良い子で優等生なあなたにエールを!

最近は「昔はワルだった」とか「学校なんてくだらないと思って行っていなかった」とか、「勉強はできるのに仕事はねぇ」みたいな「良い子」でないことや「優等生」でないことを賞賛する風潮があるけど、それは「『良い子』でなかった人や『優等生』じゃなかった人も素晴らしい人はいるよ」ということであり、「良い子で優等生であるあなたは素晴らしくない」ということではない。

何かを成し遂げることを山の頂上に立つことにたとえれば、「良い子である/ない」「優等生である/ない」というのは登山口が違っているだけの話。

「やりたいことがない」というのは別に悪くない。「やりたい」という意思はタイミングと状況があればいつでも湧いてくる。重要なのは、やれる能力が身についているかそうでないか。やりたいことがある人は、必要な能力の習得に情熱を持って取り組めるので有利なだけで、別のモチベーションで能力の習得ができるのであれば、それがやりたいかどうかは関係ない。「特にそれをやりたくないけど、それを遂行できる能力がある」のならば、あなたにそれをやって欲しいと思っている人に、とりあえず手を貸してあげれば良い(あるいは売ればよい)

「人の物まねばっかりがうまい」というのは別に悪くない。オリジナリティの母は模倣。多くの人の物まねをして、やり方(パターン)を習得し、独創性の礎を気づくべき。ただ、気をつけなければならないのは、多くの人の物まねができる人ほど、誰の物まねでもない(先例のないこと)を行うときに、先例無しでそれを行う勇気が必要となる。オリジナリティの父は勇気!良い子や優等生と呼ばれる人は、周りの大人や先生の物まねがうまい。つまり、パターンをたくさん持っているということ。あとは、先例がないことをやるときに怖気付かなければそれで良い。勇気も、自分の内部から湧き出てくるときがあるけど、場合によっては状況や環境が勇気(蛮勇)をくれる。良い子で優等生なあなたは「自分は先例がないときにそれを行うのを躊躇する傾向がある」と理解しておけばそれで十分

「冒険心がない」というのは別に悪くない。漫画の台詞だけど、「怖さを知っていてなお、事態に立ち向かう心を勇気という」というのがある。冒険心にあふれる人の何割かは「怖さを知らない」だけ。知識があるため先がよく見通せるあなたには、守るべきものが多く見えてしまい、なかなかリスクを取れないときがある。でも、リスクを全くとらずに事を成し遂げることは不可能。なので、必要なときには冒険心を呼び起こさなければならない。良い子で優等生なあなたは、本能を精神力で押さえつけるのは難しいと思う、なので、むしろ知識を増やし、リスクを正確に見積もれるように自分を鍛えるべし。現状を正確に理解し、理屈で心を説得し、納得させる技法を身につけよう

「良い子」である自分をダメだとか、疎んじたり。「優等生」である自分を価値無く思ったりするのは、精神衛生上良くない。大人の都合だろうが、学校の都合だろうが「良い子」や「優等生」はプラスの評価なのだから、その良い面だけを血肉とし、悪い面にはあまり影響されないようにすればよいだけのこと。

「良い子」であること「優等生」であることの悪い面とは、「良い子/優等生である私は、悪い子/劣等性劣等生である**よりも幸せになるべきである」と思い込むこと。この悪い面に囚われなければ、ある基準であなたの一側面が評価されたことを意味するだけの「良い子」や「優等生」は、あなたにとっては、他人から「シュークリーム大好きな子」、「ゲーム好き」と呼ばれているのと大差ないはず。だって、「シュークリームが好きな私は、エクレアが好きな***よりも幸せになれるべき」とは普通は思わないでしょ?

ぜひ、「良い子で優等生であった自分」を肯定的に受け入れて、自分の可能性をもっと伸ばす方向にがんばりましょう。

以上、急に思いついたので書いてみた。特に誰に向けて書いたわけではないので深読みしないでね。