優しい嘘つき

一つ前のエントリーの後半で書いたとおり、本当のことほど、人を逆上させることはないと私は思っている。

私の好きな小説家の平井和正さんの小説「ボヘミアンガラス・ストリート」に「優しい嘘つき」という言葉がでてくる。

「両親もよく知ってるけど、あたしって悪い女だよ。嘘つきで裏切り者で……霊になった両親には、なおさら隠せないものね」
「僕のほうがよっぽどひどい。百合川はかわいい嘘つきだ」
「あたしね。円くんにやっぱり話しておかなきゃいけないことがあるんだ……」
〜中略〜
「だめだ。いっちゃいけない。そんな必要はないんだ」
「でもさ……」
「馬鹿正直であれば、正しいとは限らないんだぜ。そーゆー正直者は人を多く傷つける。やさしい嘘のほうが百倍もいい」
「円くんの嘘のように?」
「ねえ、百合川。自分さえ正しければ人のことなんかどうでもいい、とは思わないだろう?そんなのはただの自己満足だから。百合川は自分を悪い女だというけど、僕が納得するまえ、それをあくまでも証明しようとするの?」
「だって、人を騙すのはいやだもの」
「人を騙さずに、そのかわり不幸にするのはいいこと?」
「だって、すっきりしないんだもの」
「自分さえすっきりすれば、それでいいのか?」
「わかったわ。あくまでもあたしを苛める気なのね。」

平井和正ボヘミアンガラス・ストリート,第二巻,pp. 79 - 80,アスキー出版局,1995年)

これは、主人公の円くんとヒロインの百合川 蛍が百合川 蛍のご両親のお墓参りに行ったときに繰り広げた会話。このテーマはこの物語で何度も何度も登場する。

一応補足しておくと、これは正直に物を言う人をくさすわけではなく、正直であるということの破壊力から目をそむけてはいけないということを述べているのだと私は理解している。