メモ:国立大学個別入試解答原則公開

www3.nhk.or.jp

このため、全国86の国立大学でつくる「国立大学協会」は、これまで、各大学の判断に委ねてきた試験問題や解答例について、ことしの入試から、すべての大学が原則公表する方針を決めました。

選択式など答えが1つに決まった問題だけでなく、記述式の問題についても、標準的な解答例や出題の意図を公表するよう求めています。公表は、試験のあと速やかにホームページなどで行うとしています。

www.janu.jp

ただし、一義的な解答が示せない記述式の問題等については、原則として出題の意図又は複数の若しくは標準的な解答例等を公表する。

以前書いたエントリーで懸念していたのは部分点の取り扱いに対する異議申し立てがあったときの対応コスト。これの財政的な手当てはないんだろうなぁ。
next49.hatenadiary.jp

9割5分の受験生は採点基準の適用の仕方について問題なく感じたとしても、5分の学生が問題視したとき、話は面倒になる。部分点の適用はどうしてもぶれるわけで、何人かは部分点を根拠に「私の答案なら合格のはずだ!」と主張してくるかもしれない。このとき、出題ミス、解答ミスならば逆に話は早いのだけど、採点基準の適用の仕方のブレによる部分点の与え方の違いが原因だと、これを異論を申し立てる受験生に納得させるのはかなり厳しい。ここで人的・時間的コストが費やされると、翌年度から「ブレないような問題を作ろう」みたいになって、個別入試のセンター試験化が起こる可能性がちょっとだけ存在すると思う。

どちらかといえば、役所側の立場にいる人間としては、95%の人が良いねといってくれても、5%の人が激烈に文句を言ってきて、こちらのリソースを圧倒的に消費してしまう場合は、それ自体を止める(やらない)選択をしがちなような気がしている。5%の人の文句(正当か、正当でないかを問わず)に対するリソースが準備できていないかぎり、その文句で他のリソースも消費されるので、業務全体に影響がでる。そのとき、ほとんどは良い評価が下されない傾向にあるような気がする。たぶん、入試解答の公開は、陰謀論や大学の傲慢さが原因というよりは、5%の人の文句に対するリソースが準備できていない(できない、できそうに思えない)からではないかと思う。こういう判断は、結局、トップの決断とリソース分配でどうにでもなることなのだろうけど。

メモ:早野・宮崎論文

メモ。党派的なやりとりになっている気がするので事実ベースで結果を改善して欲しい。

福島原発事故後、ツイッターによる積極的な発信で名を知られる物理学者で、放射線影響研究所評議員も務める東京大学の早野龍五名誉教授が、倫理委員会の承認を受けないまま、伊達市民の被ばく線量データを解析し、ICRP(国際防護委員会)の会合で発表していたことがわかった。同研究は、毎時0・23マイクロシーベルトという除染目標を緩和する根拠の一つ。政府は、帰還困難区域の避難指示解除にあたり、被ばく防護策の中心に「個人線量」による被ばく管理を据えるが、これも同研究が影響している。同研究をめぐっては、伊達市による不正な情報提供が疑われているが、国の被曝防護政策の転換に根拠を与えている研究で、新たな問題が発覚した格好だ。

- 2018年12月28日: 個人被ばく線量論文、同意ないデータ使用か 東大が予備調査 - 毎日新聞

東京電力福島第1原発事故後に測定された福島県伊達市の住民の個人被ばく線量のデータを基に、早野龍五・東京大名誉教授らが英科学誌に発表した2本の論文について、東大は27日、「本人の同意のないデータが使われている」などとする住民からの申し立てを受けて予備調査を始めたことを明らかにした。

 毎日新聞の記事によると、指摘された問題点は

  • a) 論文では、約5万9000人分のデータを解析しているが、約2万7000人分について本人の同意を得ていない
  • b) 論文の著者の一人が所属する福島県立医大の倫理委員会に研究計画書の承認申請を行う前の15年9月に早野氏が解析結果を公表している
  • c) 図の一部に不自然な点があり、「線量を過小評価するための捏造が疑われる」 の3点であり、

早野氏は、 (a) については「適切なデータを伊達市から受け取ったという認識で対応していた」(c)については「計算ミスがあり、線量を3分の1に過小評価していたとして出版社に修正を要請した」としているとのことで、(b) についてはノーコメントであるようです。

知りたいこと

3分の1に過小評価していた(3か月ごとの累積データを1カ月ごとの累積データとしていたとのこと)とのことだけど、これを3倍したときにどのくらいのインパクトがあるのかがわからない。


自戒:学生の相談にちゃんと答えるようにしよう

これは私もこう返してしまいそう。

~前略~


そうして進捗の無いままミーティングを迎え、特に何も進んでいないので「○○さんに環境構築を手伝ってもらってます」という進捗報告をし、2週間後のミーティングでもまた同じことを言う。徐々に苦しくなってきていました。自分はこれからどうなるのだろう。


8月に院試があるので7月からは「院試勉強をしています」以外に言うことがなくなりました。幸い院試には合格しました。得点率はちょうど55%くらいだったかな。久しぶりの "入試" だったので緊張しましたが合格できてよかったです。


9月に中間報告があるので、進捗が無いなりに今後何をするつもりなのか言わなくてはなりません。テーマについて新規性のカケラもない比較を取り上げて書き上げましたが、発表後の質疑応答で「それは何が新しいところなんですか?」と見事にツッコまれました。「新しいところはありません。」と答えたところ中間報告の成績が良で返ってきました。ちなみにほとんどの人は優でした。


どんどんしんどくなってきて、10月は研究室には行かなくなりました。


~中略~


そうするに至る決定的な理由がもうひとつあって、11月頃ににっちもさっちもいかなくなり「そろそろまずいんですけどテーマ変えたほうがいいですかね」と教員に相談したときに「うーん、卒論は自分で進めるものだから自分で考えなよ」と言われたことですね。ああ、この人は助けを求めても助けてくれないんだな、と諦めました。


教員の話が出たので少し教員の話をしておくと、若くてオタク趣味があり話しやすい人です。趣味もかなり合うのでとても話が合い、人間としてはとても接しやすい人です。ただミーティングの場で学生に接する態度がやけに高圧的だったりするなど、研究室の教授としてはあまり私とはそりが合わないということはありました。


~後略~
後悔の多い大学生活を送って来ました - とても上品な日記より)

私が教員の立場だったらと考えてみると、研究室配属初期の「○○さんに環境構築を手伝ってもらってます」を聞くたびに「じゃあ、がんばってください。わからない場合はまず○○さんに相談して、それでもわからなかったら私に相談してください。」と都度都度伝えると思う。たぶん、その後、研究室で会うたびに「どう?環境構築進んでいる?」と尋ねる。

7月からは「院試勉強をしています」に対しては「がんばってください。」としかいえない。他の学生の就職活動を認めているので、公平性の観点から大学院入試の勉強を認めないわけにはいかない。ここ数年は、「一応、ちょっとは卒業研究も進めておいた方が良い」と伝えることが多い。

中間発表のエピソードは私の場合だと、卒論テーマを私(教員)が決めるので新規性の責任は私にある。それを説明できないのは学生の責任。なので、事前に新規性について説明したうえで「新しいところはありません。」と答えてしまったら説教することになる。教員の指導の下で中間発表会の練習をどれくらい行ったのか、そのときの教員からのフィードバックはどうだったのかによるけれども、基本的に中間発表会本番で「新しいところはありません。」と学生が発言してしまう状況は教員の指導不足であろうと思う。

10月に研究室に来なくなり、11月に「そろそろまずいんですけどテーマ変えたほうがいいですかね」とこの言い方で尋ねられたとしたならば、「別にテーマ変えてもよいけど、君のこれまでの卒業研究に取り組む姿勢からするとテーマ変えてもうまくいかないと思う。卒業研究は自分で進めるものなので、まずは自分でよく考えてみなよ。」と言ってしまうと思う。エピソード的に卒業研究に真剣に取り組んでいるというアウトプットを出している様子がないので、ここに書いてあることからするとこう言ってしまいそう。

どうしても、研究室に配属された以降の振る舞いや様子を踏まえた文脈で対応してしまいがちなので、相談に関しては誰が言っているのかではなく、何を言っているのかだけに注意を払って回答するようにした方が良いね。

焦りや不安は卒業研究が終わるまで解消しない

卒業研究・修士研究時の悪循環を防ごうで以下のコメントをいただいた。

はじめまして。突然のコメント失礼します。
いつもブログ読ませていただいています。お忙しいところ恐縮ですが、少しでもアドバイスがいただけたら幸いです。

私は工学部の4年生で、卒業研究に取り組んでいます。しかし研究がうまく進まず、悪循環にハマっているように感じます。
私の研究室の指導教員は、教授と、今年から入ってこられた特任助教の二人です。
私の研究テーマは、特任助教が考えて下さったもので、4月からずっと特任助教と一緒に研究をしていました。
しかし、中間発表が終わってから、研究のテーマがよく分からなくなりました。特任助教に質問しても、返事は返ってきますが、
漠然としていて、具体的にどうしたらいいのか分からなかったです。また私の研究テーマに関して、教授と特任助教の意見が食い違うようなやり取りを何度か目にしました。

そのことから、徐々に特任助教の指導に、不信感のようなものが募っていきました。いよいよ12月に入り、研究も大詰めを迎えていますが、中間発表以降、何も進んでいません。テーマが分からないので、試行錯誤しようにも、
具体的に何をしたらいいのか、何一つ考えられない状態です。そんな追い詰められた状況ですが、next49さんのブログに「卒業研究が進まない原因の少なくとも5割は、テーマが悪いから。必要以上にあなたは悩まなくていい」という趣旨のことが書いてあり、とても救われていました。
しかし、あろうことか私は、その言葉から、研究が進まないことを、このテーマを与えた特任助教のせいにしました。
もちろん、直接そんなことは言っていません。ただあまりコミュニケーションをとらなくなりました。でも態度には出ていたと思います。
その後、研究が進まず、教授からテーマを変えますか?と聞かれ、精神的に追い詰められていきました。
先週、教授と特任助教、私で話し合いました。その結果決まったことは、あともう一度だけ、特任助教が指示した条件で実験で行うというものです。
そしてその結果をゼミで発表するというものです。

私はそれに同意しました。しかし、上記で述べた不信感から、私は特任助教に結果を見せずに、いきなりゼミでその結果を報告してしまいました。後から振り返ると、自分の行動が子供っぽく、特任助教にも失礼なことをしたと反省しています。
また教授にも、そのことを叱責されました。

まず、指導してくださっている特任助教を飛び越して、いきなりゼミで発表したことは反省しています。
敬意に欠けた、愚かな行為でした。これについては、謝罪するつもりです。

ただ今度も自分の研究が進まない焦りや不安を、テーマを与えた特任助教に対する怒りに変換してしまいそうで不安です。
next49さんのブログの、「卒業研究が進まない原因の少なくとも5割は、テーマが悪いから。」という言葉を曲解してしまったわけですが、
では私はこの焦りや不安を、どのように解消すればよいでしょうか。

まずは、ご自身でもおっしゃっていますが、できるかぎり早いうちに特任助教の方に謝罪することをおすすめします。謝罪することで少し楽になると思います。

ご質問の「私はこの焦りや不安を、どのように解消すればよいでしょうか」については、卒業研究を終わらせるため解消することはできません。少しでも緩和させるためには「今の自分は全力をつくして取り組んだ」という自分自身への説得材料が必要です。そのためには、手を動かして、何かしらの結果がでる(ポジティブな結果だけでなく、失敗や空振りも結果の一つ)状況をつくるのが良いと思います。

卒業研究ですから、一生懸命に手を動かしていれば、実験結果がネガティブなものだったとしても卒業はできると思います。また、特任助教の方の提示したテーマがいまいちなものであるならば、そのテーマにしたがって実験がうまくいかなかったとしても、基本的には実験をデザインした特任助教の方が良くなかった(さらにいえば、それを指示した教授が良くなかった)ということですので、kingsmanさんが責任を感じる必要はないと思います。ただし、それはkingsmanさんがちゃんと手を動かして、報告、連絡、相談をしつつ実験を進めるならばです。ですので、以下の事柄を特任助教の方や教授の方と相談して明らかにして実験に取り組まれてはどうかと思います。

  • 何を明らかにするための実験なのか?
  • 研究テーマとこの実験で明らかにすることの関連は何なのか?
  • 実験で理想的に得たい数値や現象は何なのか?そして、その数値や現象をどう解釈すると実験で明らかにしたい事柄につながるのか?
  • 実験装置や実験環境でkingsmanさんが手をいれて制御すべき事柄は何なのか?それは観測したい数値や現象とどういうつながりがあるのか?

特任助教の方にとって、今回が初めての学生指導なのであれば、当然、説明がうまくないでしょうし、狙いも明確に絞りきれていない場合もあります。特任助教の方を責めて対立してしまうよりも、自分の不安や悩みを相談して共感してもらい助けを求めたほうが、kingsmanさんの気持ちも楽なのではないかと思います。私も初めて卒業研究テーマを考えて学生にやってもらったときは、私自身ならば研究として仕上げられたとしても、学部4年生にとっては抽象的で、狙いが明確でなく、ゴールまでの道筋がみえなかったものだったろうと思います。

ただ、どうしても特任助教の方と相性が悪く、指示の下で実験が進められないのであれば教授の方にそれを伝えてテーマを変えてもらうのも良いと思います。

よろしければこちらもご覧ください。
next49.hatenadiary.jp
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生態学の「性的嫌がらせ」はいつから使われている?

大学ジャーナル:繁殖行動上の「性的嫌がらせ」が自然界の生物多様性を維持する 京都大学で、生態学の「性的嫌がらせ」というのは今回初めて知った。

セクシャルハラスメント
雌の生存や繁殖に悪影響を与える雄の性的な行動のこと。昆虫類の一度の交尾で生涯に産む卵を受精するのに十分な量の精子を得ることができるため、雌が積極的に何度も交尾をしようとすることは稀です。一方、雄は交尾の回数に比例して子孫の数が増加するため、隙あれば出会った雌に交尾を試みます。その結果、雄が雌に対して一方的に交尾を試みる行動がしばしば観察されます。このような雄の行動は、雌の産卵行動やエサ取りを妨害することが知られており、動物行動学や生態学の分野では、“セクシャルハラスメント”と呼ばれます。このようなハラスメントは、生物の形態や行動の雌雄差の進化を考える上で、非常に重要な要因であることが知られ、近年注目されています。
多様性の進化の副産物より)

Google Scholarの期間指定検索で「"sexual harassment" Ecology」で検索。

  • 1994年:A cost of sexual harassment in the guppy, Poecilia reticulata

rspb.royalsocietypublishing.org

  • 1977年:Sexual harassment among captive patas monkeys

link.springer.com


とりあえず1970年代には生態学で使われていた様子。ja.wikipediaによるとセクシャルハラスメント(社会)の用語が使われ始めたのはは以下の通り。

「セクシャルハラスメント」は1970年代初めにアメリカの女性雑誌『Ms』の編集主幹でラディカル・フェミニストのグロリア・スタイネムらが作り出した造語とされる(裁判所による法律との整理は、1845年代から始まっていると主張する学者もいる[12])。

セクシャルハラスメント - Wikipediaより)

なので、だいたい同じくらいに使われ始めている印象。