李白の故郷はキルギスタン

てっきり漢人だと思っていたけど。それともキルギス在住の漢人の子供なのかな?

そのドライバーは途中でびっくりしたことを教えてくれました。李白の故郷がキルギスタンであり、お墓は未だにキルギスタンにあると言われました。早速iPadで「百度百科」を調べると李白の生地は確かにキルギスタンとなっています。
宋文洲のメルマガの読者広場:長安をゆくより

李白の故郷論争はあるらしい(でも元のサイトはちょっと怪しい)。

「頭をあげて明月を望み 頭を低れて故郷を思う」−誰もが心を打たれる数々の名作を残した唐代の詩人・李白の出身地をめぐり、キルギスや中国各地が争奪戦を繰り広げている。

事の発端は、2009年8月に作成された湖北省安陸市の観光コマーシャルに「李白の故郷、銀杏の里、湖北安陸へようこそ」というセリフが入っていたこと。李白は安陸市に10年間滞在していたとされ、同市は「李白の故郷」であると主張している。それに対して、李白の出身地としてすでに登録商票を申請中の四川省江油市は、安陸市のコマーシャルに強く反発。江油市は李白が25年間も同市で生活していたと主張し、安陸市のコマーシャル差し止めや、「李白の故郷」の使用禁止を求めるなど訴訟も辞さない構えだった。
〜中略〜

さらには、キルギスが「李白の出身地は同国のトクモク市に位置する」と主張し、安陸市と共同で李白の銅像を立てると発表。また今年3月、甘粛省出身の学者が李白の故郷は同省天水市にあるという論文を発表し、バトルは白熱化している。
〜後略〜
大紀元:李白は外国出身?出身地をめぐる争奪戦が白熱より)

今の通説はキルギス出身みたい。

中国李白研究会(本部:安徽省馬鞍山)や各地の李白学会によると、李白生誕の地は“吉爾吉斯斯坦北部托克馬克附近(キルギス共和国北部のトクマク附近)”としている。ここが近年の通説地である。他説の綿州昌隆県(現四川省江油)とは李白5歳のころに移り住んだ土地とのこと。
第十回 『李白とゆく』 (最終回)より)

ja.Wikipedia:李白が多くの説を列挙してくれてわかりやすい。

李白の出自および出身地には諸説あり、詳細は不明である。『旧唐書』本伝の記述では山東の出身とするが、清の王蒅などをはじめ、通説はこれを誤りとする。

李陽冰の「草堂集序」および范伝正の「唐左拾遺翰林学士 李公新墓碑」、さらにこれらを踏まえたとされる北宋の欧陽脩『新唐書』などの記述では、李白は隴西郡成紀県(現在の甘粛省天水市秦安県)の人で、西涼の太祖武昭王・李翬の9世の後裔とする。李白の先祖は、隋末の時代、何らかの事情で西域の東トルキスタンのあたりに追放され[2]、姓を変えてその地で暮らしていたが、中宗の神龍年間、西域から蜀(現四川省)に移住し、李白の誕生とともに李姓に復したという。

20世紀になると、陳寅恪らが李白を西域の非漢民族の出身とする新説を出した。日本の研究者でも松浦友久などが、李白の父が「李客」と呼ばれ、正式の漢人名を持ったという形跡がないこと、また後年の李白科挙を受験しなかったことなどを根拠に、この説を支持している。

現在の中国における通説では、李白は西域に移住した漢民族の家に生まれ、幼少の頃、裕福な商人であった父について、西域から蜀の綿州昌隆県青蓮郷(現在の四川省江油市青蓮鎮)に移住したと推測する。

ついでに見つけた記事。素敵&日本が中華文化圏の辺境だったことが良く分かる。辺境での原典収集はすごく大事。