どうやったら質問を思いつけるの?

どうやったら卒研を失敗できるか:他人の話を聞くのをやめるでいただいた、人の話を聞いた際の疑問・質問の抱き方のコツがあれば教えて欲しいという依頼に対しての私なりの回答。

まとめ

  • 質問を発するためには、以下の2つのステップを踏む
    • 「情報の欠落に気づく」
    • 「欠落している情報を明確化する」
  • 情報の欠落に気づくためには、話題になっている事柄の知識(一般常識、専門知識)と話題の伝え方に関する知識(プレゼンテーション技術、批判的読み方、論理的思考法)が必要
  • 欠落している情報を明確化するためには語彙、質問の型、経験が必要
  • 情報の欠落に対する感度を挙げる方法
    1. 話題の伝え方に関する知識を増やすために、プレゼンテーション、批判的読書法(クリティカルリーディング)、論理的思考法(ロジカルシンキング)に関する本を読む
    2. 気づいた欠落している情報をメモするために、講演、授業、ミーティングの際はメモ帳と筆記用具を必ず用意する癖をつける
  • 欠落している情報を明確化しやすくするための方法
    1. 自分の思考や感情を言語化する訓練をするために、時事ニュースに対してニュースのまとめ+そのニュースに感じた自分の感想や意見をTwitterやブログ、SNS、あるいは日記に書き綴る
    2. 自分の考えを明確化するための質問の型を増やすために、自分が感心した質問の仕方をパクる(コレクションする)
    3. 質問の経験を積むために、自分が参加する講演、授業、ミーティングでは必ず*個質問をするようにする
  • 質問が思いつくこと、質問を口にだすこと、発した質問が適切であること、質問に回答してもらえることはそれぞれ別々のことなので、一度に全部を達成しようとしてあせらないこと

はじめに

どうやったら卒研を失敗できるか:他人の話を聞くのをやめるに以下のコメントを頂いた。

正に今の自分そのものが書かれていて胸に突き刺さりました。

自分の場合、何が分からなくて何を質問したらいいのかすら分からず、言われた通りに進めた結果失敗した上、教えて貰ったことも全くものにできず、先輩との仲が完全に冷え切りました。今では挨拶すら返してもらえず、軽度の欝を患い通院中です。

自業自得といえばそれまでですが、それでもなんとかやり直したいと考えてます。出来るかどうかは別として、ですが。来年度こそまともな成果が出せればと思う反面、まずどうすればいいのかが分からなくて悩んでます。

具体的な質問のやり方ではなく、人の話を聞いた際の疑問・質問の抱き方のコツがあれば教えて頂きたく。

どうやったら卒研を失敗できるか:他人の話を聞くのをやめるのコメント

「具体的な質問のやり方ではなく、人の話を聞いた際の疑問・質問の抱き方のコツがあれば教えて頂きたく」への回答は多分、教育工学や協調学習の分野の人たちが研究しているところだと思うけれども、私なりに考えてまとめてみたいと思う。

質問が思いつかないのはあなただけではない

実は「質問が思いつかない」、「質問ができない」というのは最近の大学生の多くが抱えている悩み。

さらにいえば、戦後の日本の義務教育を受けた人はほぼ共有している悩みでもある。原因は、大学3年生までの教育(卒研以前)までは、自分の意見をねほりはほり尋ねられたり、分かるように説明しなければならないという経験に圧倒的にかけているという点にある。

運動でも同じだけど、日常生活で必要とされないものはトレーニングしなければ身につかない。質問を思いつくというのも技能なので、訓練が不十分であるならば、質問を思いつけなくてもいたしかたない。

質問が思いつくとはどういうことか?

私の考えでは、質問を発するためには、以下の2つのステップが必要だと思う。

  • 「情報の欠落に気づく」
  • 「欠落している情報を明確化する」

疑問を抱くというのは、今、話題になっていることにおいて何かしらの情報の欠落に気づくことだと思う。文章を書くとき、あるいは発表をするときの基本として 5W1H(What, Why, Who, When, Where, How)を忘れるなとよくいわれるが、これは物事を伝えるときに、これらが欠落していると聞き手が理解できなくなるからだ。5W1Hは話題を理解するための代表的な要素であるけれども、実際には、よりさまざまな要素がそろって初めて我々は話題を理解できる。疑問というのは、話題を理解するため、あるいは、あなたが何かしらの判断を下すために必要な情報の欠落を埋めるもの。

ただし、この段階では、「あれ、おかしい」とか「全然、わからん」とか「もやもやする」などの感覚的なものでとらえられることが多いと思う。ところが、この感覚的な疑問(疑念といったほうが良いかもしれないけど)のままだと、自分が何の情報を求めているのかが自分自身でわからない。ちゃんと明確化してあげる必要がある。

情報の欠落に気づき、その後、それを明確化することで、初めて質問が思いつくという状態になる。

情報の欠落に気づくためには何が必要か?

研究能力の発達段階にも書いたことがあるけど、研究室配属当初の自分を思い返して見ると、今と比べて質問の適切さが足りなかったと思う。具体的に言うと、先生から指導してもらった内容に何の疑問も抱かなかった。自分の研究テーマに徐々に親しむにつれ、あるいは自分の思考の癖(すなわち、何を知らないと理解できないのか)に徐々に気がつくにつれ、先生から指導してもらっている内容について疑問が生じ、質問できるようになった。良く言う「知れば知るほど、自分が知らないことばかりであるということに気づく」というやつ。つまり、話題に関する知識によって、情報の欠落に気づくようになった。

一方で、助教として着任して5年目。毎年、修士論文審査会と卒業論文審査会にでていると、全然、自分と異なる分野の発表を聞かなければならないことがある。自分はその分野のことを全然知らないのにも関わらず、私は質問をできている。また、国際会議に参加したとき、英語の発表だと、私は発表者の話の5割ぐらいしか聞き取れない。しかも、自分の研究分野とは違うときが多い。でも、私は「〜がわからない」と感じ質問できている。どうして、そんなことができているのかというと、私は研究成果発表の型を良く知っており、研究のテーマを問わず、成果発表の際にはその型どおりに発表しないといけないということも知っているため。細かい話はブラックボックス化(発表者の主張をとりあえず受け入れる)して聞き、「何をしたか(What)」、「なぜ、それをする必要があるのか(Why)」、そして「結果として何が得られたか」だけをきっちり聞く。これらが説明不足だったり、「何をしたか(What)」と「なぜ、それをする必要があるのか(Why)」が関係なかったり、「何をしたか(What)」と「結果として何が得られたか」が関係なかったりしたらそれを質問している。これは、内容よりも、形式や話の筋の知識によって、情報の欠落にきづいているということ。

まとめると情報の欠落に気づくためには、話題に関する知識と話題の伝え方に関する知識が必要だと思う。話題に関する知識は、一般的知識(基礎的知識)と専門知識に分かれる。一般的知識は主に義務教育期間中に学ぶ知識と一般常識(と言われる社会に関する知識)から成り立ち、専門知識はある分野の人でないと知らない知識。話題の伝えかたに関する知識は、話題の伝える媒体によっていろいろあるけれども、ある程度体系化されているのは、論理的思考(ロジカルシンキング)、プレゼンテーション技術、批判的読書法(クリティカルリーディング)など。

欠落している情報を明確化するためには何が必要か?

話題に関して、何か疑問を抱いたとしてもそれをすぐに質問にできるわけではない。テレパシー能力を持たない我々にとって、疑問は言葉に変換して質問文として相手にぶつけないといけない。

学生指導をしていて気づいたのだけど、質問が苦手な学生の特徴の一つにメモをとる習慣がないというのが挙げられる。銀河英雄伝説ヤン・ウェンリー曰く「本当に重要なことは忘れないから、メモなどとる必要はない」。だけど、創造的な仕事をする人は経験的にわかるとおり、アイデアというのは思いついたらすぐにひっつかんで確保しないと光の速さで過ぎ去ってしまう。疑問も同じ。「線形代数における固有値って何の役に立つんだろう?」という素朴な疑問は、多分、人生において本当に重要な事柄ではない。なので、忘れないとは言えない。たぶん、お昼に「何たべよっかな?」と考え始めた瞬間忘れて、次の線形代数の授業まで思い出せない。

よって、欠落している情報を明確化するためには、自分が情報の欠落に気づいたという事実を書き留めている必要がある。

また、質問が苦手な学生の別の特徴として、語彙が貧困、あるいは、質問のバリエーションが少ないということが挙げられる。質問の型をいくつか持っておくと便利でもあるように「よくわからない」「これは何ですか」「分からないことが分かりません」「何かもやします」などしか状況の説明ができない、あるいは、質問ができない。何の情報が欠落しているのかがはっきりと言語化できなければ、質問文として相手に示すことができない。「私は何の情報がかけていると気づいたので、『もやもやしている』のだろう?」という認識ができなければ、感覚的な気持ち悪さから先にはすすめない。

私たちは、案外「語彙」に思考を制限されている。聖書で「初めに言葉有りき」と言われているのは伊達じゃない。語彙が少なければ本当は異なることなのに、言語化すると同じ表現になってしまい同じことをぐるぐるずっと考えてしまうことになる。また、語彙だけでなく、適切に考えを言葉にするための手助けも必要。具体的にいうと質問のテンプレートをどれくらいもっているのかということ。何となく覚える違和感を一発で適切な語彙に当てはめるのは至難の技、自問自答、試行錯誤しながら徐々に適切な語彙を探っていくのが普通。このときの手助けが質問のテンプレート。

よって、欠落している情報を明確化するためには、語彙と質問のテンプレートが必要となる。

語彙と質問のテンプレートは学ばなければ増えない。語彙と質問のテンプレートを学ぼうという意欲は、自分が欠落している情報を明確化できなかった経験によって与えられる。なので、欠落している情報を明確化することに取り組んだ経験が必要となる。

情報の欠落に対する感度をあげる方法

情報の欠落に対する感度を挙げるためには、話題に関する知識と話題の伝え方に関する知識を増やすことが重要だけど、すべての話題に関する知識をあらかじめ用意しておくのは無理。そこで、まずは話題の伝え方に関する知識を増やすことを目的とした方が良い。

話題の伝え方に関する知識を増やすてっとり早い方法は、プレゼンテーション、批判的読書法(クリティカルリーディング)、論理的思考法(ロジカルシンキング)に関する本を読むこと。本屋や図書館のビジネス本のコーナーがこれらの本であふれている理由は、これらの技術が汎用的であるため。先人が蓄積した知識を思う存分使いこなそう。

これらの本では「この伝え方からはずれると、情報の欠落が発生する」ということを学ぶ。「うまく伝えるためにはこうしたら良い」ということは、相手がそうしていなければ、うまく伝わりにくいということなので、そのうまくできていない点に注意すれば、情報の欠落に気がつきやすくなる。

また、一回読んで理解できなくてもへこたれないことが重要。一度で分からなければ五度読めばよいだけの話。お金に余裕があるなら、本を購入し、ラインマーカーで自分が重要だと思うところにラインをひきながら読むと再読のときに楽になる。購入した本(特にHow To系)は自分が使いこなしてこそ価値がある。綺麗に残しておいたって、古本屋では二束三文なんだから、書き込み、線引き、ページ折などを駆使して使いこなそう。当然のことながら、図書館で借りた本はそんなことしちゃダメ。

論理的思考に関しては、小野田 博一:論理的に書く方法―説得力ある文章表現が身につくは絶版のようだけどおすすめ。読んだことないけど、同じ著者なので小野田 博一:論理的に考える方法―本質への筋道が読めるも大丈夫だと思う。伊勢田 哲治:哲学思考トレーニングも良い。発表については、一番シンプルな研究系の発表をベースにしたほうが良いと思う。ビジネス系は人の感情をコントロールする技術を含めているので「質問が思いつくようになる」という観点からすると盛り込み過ぎ。理系のための口頭発表術が短くておすすめ。

批判的読書法については良い本を知らないけど、スタディスキルズ―卒研・卒論から博士論文まで、研究生活サバイバルガイド の一節に要点がまとめられている。私なりに言い換えると「本に読まされるのではなく、本を読む」のが批判的読書法。あなたが、本の中から必要なことを見つけるのであって、本の著者の主張をあなたが丸飲みするのが読書ではないとうこと。主人はあなた、本はあなたに知識を届ける使用人。

また、気づいた欠落している情報をメモするために、講演、授業、ミーティングの際はメモ帳と筆記用具を必ず用意する癖をつけよう。あなたのまわりで良く質問する人をちょっと観察して欲しいのだけど、彼らはたいてい講演中、授業中、ミーティング中にメモをとっている。かれらは、中学や高校のときのように講演や授業の要旨をまとめているのではなく、聞いていてわからなかったこと、あとで尋ねたいこと、違和感を覚えたところをメモしている。メモは文である必要はなく、単語と記号で十分。たとえば、「Webでデータベース?」とか「ソーシャルネットワークと何がちがう?」とかで十分。人間の脳は案外よくできていて、1日ぐらいなら、こういうメモから何を考えていたのかを思い出せる(数日後に思い出す場合は、ちゃんと文章化しておかないと無理)。

ちなみに私は、100円ショップなどでクリップボードこんなの)を購入し、これにコピーの裏紙を挟んでメモ帳代わりにしている。どうせ、コピーの裏紙なので自由に適当に書いて、必要だったらパソコンやノートに書き写し、必要でなければそのまま資源ごみにする。うちの研究室の学生はみんなクリップボードを買って同じようにしている。携帯性にこだわるなら、Rohodiaが破るときに気持ちよいのでおすすめ。

最後に専門知識や一般知識は徐々に増やすしかない。

欠落している情報を明確化しやすくするための方法

欠落している情報を明確化しやすくするには、語彙を増やすことと、自分の思考や感情を言語化する訓練を積む必要がある。

私たちは自分の思考や感情をでたらめな言葉を使ってなんとなく把握している。まずはこれに気づくことが肝心。どうやって気づくかといえば、自分の思考や感情を文章に書き出して見るしかない。でも、特にお題がないと書き出すモチベーションがわかないので、時事ニュースに対して自分がどう考えているのか、どういう感じを持っているのかを書いてみることにしてみたらよい。内容は、ニュースの概略とそのニュースに感じた自分の感想や意見をという形式にしたらよい。これは、事実と主張をかき分ける訓練にもなるので卒論へ向けた訓練としても効果があると思う。せっかくだから、Twitterやブログ、SNSに書いておけばいろいろな意見がもらえるので張り合いがでるかもしれない。ただし、公開時にはちょっと注意が必要。詳しくは学生がはてなダイアリーを使うときに気をつけるべきことを参照。公開するのが嫌ならば、日記としてこれを行えば良い。

これを続けていくと「自分の考えをまとめるのは難しい」とか「あれ?わたしって結構いろいろなことに意見をもっているんだなぁ」とか「自分はこういう系統の話が嫌いなんだな」などと自分自身を知ることができるので結構おもしろい。

また、自分の考えを明確化するための質問の型を増やすために、自分が感心した質問の仕方をパクる(コレクションする)のも良い。万能な質問というものはないので、自分が明確にしたいことに適した質問を使うと、何の情報が欠落しているのかを見つけやすい。たとえば、私のコレクションはこちらにまとめてある。質問の型をいくつか持っておくと便利一匹狼のための一人Q&A大会

最後に、質問の経験を積むために、自分が参加する講演、授業、ミーティングでは「必ず*個質問をする」と決めて臨むことをおすすめする。あくまでも個人的経験からだけど、「必ず何かしら質問する」というつもりで話を聞く場合と「わからないことがあったら質問しよう」というつもりで話を聞く場合では、前者の方がより人の話を深く聞くことができるように思う。理由は、質問するために話の筋や情報の欠落を意識するから。たぶん、最初はつまらない質問、あるいは何を尋いているのかわからない質問しかできないと思うけど、経験を積むにつれて、欠落している情報を的確に言語化できるようになるので、良い質問ができるようになっていくはず。日常生活でこれを実行するといやがられるので、研究室のゼミや講演会、授業などで実行すると良い。

質問を思いつけるようになったあとは?

質問が思いつくこと、質問を口にだすこと、発した質問が適切であること、質問に回答してもらえることはそれぞれ別々のことなので、一度に全部を達成しようとしてあせらない。そうじゃないと、自己嫌悪に陥ってしまう。

質問を思いついた以降については以前エントリーでいろいろと書いたので参考にして欲しい。

おわりに

我ながら分析や説明がいまいちだけれども、今現在の私の知識と経験からいうとこれが限界。以上、お役にたてれば幸い。

追記

  • kkobayashi 「欠落を見つける」みたいな観点で話を聞くのは嫌だなあ。間違い探しみたい。

説明不足でごめんなさい。「情報の欠落」は受け手の必要とする情報の欠落ですから、必ずしも伝え手側が悪いわけではありません。私たちは情報の処理方法が一人一人違いますから、同じ話を聞いても必要とする情報が違います。たとえば、近所のスーパーの話をするときに住所さえ聞ければ場所の把握ができる人と最寄りのランドマークからの道順まで説明されないとわからない人では、何の情報を欠落しているとみなすのかが異なります。

「情報の欠落に気づく」というのはどちらかといえば、相手の話を丹念に追うというよりも、自分が相手の話をどう理解しているのかを丹念に追うというところに主眼を置いています。