焦りや不安は卒業研究が終わるまで解消しない

卒業研究・修士研究時の悪循環を防ごうで以下のコメントをいただいた。

はじめまして。突然のコメント失礼します。
いつもブログ読ませていただいています。お忙しいところ恐縮ですが、少しでもアドバイスがいただけたら幸いです。

私は工学部の4年生で、卒業研究に取り組んでいます。しかし研究がうまく進まず、悪循環にハマっているように感じます。
私の研究室の指導教員は、教授と、今年から入ってこられた特任助教の二人です。
私の研究テーマは、特任助教が考えて下さったもので、4月からずっと特任助教と一緒に研究をしていました。
しかし、中間発表が終わってから、研究のテーマがよく分からなくなりました。特任助教に質問しても、返事は返ってきますが、
漠然としていて、具体的にどうしたらいいのか分からなかったです。また私の研究テーマに関して、教授と特任助教の意見が食い違うようなやり取りを何度か目にしました。

そのことから、徐々に特任助教の指導に、不信感のようなものが募っていきました。いよいよ12月に入り、研究も大詰めを迎えていますが、中間発表以降、何も進んでいません。テーマが分からないので、試行錯誤しようにも、
具体的に何をしたらいいのか、何一つ考えられない状態です。そんな追い詰められた状況ですが、next49さんのブログに「卒業研究が進まない原因の少なくとも5割は、テーマが悪いから。必要以上にあなたは悩まなくていい」という趣旨のことが書いてあり、とても救われていました。
しかし、あろうことか私は、その言葉から、研究が進まないことを、このテーマを与えた特任助教のせいにしました。
もちろん、直接そんなことは言っていません。ただあまりコミュニケーションをとらなくなりました。でも態度には出ていたと思います。
その後、研究が進まず、教授からテーマを変えますか?と聞かれ、精神的に追い詰められていきました。
先週、教授と特任助教、私で話し合いました。その結果決まったことは、あともう一度だけ、特任助教が指示した条件で実験で行うというものです。
そしてその結果をゼミで発表するというものです。

私はそれに同意しました。しかし、上記で述べた不信感から、私は特任助教に結果を見せずに、いきなりゼミでその結果を報告してしまいました。後から振り返ると、自分の行動が子供っぽく、特任助教にも失礼なことをしたと反省しています。
また教授にも、そのことを叱責されました。

まず、指導してくださっている特任助教を飛び越して、いきなりゼミで発表したことは反省しています。
敬意に欠けた、愚かな行為でした。これについては、謝罪するつもりです。

ただ今度も自分の研究が進まない焦りや不安を、テーマを与えた特任助教に対する怒りに変換してしまいそうで不安です。
next49さんのブログの、「卒業研究が進まない原因の少なくとも5割は、テーマが悪いから。」という言葉を曲解してしまったわけですが、
では私はこの焦りや不安を、どのように解消すればよいでしょうか。

まずは、ご自身でもおっしゃっていますが、できるかぎり早いうちに特任助教の方に謝罪することをおすすめします。謝罪することで少し楽になると思います。

ご質問の「私はこの焦りや不安を、どのように解消すればよいでしょうか」については、卒業研究を終わらせるため解消することはできません。少しでも緩和させるためには「今の自分は全力をつくして取り組んだ」という自分自身への説得材料が必要です。そのためには、手を動かして、何かしらの結果がでる(ポジティブな結果だけでなく、失敗や空振りも結果の一つ)状況をつくるのが良いと思います。

卒業研究ですから、一生懸命に手を動かしていれば、実験結果がネガティブなものだったとしても卒業はできると思います。また、特任助教の方の提示したテーマがいまいちなものであるならば、そのテーマにしたがって実験がうまくいかなかったとしても、基本的には実験をデザインした特任助教の方が良くなかった(さらにいえば、それを指示した教授が良くなかった)ということですので、kingsmanさんが責任を感じる必要はないと思います。ただし、それはkingsmanさんがちゃんと手を動かして、報告、連絡、相談をしつつ実験を進めるならばです。ですので、以下の事柄を特任助教の方や教授の方と相談して明らかにして実験に取り組まれてはどうかと思います。

  • 何を明らかにするための実験なのか?
  • 研究テーマとこの実験で明らかにすることの関連は何なのか?
  • 実験で理想的に得たい数値や現象は何なのか?そして、その数値や現象をどう解釈すると実験で明らかにしたい事柄につながるのか?
  • 実験装置や実験環境でkingsmanさんが手をいれて制御すべき事柄は何なのか?それは観測したい数値や現象とどういうつながりがあるのか?

特任助教の方にとって、今回が初めての学生指導なのであれば、当然、説明がうまくないでしょうし、狙いも明確に絞りきれていない場合もあります。特任助教の方を責めて対立してしまうよりも、自分の不安や悩みを相談して共感してもらい助けを求めたほうが、kingsmanさんの気持ちも楽なのではないかと思います。私も初めて卒業研究テーマを考えて学生にやってもらったときは、私自身ならば研究として仕上げられたとしても、学部4年生にとっては抽象的で、狙いが明確でなく、ゴールまでの道筋がみえなかったものだったろうと思います。

ただ、どうしても特任助教の方と相性が悪く、指示の下で実験が進められないのであれば教授の方にそれを伝えてテーマを変えてもらうのも良いと思います。

よろしければこちらもご覧ください。
next49.hatenadiary.jp
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生態学の「性的嫌がらせ」はいつから使われている?

大学ジャーナル:繁殖行動上の「性的嫌がらせ」が自然界の生物多様性を維持する 京都大学で、生態学の「性的嫌がらせ」というのは今回初めて知った。

セクシャルハラスメント
雌の生存や繁殖に悪影響を与える雄の性的な行動のこと。昆虫類の一度の交尾で生涯に産む卵を受精するのに十分な量の精子を得ることができるため、雌が積極的に何度も交尾をしようとすることは稀です。一方、雄は交尾の回数に比例して子孫の数が増加するため、隙あれば出会った雌に交尾を試みます。その結果、雄が雌に対して一方的に交尾を試みる行動がしばしば観察されます。このような雄の行動は、雌の産卵行動やエサ取りを妨害することが知られており、動物行動学や生態学の分野では、“セクシャルハラスメント”と呼ばれます。このようなハラスメントは、生物の形態や行動の雌雄差の進化を考える上で、非常に重要な要因であることが知られ、近年注目されています。
多様性の進化の副産物より)

Google Scholarの期間指定検索で「"sexual harassment" Ecology」で検索。

  • 1994年:A cost of sexual harassment in the guppy, Poecilia reticulata

rspb.royalsocietypublishing.org

  • 1977年:Sexual harassment among captive patas monkeys

link.springer.com


とりあえず1970年代には生態学で使われていた様子。ja.wikipediaによるとセクシャルハラスメント(社会)の用語が使われ始めたのはは以下の通り。

「セクシャルハラスメント」は1970年代初めにアメリカの女性雑誌『Ms』の編集主幹でラディカル・フェミニストのグロリア・スタイネムらが作り出した造語とされる(裁判所による法律との整理は、1845年代から始まっていると主張する学者もいる[12])。

セクシャルハラスメント - Wikipediaより)

なので、だいたい同じくらいに使われ始めている印象。

ハンロンの剃刀の変曲「怠惰やうっかりミスで説明できることに悪意を見出すな」

11月も終わりに近づき、卒論、修論のシーズンになった。これから3月に卒業・修了を目指す学生たちにイライラすることになる。

無能で十分説明されることに悪意を見出すな
ハンロンの剃刀 - Wikipediaより)

これを学生に適用したバージョン「怠惰やうっかりミスで説明できることに悪意を見出すな」を座右の銘にしないといけない。自分だって、怠惰やうっかりミスで締切破ったり、守るべき事項を守れなかったりするのだから。

寒いと血圧も上がるしね。

メモ:PDCAの起源

PDCAの起源は日本だという話。以下のツィートしたやつの転載。

まず、以下の紀要論文を読んだ。

論文にあったPDCAの話。

  1. PDCAというのは日本初の考え方であること。その証拠の一つが Plan Do Check Action (Actでなくて)という並び。
  2. もともとのPDCAは品質保証の手法
  3. 一定の条件を満たさない業務にPDCAは適用できない
  4. なのに何にでも適用している。
  5. 準備なく、誰でもできそうに見えるのでPDCAがどこにでも使われている。
  6. PDCAを回すこと自体が目的かしている。

上記の紀要論文の元ネタは以下の論文だと思われるのだけど手に入れられていない。

PDCAが組織管理に使われていることへの批判されていることに対しての財務省研究所のカウンター論文っぽい。

岩田規久男「日銀日記 ──五年間のデフレとの闘い」

以下にツィートしたものの転記。

岩田規久男「日銀日記 ──五年間のデフレとの闘い」を読んでいる。現在、日銀が金融緩和の限界を認識していると思われていたイールドカーブコントロールの当たり。

  1. 年金生活者は金融緩和政策で雇用増えても物価上昇により生活悪化で消費にマイナス効果
  2. 銀行や生命保険会社が国債頼りで利益だしているので、国債の残存期間による金利差がフラットになると業績悪化し、それが株価に悪影響
  3. 2の影響は国が国債発行しないから。

という理由で量的緩和に慎重になったからっぽい。

結果として外からの金融緩和政策の限界を裏付けてしまったように感じる。あと、岩田さんの立場から書いているせいかもしれないけど、こんなに総裁と副総裁はコミュニケーションとらないのかとびっくりする。副総裁同士は結構連絡とっているっぽいのに総裁とのやりとりがでてこない。

岩田さんは民主党議員との国会でのやりとりがよっぽど怒り心頭だったんだなぁと。あと、高橋洋一さんの八面六臂の活躍がすごい。表で週刊誌やWeb連載、政策立案機関を通しての政策提示、岩田さんとの金融議論。行動力すごい。

本当に消費税増税は愚策だった。あと、2011年の時点で民主党の代表が馬渕さんになっていたら、その後の展開は全然違っていたんだなと。あの時点で金融緩和していたら民主党のイメージもすごく変わっていて、安倍政権が成立しない。

後半、特に岩田さんが体調崩したあたりからは、日銀内でのやりとりや国会でのやりとりの記述が減り、岩田さんの考えを説明する内容になっていたので「なぜ、日銀は外から見るとリフレ的動きじゃないのか」を解明する資料としては残念

量的緩和ができなかった理由が 1) 無職者(年金生活者含む)への物価上昇の影響が無視できない 2) 国債市場に収益を頼っている会社(銀行、生保)へ影響が無視できない で、1)は安倍政権が初期段階で生保や年金をデフレ状況に合わせて減額したのが原因、2)は財政規律重視にしているのが原因。結局、コミットメントとはなんぞという話なのだと思う。人々の予想(期待)に働きかける政策に関する理解と広まりが足りない。

2年間でデフレを脱却し、インフレ率2%を目指すと言っている主体が、今はデフレなので年金や生活保護費を減額していたら、「ああ、2年間でデフレ脱却を信じていないんだな」と予想するのは当たり前。

話し変わって、日銀日記やここ2〜3年の国会スキャンダルからわかることは、責任のとり方として辞任はベストじゃないということ。説明責任を果たすが最優先で、その後に、必要に応じて辞任する/辞任を求めるべき。

森本学園問題で安倍首相が関与していたら辞任するといったこと、岩田さんの就任時の「辞任」に関する発言をしてしまったこと、前者は辞任と言ってしまったのでそれを回避するためにぐちゃぐちゃになったし、後者はそればっかり追求するようになってしまった。

公人の責任のとり方はまずは説明責任を果たす。ここからスタートしないと責める方も責められる方も建設的な方向に議論がすすまない。