「痛い」あるいは「怪我しそう」なことを覚えるのは良いことだと思う

上記の主張は以下のとおり

  1. 柔道、剣道が必修化される
  2. この28年間に小・中・高校生116名が死亡している
  3. ドイツやフランスでは柔道の事故での死亡事例はない(少ない?)
  4. 中学で武道が必修化される来春までに再発防止策を講じるべき

至極真っ当な主張。これに耳を傾けないのはよっぽど。タイトルだけみて、学校教育で柔道をやることの批判かと思った。

私は、中学校の体育の授業で柔道、高校の体育の授業で柔道と剣道をやっているので、学校教育で柔道やることには好意的。理由は、第一に受身を学べること、第二に柔道などの武術は人を簡単に怪我させることが可能であると理解したことから。特に受身というのは「怪我をしない技術」ではなく「死なない技術、重傷にならない技術」であることに衝撃を受けた。そして、そんな技術を学ばなければならないほど、「投げる」という行為は危ないものであるというのを理解できたのは人生でも有意義だったと思う。ふざけて柔道の技をかけるなんて怖くてできなくなったし。

あと、自分は痛みにそんなに強くなく、簡単に心が折れるというのを理解するのは良いことだと思う。へたくそな人に背負い投げで投げられたときの内臓に響くダメージは非常にリアルで怖かった。また、何の技も出さないのに3分間の乱取りでヘロヘロになるし。暴力情報をテレビ、パソコン、漫画で得ることの多い男子生徒は、こういうのを実感として経験するのが重要ではないかと思う。

「バカ」は切り捨てろは社会にとって良いことなのか?

しかし、いまや2人に1人が大卒という時代。ひどいところは「学級崩壊」が発生し、学力低下どころか「学ぶ意欲がない学生ばかり」というのが現実だ。学力も悲惨なもので、ある大学では「九九の計算に全問正解したのが受講者の半数以下」だったという。

日本橋学館大学のカリキュラムは、そうした現実を正面から受け止めたものであるという。同大学の教授で、講義内容を決定する教務委員会の委員長を務める塩澤寛樹氏が説明する。

「基礎力リテラシーは必修科目ではなく、入学後のテストで基礎学力に欠けると見なした学生を対象に履修させる補習的な科目で、約6割が受講します。確かに入学生の中には、アルファベットを全部書けない学生もいる。

英語が分からない以前に、嫌いだと拒絶する学生もいます。そうした学生に大学レベルの英語を詰め込んでも意味がありません。就職時期には少なくとも一般教養ある学生を育てたいとの思いから、シラバスを公開した。これは本学の覚悟の現われです」

もし、基礎学力がかかている学生が社会人として世の中にでることが社会にとって問題であるならば、それを大学と呼ぶとどうかは別として、社会が求める人材に教育する機関が必要だと思う。詳しくは以下のエントリーに書いた。

でも、実際のところ経営のためだと思う。そして、需要と供給があるならばそれで良いと思う。あと、シラバス公開は覚悟とか関係なく、進学先を決めるための重要な情報として全大学が公開するべき。