レバ刺しが広まったという話の出典はどこだろう?

メモ。

では、どうして現代の日本人は、肉を生で食べ始めるようになったのか。

 内臓を食べるようになったのは、戦争による食糧難に肉の代用として使われたことによる。闇市で、在日韓国・朝鮮人が牛のハツ(心臓)を焼いて売り出したところ、人気が出たので、他の内臓類も工夫し、売られるようになった。

 朝鮮半島には、内臓を食べる習慣はあまりなかったが、ユッケのような生肉を使った料理があった。そこで、在日韓国・朝鮮人が、刺身の好きな日本人向けにアレンジしたことで、レバ刺しなどの生肉メニューが生まれたと考えられている。レバ刺しは、大阪の鶴橋のようなコリアンタウンから焼肉とともに広がったのだろう。焼き肉店が増えるにつれて、生肉を食べる人も増え、ユッケやレバ刺しは人気メニューとなった。
佐藤 成美:生肉を食べるのはこんなに危険より)

どっちが先かわからないけど上の部分とほぼ同じ記述

直接自分で肉を焼いて食べる焼肉の形式は、朝鮮動乱後の闇市で広まった「プルコギ」が起源だとされていますが、もともと外食文化の無い半島では、この形式は発展することはなく、最初に焼肉文化が花開いたのは、終戦直後(第2次世界大戦)の焦土と化した日本でした。

日本人に馴染みの無かった「肉を直火で焼く」方式が急速に広まって行ったのは、戦後の闇市だと云われています。当時は大変な時代で、多くの国民が飢えていました。特に都会での食糧難は大変酷く、闇市では「”箸いらず”と呼ばれる申し訳程度の米粒が入っ雑炊に人々が列を成した」と母(当時東京は渋谷区に在住)からよく聴かされたものです。

何時の世も商才に長けた人物はいるようで、この混乱の中で在日朝鮮人が、牛の内臓肉を直火で焼いて売り出し大当たりしたのが、日本での焼肉文化発展の一つのキッカケとなりました。これが所謂「ホルモン焼き」の始まりです。
つまり、韓国の今の焼肉文化は、戦後の闇市で在日朝鮮人のアイデアから生まれた「プルコギを発展させた創作料理」が始まりでだったのです。それに韓国ではもともと内臓肉を食べる習慣は無かったようで、むしろ内臓肉を好む(豚の内臓ですが)のは中国人です。初期の韓国の焼肉店で使われた鍋は、日本ではジンギスカン料理に使われるもので、ジンギスカン料理でこの鍋が活用されだした頃に、焼き肉文化が日本から韓国へ伝った証とされています。

食の雑学10:焼き肉文化と韓国の肉食の歴史 焼き肉の起源より

上の説と違う説。

「ホルモン=放るもん」は否定されているものの、現在でもホルモン焼き起源説は根強く残っている。だが、この説を真っ向から否定する説もある。
日本の焼肉。皿に盛られた肉をジュージューと焼き、タレを付けて食べるが・・・

『焼肉の文化史』(明石書店)、『焼肉の誕生』(雄山閣)を著した食文化史研究家の佐々木道雄は、明治以前から日本人は山間部を中心に鳥や猪などの肉を直火で焼いて食べていたこと、戦前から牛や豚の内臓を使ったモツ煮込みや、串に刺して焼いて食べるモツ焼きがあったことを、複数の文献をもとに指摘している。

また、1930年代には、当時ソウルで流行っていたカルビ焼きや、すき焼き風のプルコギなど「その場で焼いて食べる」形式が朝鮮からの移住者によって大阪の地に伝えられたと主張。戦後になって焼肉が誕生したという通説に異を唱えている。
澁川 祐子:「焼肉」は日本で独自に発展した料理だったより)