当は-なのに+と出てしまう)がつきもので、これらに伴う不利益はよく知られている。それだけでなく、過剰診断も本人の生命予後には関係しない治療につながるので不利益と扱わなければならない。がん検診を事業として実施するか否かは、がん死亡減少の効果があることをきちんとした臨床試験で確認したうえで、死亡減少の利益と、偽陽性、偽陰性、過剰診断によりもたらされる不利益とを比較衡量して判断するべきである。
がん検診による「過剰診断」とは何か~公衆衛生医から見た福島の甲状腺検査の問題点~ 大島明 大阪国際がんセンターがん対策センター特別研究員より)

検診のベネフィットは、死亡者を減らす、QOL(生活の質)の下がりかたを抑える、などがあります。いっぽう、ハームとして、検査に伴う出血・穿孔、などがあり、また、病気と診断される事による心理的身体的負担、あるいは、病気で無いのに病気と判断されてしまう事(偽陽性――誤った陽性判断)などが生じます。
そして、議論の的となりやすい、過剰診断(余剰の発見)があります。過剰診断とは、それによる症状が生涯にわたり発現しないもの(つまり、症状が出る前に、他の原因で死亡する)を見つける事です。

がん検診では、ベネフィットとして主に、死亡を減らす事を評価します。ハームは、偽陽性・過剰診断、検査に伴う出血や穿孔等の身体的害(偶発症・併発症)などです。そして、それらを比較して、推奨するかどうか決められます。
評価方法としては、1人の命を救うために何人に検診する必要があるか(便益)や、何人に検診した場合に、1人に害が及ぶか(害)、といった指標によっておこなわれます。
Interdisciplinary:「過剰診断があるから甲状腺がん検診は止めるべき」、などと言うべきでは無い より)

「甲状腺集団スクリーニングの不利益が利益を上回る」は、現時点では確立した知見であるみたい。

米国予防医学専門委員会(USPSTF)は広く尊重されている独立の専門家パネルで、系統的に科学的根拠の総括を行い、臨床予防医学の提言を行っている。USPSTFは健康で無症状の集団における甲状腺がんスクリーニングを推奨しないとしている(Bibbins-Domingo et al., 2017)。この提言は、リスク因子が特定されていない成人の集団における甲状腺がんのスクリーニングは偶発的な緩慢性腫瘍の発見につながる懸念と、甲状腺がんの臨床検出以前の早期発見による疾患特異死亡率減少の根拠がないことに基づく。
原子力事故後の甲状腺健康モニタリングの長期戦略:IARC専門家グループによる提言(邦訳) p. 39より)


――USPSTFは、無症状の成人に対する甲状腺がん検診を推奨していません(注6)。この理由はなんでしょうか。
(注6)US Preventive Services Task Force. “Screening for Thyroid Cancer: US Preventive Services Task Force Recommendation Statement.” JAMA. 2017;317(18):1882-1887. doi:10.1001/jama.2017.4011

甲状腺がんの場合、検診を受けたグループと受けないグループとに分けて比較すると、甲状腺がんによる死亡率に差があるということがわかっていません。つまり「死亡率を下げる」というがん検診の最大のメリットが証明されていません。

一方で、甲状腺がん検診もがん検診ですから、先ほどお話したデメリットは存在します。これらのことから、無症状の成人に対する甲状腺がん検診は、メリットとデメリットが見合わないと判断され、推奨されていません(USPSTFグレードD)。

公正で倫理的な「天秤」を持つ――がんのスクリーニング検査のメリットとデメリット / 津金昌一郎氏インタビュー / 服部美咲 | SYNODOS -シノドス-より)

上述のUSPSTFの日本語訳(2019/7/1 22:00追記)
www.cancerit.jp


甲状腺ガン検診において過剰診断が発生しているだろうという間接的な知見。
www.env.go.jp

この点に関する反論として、スクリーニングによりガンを発見しても経過観察すれば、過剰診断の害(過剰治療)を軽減できるというのがある。
www.jstage.jst.go.jp

経過観察しても過剰診断は過剰診断ですという話。
interdisciplinary.hateblo.jp

レベル3: 若年層限定で「甲状腺集団スクリーニングの不利益が利益を上回る」に反対

このあたりの議論は私はよくわからない。

今回の福島での甲状腺集団検査は除外するけれどもという限定で甲状腺モニタリングの長期戦略に関する国際がん研究機関(IARC)は「甲状腺集団スクリーニングの不利益が利益を上回る」ので推奨しないとしている(若年層含む)
synodos.jp
www.nikkei.com
www.env.go.jp

一方で以下の認識で「若年層限定では甲状腺集団スクリーニングの利益が不利益を上回る」という意見がある。

  • 小児の甲状腺ガンは進行が早い
  • 福島の甲状腺検査で甲状腺ガンが見つかった患者は処置が必要な患者が多かった

matome.naver.jp

レベル3.5:被ばく下においては「甲状腺集団スクリーニングの不利益が利益を上回る」に反対(追記:2019/7/1 22:00)

Twitterでご教示いただいた。「甲状腺集団スクリーニングの不利益が利益を上回る」の根拠としたUSPSTFでは「小児期」「被ばく歴」がある場合は非推奨の適用外であるとのこと(以下、色強調next49)。
www.cancerit.jp

対象となる患者集団

この推奨グレードは無症状の成人に適用される。この勧告は、嗄声(しゃがれ声)、痛み、嚥下困難、またはほかの喉の症状のある人、頸部にしこり、腫れがあり、頸部が非対称であるか頸部の診察をおこなう理由がある人には適用されない。この推奨評価は、電離放射線(例えば医療的治療や放射性降下物)の被ばく歴があり、甲状腺がんのリスクが増加した人、特にヨウ素の少ない食事をとっている人、家族性大腸ポリポーシスといった甲状腺がんに関連した遺伝性症候群患者、第一度近親者に甲状腺がん歴を持つ人に対しても適用されない(4、5)。

リスク評価

USPSTFは、一般的な無症状の成人にはスクリーニングを推奨しないが、小児期の頭頸部への放射線被ばく歴、放射線降下物の被ばく、第一近親者における甲状腺がんの家族歴、家族性甲状腺髄様がんまたは多発性内分泌腫瘍症候群(タイプ2Aまたは2B)といった遺伝子疾患などのいくつかの要因が甲状腺がんのリスクを大幅に増大させる(4)。

一方で被ばく歴は「ある・なし」ではなく程度問題なので、この程度はどのくらいを見積もればよいかという件については上述のIARCの提言では以下の量とを提示している。

「リスクの高い個人」を、IARCは「甲状腺の被ばく線量が100~500ミリグレイ(この場合はミリシーベルトに置き換えられる)あるいはそれ以上」の人と定義しています。
(「甲状腺スクリーニング検査を実施しないことを推奨する」――IARCの勧告 / | SYNODOS -シノドス-より)

そうすると、次の論点は2011年3月の甲状腺被ばく量がどの程度だったのかという推測になる。

レベル4: 社会全体で見た時に「甲状腺集団スクリーニングの不利益が利益を上回る」に反対

ガン検診の利益と不利益は検診の受診者に対しての話なのだけど、これを受診者の周りの人(たとえば、親や家族、知り合い、地域社会の人々、支援している人々)に対しての不利益・利益と拡大し、受診者の周りの人たちが「安心」を得られるからなどという理由にするのがこのレベルだと思う。

この考え方に対してダメだよという説明。
interdisciplinary.hateblo.jp

別枠:「甲状腺集団スクリーニングの利益が不利益を上回る」&「今回の福島第一原発事故の被ばくにより甲状腺ガンの発生が増加した」

www.jstage.jst.go.jp

被ばく由来の甲状腺ガンは他の原因による甲状腺ガンよりも進行が早く「甲状腺集団スクリーニングの利益が不利益を上回る」ということが明らかになるまで、甲状腺集団スクリーニングは止めた方が良い。

よしんば被曝影響でわずかに甲状腺がんが増えていると仮定しても、それでも無症状者へのスクリーニングを行うべきではない。ほとんどすべてが被曝影響でないのはもはや明らかだし、被曝影響だろうがそうでなかろうが過剰診断や超早期発見の害に変わりはないからである。
福島の甲状腺検査は即刻中止すべきだ(下) - 菊池誠|論座 - 朝日新聞社の言論サイトより)

hbol.jp