ぜひ、直接会って相談できる相手を見つけて、今の辛い状況を説明してみてください(相手には「悪いけど愚痴をただただ聞いてもらえる?」と頼んで傾聴してもらってください。コーチングスキル 傾聴の重要性とスキル:コーチングを知るの1〜4のスキルで聞いてもらってください)。
ご参考に「私」の場合を書きます。一般化せず、こういうようにしている人がいるのねという使い方をしていただければ幸いです。
始めまして,現在修士課程1年目のくろめるあるめるです.
僕は学部時代から先生の4.を感じ取ることができずに「怖い先生に質問をしにいくコツ」ばかり何度も読み返してきました.
自分勝手なことを言えば自分だけの研究であったころは嫌われていようと(読みすぎだと信じたいです)がむしゃらといいますか先生と戦っていられたのですが,同テーマの後輩ができて半年,研究を進めることができずに,進ませてあげることができずに自己嫌悪と現実逃避の毎日です.
他の学生を見ていて思うのは,先生は確かに4.を発しているはずなのです.ですが嫌われている(と思い込んでいる)せいでどうしても「質問していいですよ」が感じられないのです.
以上は「書いたら楽になるかな」というだけの話なのですが.
何が書きたいのかも頭が回っていないのか,もともとそんなものなのか
一つお聞きしたいこととして,
人としてどうしても嫌いになってしまった学生がいた場合,教員としてどのような態度をとることが「お互いに楽」だと思いますか?
(「卒業研究・修士研究時の悪循環を防ごう」にいただいたコメント)
大前提1:ある人のすべてを常に嫌うのにはパワーがいる
私の性格のせいかもしれませんが、ある人のすべてを常に嫌うのには、ある程度のパワーが要ります。会わない時でも、見かけない時でも、ある人を常に嫌うというのは、今のところ私にとっては難しいことです。会わなければ、見かけなければ、その人は私にとって存在しない人です。存在しない人に思いをはせるならば、ゲームやら読書やらなんやらやって思いをはせないようにすることを選びます(まあ、現実逃避と言いますが)。
また、ある人のすべての行動を嫌うというのも、今のところ私にとっては難しいことです。というのは、私に関係することをしなければ何も感情は動きません。また、自分がやりたくないことをその人がやってくれたのならば、感謝の念はわかなくても「ラッキー」と思うことはあったと思います。
費やしても無駄だとわかっているのにその人に私のリソースを費やさなければならないとき、そして、リソースを費やしても何の見返り(「ありがとうございます」という儀礼的な一言でさえも)得られない時、感情が動き、怒りがわき、とはいえ、その怒りを直接的にぶつけることが諸々の理由で面倒であると気づき、その怒りをなんとかなだめなければいけないので、自分に対して自分が疲れて、うんざりし、最後に「嫌いだ」と思います。
もちろん、過去の自分の楽しくない記憶を刺激するような人や、自分に対して攻撃的な人に対しては、別の理由で「嫌い」になりますが、学生相手の場合は、なんだかんだいって教員の方が権力者なので、「費やしても無駄だとわかっているのにその人に私のリソースを費やさなければならない」というときに、すなわち、うんざりさせられたときに「嫌い」となることが多かったです
でも、「費やしても無駄だとわかっているのにその人に私のリソースを費やさなければならない」という状況になければ、見かければ多少は心がざわつきましたが無視すればよいですし、見かけなければ別にどこで何してようが関係ないので「嫌い」でもなんでもありませんでした。
大前提2:うんざりさせられた学生のために自分が不利益を被るのは耐えられない
好きな相手ならともかく、「嫌い」になるほどうんざりさせられた学生のために、自分が不利益を被るのは耐えられません。これは、黄金律です。
注意点1:公平性を保つ
大前提2で書いたとおり、そんな学生のために自分が不利益を被るのは耐えられません。なので、後々、「依怙贔屓があった」「いじわるをされた」といらんこと言われないように、他の学生と公平になるように非常に注意を払います。例えば、重要な連絡が届かないとか、他の学生と平等に機会(発表練習や質問への回答の機会)を与えないとか、そういうことはないようにします。また、重要な書類の提出などについては他の学生と同様に注意喚起を促します。
そして、公平性を保っていることを第三者に立証できるように、できるかぎり証拠を残します。私が教員になったあとは電子メールが普及していますので、電子メールで記録を残しつつ、情報の提供を行います。
注意点2:要求されたことにだけ、必要最低限に返す。要求されないことはしない。
自分のリソースを費やしても無駄だとわかっていますので、できるかぎりリソースを費やさないようにします。しかし、注意点1で書いたとおり公平性は担保しなければなりません。そこで、相手が要求されたことに関して、必要最低限だけ返します。たとえば、何かを質問されたら、質問の回答のみを返します。論文指導を求められたならば、論文として成立する程度に指導して返します。
質問自体が的を外しているので、相手の本当に知りたいこと、知るべきことを一緒に探してあげたり、「良い」論文にしたり、技術文書作成技法などのメタ研究技術の習得を促したりということは一切しません。というのは、しても無駄に終わるからこそ「うんざりさせられている」からです。
注意点3:理由を必ず説明する
注意点1の公平性の担保は、当該学生のみならず、研究室の他のメンバーに対しても行わなければなりません。そこで、最初のうちは、なぜ私がそのようにふるまうのかを当該学生および、他の学生にわかるように説明します。
特に当該学生からの要請を断るときにはその理由を必ず説明します。もちろん、その理由は正当なものでなければいけません。良くあったパターンがこのような理由。
「私が〜までに**してくださいと要請したのをあなたは無視したのに、どうして私があなたの***してくださいという要請を受け入れなければならないのですか?先に私の要請に対応して下さい。そうしたら、その後、あなたの要請を受けるかどうか検討します。」
注意点4:研究室の規律や他の学生との公平性に関わる件については叱るが、本人だけが不利益を被る件については叱るのを止める
他人を叱るというのは非常に疲れる行為です。叱る目的は、相手の行動を変え、望ましい振る舞いに導くことです。目的を達成するためには、叱り方やタイミング、叱っている内容に関する説明を適切に行わなければなりません。また、ほとんどの場合、叱ることによって相手に感謝されることはなく、恨まれます(のちに感謝されることもありますが、叱った直後は、叱られた方は不快なことがほとんどです)。誰だって、相手に好いていてほしいので、恨まれることは嫌です。やらないでよいなら、叱るということはやりたいことではありません。
この「叱る」という疲れる行為を、うんざりさせられている学生に行うのは、通常の倍以上疲れることです。ですから、どうしたって叱らなくなります。ですが、注意点1の公平性の観点からすると、同じことをしているのに片方が叱られて、もう片方が叱られないのでは不公平です。このため、うんざりさせられている学生であっても、力を振り絞って、必要最低限叱ります。
たとえば、研究室のゼミを無断欠席した。順番に廻ってくる掃除当番をしなかった。机の周りを汚くしているなど、規律を守れなくなったり、他の学生にも迷惑をかけるような行為に関しては叱ります。一方で、進捗報告の日に仮病で休むなどの、本人だけが不利益を被る場合は何も言わず放っておきます。
注意点5:記録をとる
トラブルが発生したとき用に、指導した内容、当該学生のリアクション(聞いた、理解した、反論した)を記録しておく。私は多くの場合、口頭で説明した後に確認もかねてメールを送るか、逆に当該学生に指導した内容をまとめたものをメールで送るように言っています。
注意点6:相手の振る舞いに応じて、こちらの振る舞いも変える
もし、当該学生の振る舞いが好転したならば、こちらの振る舞いも変える。これまでの体験では、「費やしても無駄だとわかっているのにその人に私のリソースを費やさなければならない」という状況が続いたので「うんざりさせられた」ので、費やしたリソースが無駄にならないならばうんざりしません。なので、自分の中のやる気に応じて、こちらの振る舞いも変えます。
ただ、何人かの学生は口先では「反省した」というのですが、行動がまったく変わらず何度もうんざりさせられることが多かったので、行動とそのアウトプットを見て、振る舞いが変わったかどうかを判断しています。
注意点7:できるかぎり卒業・修了させる
他の学生や歴代の卒業生や修了生と比べ、公平性が保たれている範囲内で、内容が良くなくても卒業、修了させられるようにテーマや作業指示を行います。理由は、そのまま在籍していても、誰にとっても幸せではないからです。
第三者(研究室の他の学生含む)がみて、すぐに「不公平だ」とわかる不備がある場合(提出物がでていない。パッと見でひどい卒論、修論。「目的を達成できた」とはどうがんばっても言えない。卒業条件・修了条件を満たしていないなど)がある場合は、残念ながら卒業・修了させません。
おわりに
私は、嫌いになるほどうんざりさせられた学生に対して「お互いに楽」になるような配慮はしません。私が比較的楽になるように配慮します。ビジネスライクに振る舞い、己が消耗しないように最低限の責務を果たしてきました。
今のところ、「生理的にダメ」なので嫌いになるという経験はありません。常に「費やしても無駄だとわかっているのにその人に私のリソースを費やさなければならない」ということがあり、うんざりさせられ、嫌いになっています。
研究が進んでいなくても、要領が悪くても、リアクションがある学生にうんざりさせられたことはありません(もちろん、その学生の行為にはうんざりすることがあります)。まずは、リアクションをとってみてはいかがと思います。
教員がダメで、学生の方が自衛しなければいけないという状況ならばこちらの方針でやってみるのも良いと思います。
あと、後輩の卒業は研究室の先輩が責任を持つ話ではないので、そんなに深刻に考えないで、まずは自分のできる範囲でやればよいと思います。
追記
はてなブックマークコメントより
- この人は最初からこうだったのだろうか?あるいは試行錯誤の結果こうなったのだろうか?あまりに完璧すぎて逆に不思議に思った。記録に残すことは大事だよなあ。
試行錯誤の結果です。学生を泣かしたり、私が泣いたり、学生が研究室こなくなったり、私が研究室行きたくなくなったりをいろいろと経験した結果、こういう対処法になりました。