水辺に来た馬が心折られず水を飲めるようにするためには?

Togetter:私たちは勉強がキライです内の以下の発言について。

だから、どうか学歴の高い人達よ、私を含める「普通の人」が学ばないことを攻めないで。私たちは勉強がキライです。どうしたら勉強したい気持ちになるか、そこも教えてほしいなー。(゚∀゚)
Twitter: ぶたやまより)

違う。話し手は正直たくさんいるの。プロ、アマ問わず。問題は、学びたいと思うモチベーションをあげにくくなっていること。大事なことが浸透しないまま、関心がなくなりつつあることなのよ。勉強なんかしたくないんだよ、みんな。
Twitter:ぶたやまより)

私たちは「外部から強制される」勉強がキライです。なら、ほぼ、人類すべてに当てはまる命題だと思う。パチンコ・パチスロ好きな人は、勝手に情報収集して、台の攻略法を検討、考案したりするけど、パチンコ・パチスロやらない人はそういうことやる気にならないし、やりはじめても挫折する。トランプゲームに勝ちたいから、確率・統計を勉強する人などもいるので、自分が知りたいと思う限りは知ることが嫌な人はほとんどいない。一方で、自分が価値がないと思うことをやらされることを苦痛に思わない人はこれまたほとんどいない。閑話休題

以下のように場合分けを考える。

ケース 学びたい意志があるか 内容が難しくて心折れるか
A ある 折れる
B ある 折れない
C ない 折れる
ない 折れない

上記のぶたやまさんの発言はC、Dのケースの人たちが「学ぼう」という意思を持つ方法を学歴の高い人に求めているように思える。で、これはちょっと厳しい。ことわざに云う「馬を水辺に連れていけても、水を飲ませることはできない」案件であるため。どうやって学習のモチベーションを掻き立てるのかは一般化が難しい話で、公立学校の先生方は常に頭をいためていらっしゃると思う。

一方で、Aのケースの場合には学歴の高い人がどうにかできる余地がある。これは馬は水辺にきているのに、水を飲むためのハードルが高くて、そこで水を飲むのを止めてしまっているケースであるため。水を飲むためのハードルを下げることができれば水は飲んでもらえる。

コメント欄の以下の発言から、ぶたやまさんはAのケースも懸念しているのがわかる。

だからね、「基礎から体系的に学ぶって大切」って言って終わりにしないでほしいな・・・っていう話をしていますです・・・。

Aのケースで、学習者側が教師役に提供できる最高の手助けはコメント欄でPKAnzugさんが書いている「どこで心が折れたか」「どうして心が折れたか」を教えてくれること。

専門の人間から見た時に、基礎のない人がどの辺から分かってないのかが分からない、というのが結構大きな壁になってるのかなって思うんですよね。基礎から書いてるはずの初歩的解説書なのに、解説書の解説書が必要だった、なんてのを、私はC言語のポインタの本で経験しています(もちろん、これは私が分からない側)。そういう点を考慮すると、気楽な対話で学べるような場や、Twitterでの1 on 1の質疑は有効かなと思います。

これを教えてもらえると非常に助かる部分。わかってしまったあとはわからなかったことがわからなかったりするので。納豆トーストをいつも食べる人は、納豆+パンに驚愕する人がいることを理解できないのと同じ。