北沢かえるの働けば自由になる日記:モノを知らないことが自慢ですを読んで、私も学生もよく「知りませんでした」を自分に責任がないことの言い訳とするよなぁと思ったのでメモ。
前提
- 自力で情報を収集できなかったり、自分の意志で判断する権限がないならば、その判断に伴って起こる出来事の責任は自分にはない
- 指示や助言どおりに対応せずに悪いことが起こったとしても、最終的には現状復帰できる
理屈
何か自分にとって悪い事態が発生したとする。そのとき、以下の理屈の元で「知りませんでした」と述べるのが最適行動になる。
- 「この事態は致命的なものではなく、最終的には現状復帰させることができる」と信じる
- 「自力で情報を収集できなかったり、自分の意志で判断する権限がないならば、その判断に伴って起こる出来事の責任は自分にはない」と信じる
- このため、自力で情報を収集できなかったり、自分の意志で判断したならば、この判断に伴って起きた出来事の責任を自分でとらなければいけないかもしれない。
- 自分で責任をとったならば、自分で現状復帰させなければならない
- しかし、自分では現状復帰させることができそうにない。
- よって、自分が責任をとってはならない。
- 自分が責任をとらないためには以下のどちらかのことを示す必要がある
- 自力で情報を収集できなかった
- 自分の意志で判断する権限がなかった
- 組織における仕事を除き「自分の意志で判断する権限がなかった」ことを示すのは多くの場合難しい
- また、「自分の意志で判断する権限がなかった」ことは第三者によって検証されやすい
- よって、「自分の意志で判断する権限がなかった」は示しづらい
- 一方、これまでの初等・中等教育においては「情報は上位者から与えられるもの」であった
- 「自力で情報を収集できない」私が「情報を知らない」ということは、「情報を与える上位者が悪い」ということになる
- 以上より、「知らなかった」という主張を行うことで、自分に責任がないことを主張できる。また、現状復帰の責任も自分以外の他者に要求できる
この理屈が通らない理由
多くの場面でこの理屈がとおらない。
- そもそも現状復帰不可能な事柄があるので、悪い事態が起こってから責任を追求しても遅い
- 誰も外部圧力より「自力で情報を収集できない」状況にあなたを追い込んでいない
- 仮に、情報収集に時間、金銭、学習コストがかかり、簡単でないとしても、自分にとって重要な事柄に関しては、重要度に応じて悪い事態が起こらないようにするための準備や予防措置、対応措置にコストをかけるのが当然とみなされる(冷蔵庫にいれたプリンを誰かに食べられたくない場合は、名前を書いておくぐらいのコストはかけないといけない)
おわりに
「知りませんでした」が自分に責任がないことの言い訳としてとおるのは、高校まで。大学では厳しい。学校の外ではもっと厳しい(ほぼ、無理)。
免責に関しては「予測可能」であるかどうかが普通かも。でも、私の感じている「知りませんでした」はこのエントリーのような理屈で発せられているような気がしてならない。ちなみに免責に関していえば、「何を知っているべきだったか」と合わせて問われるので、単純に「知りませんでした」は言い訳にならない場合もある。知らなければ調べなければいけないこともある。