陰謀と幻想の大アジア

陰謀と幻想の大アジア読了。なんというか、不思議な本だった。

最初のころの歴史コミュニケーション研究会に参加したときに教えてもらって「読みたいな」と思い今度買うリストにいれていたのだけど、どういう経緯で読もうと思ったのか忘れていた。それもあって、とっても不思議な感じ。

この本の内容はここに集約されている。

私は戦前に出された満州論、大陸論といった忘れられた本に興味をひかれる。そこでくりひろげられている歴史的想像力、あるいは陰謀のセオリーはもう無意味なのだろうか。しかしそれらは今なお私の想像力をかきたてる。そこに埋もれているが、私が気になることばを発掘してみたい。
(p. 13)

上記のような動機の下で、戦前に発行された書籍を中心に10のキーワードに関して、そのキーワードが当時流布した状況や経緯を説明している本。

この本が不思議というかとらえどころがない理由の一つが上の引用部分に登場する「陰謀」そして「陰謀のセオリー」の意味。「陰謀=行動を行うための大義名分として編み出された疑似歴史・主張」という意味なのか、辞書通りの「陰謀=ひそかにたくらむはかりごと」の意味なのかどうもわからない。満州国設立は辞書通りの陰謀っぽいのだけど、ウラル・アルタイ民族や騎馬民族説、大アジア主義は大義名分として編み出された疑似歴史っぽい。もともとの動機が「今なお私の想像力をかきたてる。そこに埋もれているが、私が気になることばを発掘してみたい。」だから、とりあえずくくれればよいのだろうけど。なんかもやもやする。

この本を読んで感じたのが「日本という国が世界史に登場したのは日露戦争からなのだな」ということ。第二章のウラル・アルタイ民族の章にこういう部分がある。

あまり知られていないので、ハンガリーと日本との関係を調べておこう。これについて詳しいのは野副重次の『ツラン民族運動と日本の新使命』である。

ハンガリーの中心となるマジャール人は、ハプスブルク帝国(オーストリア)の支配からの独立を目指していた。1948年10月革命で、コッシュートによる独立運動は、メッテルニヒが助けを求めたロシア軍によって粉砕された。それ以来、ハンガリーは、オーストリアとロシアに深い恨みを抱くようになった。それだけに日露戦争でロシアを日本が破ったとき、ハンガリーはお祭り騒ぎであったという。

『ツラン民族運動と日本の新使命』のはじめにおどろくべきことが書いてある。第一次大戦後に独立したハンガリーは1920年の国会に、国王を日本の皇族から迎えようという議案を出したというのである。これは通らなかったようだが、こんな案がでるのは、日本への幻想的な期待を示している。

この本によるとシベリア出兵のとき、日本はロシアから受け取った俘虜のうち、特にハンガリー人を同報として大事にあつかった。その感謝として、帰国した彼らは日洪協会(日本・ハンガリー協会)を作った。

(pp. 50 -51)

これとは別に以前読んだ「坂の上のヤポーニア」ではリトアニア人が日露戦争で勝利した日本に熱狂し、日本を理想的な国に仮託して、リトアニア独立に尽力したカイリースという青年がでてくる。彼は日本に一度もいったことないのにリトアニア語で日本論の本を書いた。

日露戦争での勝利というのは、ロシアに圧力を加えられていた国やロシアをけん制したい国にとって本当に衝撃的なことだったんだと思う。

で、この2章の部分ではツラン同盟という燃える「陰謀のセオリー」が登場する。ウラル山脈を経由してハンガリーと日本が同じ「ツラン民族」ということで手を結ぼうという話。この話から面白そうなフィクションがどんどんでてきそうでとても興奮した。

これを受けての3章は、日本人・日本語の起源についていろいろと書いてあるのだけど、確かに興味深いのだけど筆者自身が言語学の人じゃないっぽいので、どこまで受け入れてよいのかがわからないところ。以下の部分が興味深かった。

次に「日本語系統論の現在」の中の、長田俊樹「日本語系統論はなぜはやらなくなったのか―日本語系統論の現在・過去・未来」を読むことにしよう。このテーマの状況を非常によくまとめている。まず国際日本文化研究センターでこのテーマの共同研究会をやろうとしたとき、メンバーを集めるのに苦労したという。系統論をやりたがらないのは、関心はあるが、まともな言語学者が手を出すべきではないという考えと、言語学の仕事ではないのでまったく無関心であるという両極があった。どちらにしても、系統論は言語学の主流からはずれてしまったわけである。

戦後の一時期には、言語学に系統論は欠かせないと考えられていたという。ところが系統論がきちんと論じられなくなると、勝手な系統論が暴走し、一般の言語学者はますますいや気がさして、そこから離れるという悪循環が繰り返されている。
(p. 73)

もし、上記の部分が本当で今でも続いているとしたら、とっても残念。

4章は騎馬民族起源説。日本が中国東北部へと進出してる現実から逆算して、騎馬民族起源説の妥当性が認識されたのではないかという指摘。私はそもそも騎馬民族起源説自体しらなかった。この4章と8章のモンゴル、そして、9章のシルクロードはどちらかというと歴史学者としての在り方を批判するという内容なので、1章〜3章までの話とはちょっと毛色が異なる。

5章大アジア主義、6章ユダヤ・反ユダヤ、7章回教コネクションの話。どれも陰謀というよりは戦前はこういうことがあったよというのを戦前の書籍から説明している内容になる。1章や2章とはだいぶ毛色が違う。どれも興味深い話だった。特に戦前にイスラムブームがあったというのはとても面白い。ロシア革命に乗じたシベリア出兵の際に、トルコからの亡命者が日本に来て日本における回教ネットワークの礎になったとのこと。

8章モンゴル、9章シルクロード、10章大東亜共栄圏はモンゴル研究、シルクロード研究、南方研究の研究者が日本のそれぞれの地域への出兵のスパイおよび世論作りに利用されていたのに、当人たちおよび学界のそのことに関する総括がないという点を批判している内容。

序論、1章と2章はまさに「陰謀のセオリー」という感じ。3章と4章は当時はやった学問というものも実は日本の中国東北部進出という流れに寄り添う形(利用される形)であったという話の紹介。5〜7章は日本の中国東北部進出に関連しての興味深い話の紹介。8〜10章は歴史学の反省みたいなな内容。面白かったけど、まとまりなかったなぁという感想。

この感想エントリーもまとまりないけどここまで。