一定期間に詰め込める知識の量が同じと考えれば妥当な帰結

大学生の学力低下が指摘されるなか、大学生・短大生の4人の1人が、日没の方向を「東」と答えていたことが明らかになった。また、地球の周りを回る天体として太陽を挙げた人も2割近くいた。この数値は小学生を対象に行った調査結果と大きくは変わらず、中高の理科教育の意義が問われることにもなりかねない。

実態が明らかになったのは、東海大学産業工学部(熊本市)の藤下光身(ふじした・みつみ)教授らが2011年4月から5月にかけて行った「短期大学生・大学生に対する天文基礎知識調査」。調査内容は、11年9月に鹿児島大学で開かれた日本天文学会の「秋季年会」でも発表された。

定期的にこういう話がでるけど、一定期間に詰め込める知識の量が同じと仮定すればほぼ妥当な帰結だと思う。この事実が表すのは藤下教授の分析のとおり日没の方向は重要度が低い情報であったということ。

当時の小学生は現在の大学生の世代にあたるため、今回の調査は、この世代がどの程度知識の面で成長しているかをみる狙いもあった。だが、中学校、高校を経ても知識レベルで大きく成長していることは確認できなかった形で、藤下教授は、

「正答率の低さは衝撃的」

と嘆息。

「若い人が、『どちらの方角から日が昇るか』といった、科学を意識しなくても生きていける現状があるのではないか。学生に『石ころが、だいたい何グラムか』『30センチはどのくらいの長さか』という質問をしても、とんでもない答えが返ってくることがある」

と、学校の理科の授業で習ったことと、自分が実際に生きている世界との断絶を指摘している。

何万年前に今の人類が成立したのかわからないけど、数万年間、人類の基本スペックは変化していないはず。一方、数万年の間に取り扱うべき情報および知識の量は飛躍的に増えた。20年前と比較しても、基本知識とされているものの量は数倍から十数倍に増えていると思う。スペックの変更がなく、教育方法の劇的な進化がないならば、一定期間に学べる情報および知識の量は一定であると考えるのは自然。

扱う基本知識の量が覚えられる量よりも多いならば、優先順位をつけて情報を取捨選択しなければならない。このとき、日没の方向を覚えるよりも、英語の文法や犯罪から身を守る方法、Webを用いた適切なコミュニケーション法などを学ぶ方が優先順位が高いと考えても、しょうがない。

これが学力低下というよりも興味の偏りおよび断絶といった方が適切な事例だと思う。

ちなみに、自分の子どもおよび知り合いに日没の方向を覚えておいてほしかったら、サバイバルものの漫画やドラマ、映画をみさせると一発で覚えてくれると思う。あるいは、ハイキングに行って、コンパスではなく太陽で方角を示してみるとか。以下の番組を1シーズンみせたら、確実に日没の方向を覚えます。北極星で方角を探す方法も覚えられるかも。