昔の人ってバカだよね。小学生でも知っていることに一生を費やしているんだもの

日食や月食は太陽や月がなくなったのではなく、太陽と地球の間に月や他の惑星が、太陽と月の間に地球が間に挟まっていることで起こるというのは今や小学生でも知っている。昔は一部のエリートしかしらなかった。「ちゃんと野菜食べないといけないんだよ」というのは小学生だって知っている。でも、昔はそれを知らずビタミン不足が由来の病気でバッタバッタと人が死んでいった。

でも、「昔の人ってバカだよね。小学生でも知っていることに一生を費やしているんだもの」なんて私たちは誰も言わない。というか、こういうことを言わないように後進を育てるのが大人の役割。

経験や観察を体系化し他人に分かるように伝えるということと、体系化された情報(=知識)を学ぶということには難易度に大きな差がある。まともな会社ならば、知識を学ぶだけの人よりも、体系化をしたことある人の方を欲しがるはず。「そんなこといったって、そんな人採用していないじゃないか」と言われるだろうが、それは、採用時に応募者の誰が体系化を体験したことがあるのかを見分けられないため。そういう人材が欲しくないわけではない。と以下のエントリーを読んで考えた。

追記:はてな匿名ダイアリーにかかれた返信

と、そう思うじゃないですか。ところがかなり多数の日本企業はそんな人材欲しくないんですよ。
これまでに採ってしまった人材とバランスが悪いから困るんですね。
体系化に価値を見出さない集団にそんな人材を一人や二人放り込んでもコミュニケーションが成立しない。
彼らにとっては仕事が遅いのも困りもの。単なるマニュアル化よりは時間がかかりますからね。
体系化し終わった知識だけを、都合のいい時にだけ、安価に欲しがるのが日本企業なんです。
当然そんなもの安売りをする人間はいない。そうして日本はたとえ人材がいても逃げられ、沈没していくわけですね。
はてな匿名ダイアリーにかかれた返信

追記2

そのとおりだと思った。

以前書いた似たようなエントリー。

自分が取り組んでいる研究の価値は何に由来するのかによって、何について論文公開前(製品発表前)に発信してはいけないのかが変わる。一方で、研究の質を高める一般的な手法(メタ研究技術、すなわち、クリティカルリーディング(批判的に本を読む方法の理解)、論理的思考法(演繹的思考法、帰納的思考法、仮説生成的思考法とこれらの思考法の限界の理解)、証拠に基づく議論術、技術文書作成法、あと研究分野によっては協調的作業の経験など)についてはいくら発信しても何の影響もない。むしろ、互いに教えあった方が有意義。