事業番号13:競争的資金(若手研究育成)についての仕分け人の疑問

文部科学省:行政刷新会議事業仕分け対象事業についてご意見をお寄せくださいに送るためにまず何を返事したら良いのかを考えてみる。

参考にしたサイトは#shiwake3 wiki - 若手研究育成テキスト(文字おこししてくださったかた、どうもありがとう)。以下の引用は特に断りが無い限りここから行う。

3制度とも若手研究者の生活費と研究費に当てられる経費ではないか?

大きくわけて若手研究ということで3本事業ございます。
まず総論でございます。いずれの制度も若手研究者の生活費と研究費に当てられる経費であり、
重複があるのではないかと、厳しくチェックべきではないかという点でございます。

若手研究者の生活費と研究費を支援するべきという前提の上で、制度に重複があるのが何故悪いのかよくわからない。重複してはいけないのは支援される人間である(一人の人間が複数の支援を受けてはいけない)。事務的経費を問題にするのであれば、事務的経費のオーバーヘッドを問いただすべき。

若手研究者の生活費と研究費を支援するべきでないという前提ならば、制度の重複があるかどうかはどうでもよく、そもそも支援しなければ良い。

もちろん、私は、若手研究者の生活費と研究費は一定の予算内で支援されるべきだと思う。

若手研究者むけの国費投入について成果目標と成果の評価がちゃんと行われているか?

若手研究者むけの国費投入について成果目標は明確か?また成果の検証は行なわれているか?ということ。若手育成は大事でございますが、ただし若手大事の一言で、これまでのばしてきていることはないか?
すなわちどういう若手をどういう風に育成することが我が国の科学技術の発展に寄与するのかと。
そのための手段がはたして有効かどうかという現在の仕組みに対するチェックがきちんと行われているかという視点でございます。

これは指摘のとおり。ただし、何を成果とするかについては「人材」を成果とするべき。なので、どのような人材を欲するかを明確にし、できるかぎり定量的な方法でその人材を評価したほうが良い。まあ、これが一番難しいのだけど。

従来の徒弟制度を残したまま、新しい制度を国費負担で実施するやり方が妥当か?

このテニュアトラックという制度を導入することに対しての国費で支援する制度ですが、
従来の徒弟制度を残したまま、新しい制度を国費負担で実施するやり方が妥当かと。意味はないのではないかという点。

指摘は正しいけど、だからどうしろという話。何が残っていると徒弟制度が無くなったといえるのかを示さないと文部科学省側に適当に言いくるめられてしまう。一方で、徒弟制度が無くなった条件がいえないのであれば単なるいいがかり。

国が費用負担して大学に改革を要請、まあお願いする方法ははたして妥当か?

2点目、そもそも国が費用負担して大学に改革を要請、まあお願いする方法ははたして妥当か?

国立大学法人の制度改革をするならば、国費投入はやむえないでしょうに。なぜならば、予算、学生定員、授業料の改定権限は実質的にすべて文部科学省にあるという国立大学ですもの。

アメリカ型の人事制度は十分に検討が行われたうえで導入が決められたのか?

3点目、アメリカ型の人事制度を導入するという事業でございますが、我が国において最もふさわしい制度として充分検証がおこなわれた上での要求になっているかという点も論点だろうかと思います。

研究者同士で競争するべきというならば、多分、アメリカ型の人事制度が適しているはず。

特別研究員制度について成果の検証が行われているのか?

特別研究員制度、これは若手の研究者を支援するものでございますが、予算額で170億円という大きな導入額となっております。昭和60年から実施され、支援対象人数は毎年6000から7000人にものぼってございます。
これまで支援を受けた人について、たとえば追跡調査などによって成果の検証、つまり意味のある制度かどうか、きちんと検証された上で今こういった要求がなされているのかという点は重要かと思います。

ちゃんと、追跡調査をしなさいというのはもっともな話。諸外国ともくらべて、今の制度が適切かどうかを数値で検討したほうがよい。一方で、検討する前に予算凍結しましょうというのはあまりにもアレな話だ。

特別研究員制度のPD枠を増やしてきたことによって、本来は民間で働ける人材を滞留させてしまっているのではないか?

2点目、いわゆる支援人数増やしてきた、いわゆるポスドク大事だからということで支援人数を相当たくさん増やしてきております。

その結果、本来民間で活躍できるような方、そうした方がある程度の生活費を支給受けることでたまってしまって、実は民間でもっとはばたける方がそこに滞留しているような、そういう結果に落ちいってるようなことはないだろうか、という論点もあろうかと思います。

鶏と卵の関係にあるので難しい。金をなくせば採用されないから生きていくために別の道をみつけるだろうというのは正しい。

大学の研究費等により優秀な若手研究者を雇用することが可能か?

事業の他にも実は大学の研究費等により優秀な若手研究者を雇用することが可能か?ということであります。本制度の対象はやはりそういったことも考慮にいれて極力絞りこむべきではないかと。

日本には、寄付文化が根付いていないので人件費を出せるような競争的研究資金は税金ベースのものしかない。なので、大学の研究費などにより優秀な若手研究者を雇用するのは困難。

大学の研究費などにより優秀な若手研究者を雇用するためには、企業や個人から大学への寄付が発生するように制度(主に税制)をいじるのが先。次に大学が寄付をもらえるに値するような組織、研究成果を出すように改善し、そのあとに、大学の研究費などにより優秀な若手研究者を雇用するという道筋しかありえない。

科学研究費補助金の若手研究の成果目標および成果の検証が行われているか?

最後、科学研究費補助金の若手でございます。
だいたい予算で282億円、実績で1万2千件ほど支援がございます。
先程からこれは重要だという話もありましたが、長年実施されている事業であるが、成果目標は明確かと。
支援を受けた方のその後の状況、どういうことになったかということの追跡調査等により成果の検証は行なわれているか。重要だと思います。

指摘はそのとおり。

でも、科研費の若手研究の位置づけをわかって欲しい。
税金ベースの競争的資金で研究費を出すのを良しとする前提としたとき、現在の日本で一番使用自由度が高く、かつ、額も大きいのは科学研究費補助金である。科学研究費補助金の採択の際には、研究目標が実現できるかどうかが最も重要視されるため、研究者の実績が厳しくチェックされる。その研究者の実績は、主に公表論文、取得特許、これまで得た競争的外部資金によって見積もられる。

この現状において、若手研究者とベテラン研究者を同じ土俵におくと、ベテラン研究者が勝つ。これをそのまま放置しておくと、悪循環が発生し、若手研究者はいつまでもベテラン研究者になれない。これを補正するのが若手研究の主旨。実際、若手研究を受けられなくなった研究者は数年間、基盤研究をとれず科研費の獲得に苦しんでいるという統計データがある(文部科学省学術振興会はもっている)。

アメリカにも若手有利の研究費があったように思うけど、それをどこで読んだか覚えていない。

じゃあ、実績の見積もりを研究計画でチェックしたら?という意見もあり、それは正しい。しかし、それをやる場合は審査側にもっと予算を振り分ける必要がある。また、基盤研究の総額を増やす必要性もある(なんせ、若手研究者分応募者が増えるのだから)。

学研究費補助金における「若手」は40歳前後の方であるがこれははたして若手といえるか?

2点目、40歳前後の方がはたして若手と?、つまり国費でわざわざ支援するほどの年齢の方か?という問題はあろうかと思います。
もう少し、やはり本当に支援すべき年齢層を引き下げるという問題意識でございます

民間基準で若手を考えるべきではない。普通に博士号を取得して28歳。若手は39歳までだから若手である期間は11年。ポスドクをしたり、民間で働いてから科研費申請資格を取得すると、手持ちは7〜8年ぐらい。これぐらいならば、民間企業でも若手扱いは普通だと思う。

文部科学省の考えるアカデミックキャリアパスと連携させるならば、年齢ではなく、博士号取得後〜年とか、科研費申請資格取得後〜年とかにするべき。

もっと、若い研究者に支援すべきという主旨ならば、特別研究員の予算を削ろうとするべきではない(狙いが不整合)。

優秀な若手研究者であれば、わざと受けやすい若手枠を用意しなくても基盤研究に申請すれば良いのではないか?

3点目、関連いたしますが、若手であっても優秀であれば、よっぽど無名な方への支援は必要かもしれないが、一般の競争的資金の中での獲得が可能ではないか?
むしろ審査体制に問題がないか、そういう観点で若手研究者に限った、今のような幅広い支援制度は妥当か、という論点でございます。以上でございます。

上述のとおり。若手枠のメインターゲットは「ベテランにいきなり勝てるほど優秀な若手研究者」ではない。

毎年連続で競争的資金を得ている人はいないのか?

前回聞けばよかったのですが、研究費重複で10名とかになりますけれども、「渡り」というか、これをもらって翌年別の項目でもらってといった、継続してずっともらっているという方は多いのですか。
調査されていませんか。なければいいです。

文科省)研究は三年から五年続きますので…

文科省)的をついた問題でございまして、実は基盤的経費が非常に少なくなっていて、ご指摘のように科学研究費で研究室の研究を維持される人がおられます。
そういう方々はやはり研究費がきれるのを極度におそれますので、たとえば今の現象だと基盤AにふさわしいひとがB・Cにおりてくることがございまして、切れ目のないことにしたいという努力があるのは承知しております。

)気になるのは、ある以前聞いた話では、ある研究分野ではなかなか当たらんから、共同していろなとこ出しまくって、ほとんど一定の額を確保するような分野もあると聞いたことがあります。
それはバレて、そういう風にはならんようになったと聞いていますけれどもね。

文科省)分野の問題につきましては最近キーワードを導入させていただきまして、研究者の課題に近いキーワードをそろえまして、そこを選びながらご申請いただく、融合分野等もそろえていこうという風に考えています。

これの何が悪いのかさっぱりわからない。ほとんどの大学では「研究をするならば外部資金でやりなさい」が合言葉になっている。理工農系の場合「研究」には暗黙に大学院生教育費用が含まれる。具体的には、書籍代、実験器具・試薬代、学会参加費・旅費などだ。分野によって違うが研究室がアクティブに運営されるためには年間数百万円の予算が必要となる。

学生は毎年配属されるわけだから、毎年予算が必要になる。毎年、予算が必要になるならば、切れ目がないように予算をとろうとするのは当たり前の行動。

一方で、文部科学省の「たとえば今の現象だと基盤AにふさわしいひとがB・Cにおりてくることがございまして」というのは問題発言。どうも、暗黙のうちに研究者というのはベテランになればなるほど高額の研究費を使うという前提があるみたいだけど、それは一部のビッグサイエンスだけ。多くの基礎研究や人文系の研究は年間数百万あれば十分に研究ができる。

なので、一度、全科研費申請資格保持者に、理想的には何の研究分野・テーマにおいて、どういう用途で、どれぐらいの研究予算が年間必要なのかをしらべ、科研費の研究種目を再編成するべき。今のビッグサイエンス前提の一点集中方式は、研究の多様性を保ち、未来に多くの選択肢を提供するという主旨からいうと好ましくない。一発ドカンと当てるためには、裾野を広く保つのがスポーツや芸術などの常套手段。

科研費の各分野、全体の年度ごとに予算金額がかわるんでしょうか?

だいぶ前に問題になったと思うんですが、分野、科研費の研究分野かなりの数ありますよねえ。ちょっとお聞きしたいのは各分野、全体の年度ごとに予算金額がかわるんでしょうが、それでノーマライズした値が年ごとに増えているのか減っているのか、ほとんど固定しているのでは?というのが頭にあってお聞きするんですが。
分野ごとの変化がみえているのか、それともほとんど全体の10%、例えば工学系ではずーっと同じようにいってるのかどうか。そこらへんについてはいかがでしょうか。

文科省)大きな傾向といたしましては、私学関係者の応募が増えています。従いまして、人文社会科学系のシェアが少しずつ増えているというのがございます。

)他の細かい、特定の研究分野についてはどうですか?

文科省)細かい、分野についてもそれぞれの研究のひろがりによって変動はございます。

)どれほどの変動幅ですか?

文科省)データ持ってきておりませんが、後で出せれば出します。

これは確かにそう思う。たぶん、ピアレビューをする人材プールが足りてない。

(上の質問の本当の主旨がこれ)新規的なテーマで申請しようとするとき、分野が固定的で自分のテーマに合致する分野がない。このため、まともに審査してくれるか心配である。

)問題はですね。キーワード書くのはいいけど、分類分けが固定で変動がなく、新しいことをやる人こそ、認めて入れたいんだけど評価してもらえなくて、まったく筋違い、語弊あるかもだが、ホントに審査できるのかなぁ、と感じることがあるんですよ。そこらへんについて問題意識はお持ちでしょうか?

文科省) 先生はもうご案内だと思いますが、そのための倫理的な分化細目を作りまして、五年ごとにご意見をいただいたり、あるいは新学術領域ですね、この辺を活用したいと思っております。

)いや、けどね、完全とはちょっと思えないんすよね
現実にやりたいと思っても、ホントに最先端のことをやる人は当たるかどうか分かんないけどやってみようと思って研究費をもらいたい。
昔なら運営交付金や校費がありましたから、お金かからないようなうまく選んでやれたんですが、今は生きるのに精一杯、生きられないような状況。
そうすると科研費を当てようとすると出しようがない。どうして本当にまともに審査されるか疑心暗鬼になることもあるんですよね。

)ちょっと時間があるようなので、さらに言うと。
今までの科学技術関係の教育にしても高等教育にしても、こういう研究資金にしてもですね。
分野ごとの現状とか分野ごとの特性をまったく考慮しないわけです。横一線で。
それこそ極端なこと言うと文科も理科も一緒にやる、と。これがあらゆるところに弊害をもたらしてしまっている。
もっと個別に科学、技術をいろんなところを分けてやっていかないと、こういうことは永遠に繰り返される。
そろそろ抜本的に改める時期に来ているという認識を文科省が持たないと非常に難しい時期だと思います。

既に述べたとおり、一度、どれぐらいの研究費用、どれぐらいの年数単位で支援すべきか調査すべき。場合によっては定額制+国庫に返金可能というしくみの方が科研費総額を抑えられるかもしれない。

(若手研究者養成システム改革について)平成21年度から22年度に賭けて大幅に事業費が増額になっているがこれはなぜか?

)最初の事業シートでうかがいますが、事業費を21年から22年に大幅に増額して要求しておられます。
91億から120億越え。
先ほどの説明ではテニュアトラックが伸ばして、下の方のポスドクインターンシップよりも上が伸びてるように伺ったが、増額分はテニュアの分だと考えればよろしいか?

文科省)大半がテニュアの方で、24億分はテニュアトラックの制度。
下の方も…これ自身が単年度予算ではないので…継続しているから若干増えている。

)テニュアの制度…特定の大学に5年間くらい10名程度のテニュアの予算がポンとはいる制度ですね?

文科省)はい、仕組みの導入がメインで、10人を雇用するのがメインではございませんけれども、あの人件費がメインです。

)そうですね、でこのテニュアによって、その後、テニュアから5年おわった時に就職して、ちゃんと職につけてるか調査できてるか?

文科省)平成18年からはじまってるので…

)途中でどんどん就職するようなカリキュラムにはなってないのか?

文科省)基本的には5年くらい自分で能力をちゃんと発揮していただいて、5年あってテニュア審査があるわけですが、この制度は五年で打ち切りで、はいまた、という形ではやっている意味がまるでありませんので、始めるときには7・8割くらいのテニュア枠を用意していただくという前提で始めております。

従ってこれは20倍、30倍の倍率でテニュアトラックの教員に選ばれていますので、普通にやっていただければその大学のテニュアがとれると考えています。
3年たってるのもあるので、中間評価で極めて優れた人はテニュアになっている。

特にコメントはない。

若手研究者養成システム改革について)PDがアカデミアの方にばかりいき、民間就職へ行かないのはなぜか?

)本来、もう少し力を入れてほしいのはPDを産業界に供給する方なんですが、特に中小企業もふくめて。なぜこれ伸びないんですか?

)これも始めたばかり、これから伸ばしたい。

)いやいや、今年度は少なくとも大部分はテニュアの方ですから

)感覚の違いもありますし、ご指摘をもらいたいと思います

)たぶんPDの希望がテニュアの方に圧倒的に多くて、インターンシップにはなかなか向いてこないという理解したらよろしいか?

)現実の博士課程の学生さんそのものが、アカデミアに向いているのは事実と思いますけれども、それは大学の大学院の環境、教育、こういう事業、教授の姿勢とか本人の視野の問題とかいろんなことがあわさって今の問題が起こっている。
それを変えるための事業
去年はじめてみていいもんだから、今年もやってみようということで。

)そこをちょっと安易に感じるのですが
テニュアの方は希望が多いからどんどん予算が伸びていく。インターンシップの方は希望が少ないから伸びが悪いというのは
ぜひ、逆転させていただいたほうがいいんじゃないかと私は思います

文科省)どちらもやらせていただこうと思います。

これは、省庁をまたいでとりくまないと無理。まずは、新卒採用を法律で原則禁止にして、男女雇用機会均等法によってある程度男女採用差別がなくなったのと同じように年齢差別をなくさないとだめ。新卒採用のせいで、民間企業のキャリアパスが硬直化してしまっており、その結果として博士の民間採用がうまくできていない。

ポスドク問題を踏まえた上で若手研究者養成システム改革を計画しているのかどうか?

議論が一番ぐだぐだになっているところなので、先に意見を書いておく。

この受け答えから理解するに文部科学省側の認識としては現状の問題点は以下のとおり。

  • アカデミックポストを得た人の7割〜8割が博士号取得後、ポストドクターを経ることなく、アカデミックポストを得ている。このため、一度ポストドクターになると優秀な人材でもアカデミックポストを得られない。
  • ポストドクターになると企業への就職ができていない

よって、文部科学省側の若手研究者養成システム改革は以下のポイントが売り。

  • テニュアトラックを導入し、博士号取得→ポストドクター→任期制教員→任期無し教員というキャリアパスを一般的にする(そのための資金支援。ゆくゆくは大学のキャリアパスをこれに一元化する)
  • テニュアトラックに乗れなかった人、もともと民間就職希望者用に民間へのインターンシップを支援する

一方、仕分け人側の認識している問題点は以下のとおり

  • アカデミックポストはこれ以上増やせないのにポストドクターは毎年増えていく
  • 博士号取得者が民間就職を希望しない

よって、仕分け人が懸念している若手研究者養成システム改革の問題点は以下のとおり

  • アカデミックポストよりもポストドクターの方が常に多い状況が続くのではないか
  • 博士号を取得した人はみんなテニュアトラックを目指すのだから、資金援助がなかったならば脱落していた人材が逆にしがみつくのではないか
  • 結果として、余計、民間就職を考えないのではないか

どっちも現状認識として正しい。だから両方をすり合わせて欲しい。

)若手育成、とくにPDの問題で一番の問題はPDをサポートして、たとえば5年なら5年サポートして、その後がないわけですよね。
そういう意味では、テニュアトラックはその先をみすえてた一歩前進だと思うんですが。
何が現場で一番問題かと言ったら、PDでこういう資金をもらえなくなったPDがやたら多い。
一回もらうともう貰えないわけですから。
そういうドクター持ってて就職できない若手研究者ってのは非常に多い。それがどの分野でも非常に問題になっている。
こういうことを続けてると、どんどんそういう人が増えていくわけですよね。テニュアのポジションをどんどん増やしていくのは良いですけど、今度は大学の定員があるから、これもまた増やせない。
そういうロングレンジで物を考えた時に若手を育成すれば、それで済むのかって問題が必ず出てくるわけで、そこのへんの問題をどんな風に考えているか?

)若手育成は、若手向けの研究費をちゃんと取ること。大学中心に若手向けの教員・研究員のポストを用意する。
それから、テニュアトラックの仕組みを整備する。
この3つが一体になってやらないといけない。
現実日本は良いか悪いかは別として、博士を卒業した人はただちに大学教員のポジションについてしまう人が7、8割いらっしゃる。

それをテニュアトラックのようなものをもう少し広めていくことによって外す。そうすると、ドクターを卒業してポスドクをやっていただいて、そこでよく自分の人生を考えて、ある人はテニュアトラックにチャレンジする。
こういう構想がもう少し大学全体のシステムが変わっていくと、今のように一旦ポスドクになったらなかなか戻れない、そういうアンフェアな世界、今がそうであるかはともかく、そういう世界がなくなっていくとは思います。
それと合わせてもちろん定員が増えるというのも大事な問題です。

)いや、僕は非常に驚いているんだけれど、現常認識が現場とものすごいズレていると思ってね。
ポスドクが有り余っていて、学術会議でもどこでもポスドク問題ってのはいろいろなところで出しているわけですよ。
今の話だとドクターとったら7、8割はそのままアカデミアなポジションついてどうのこうのって説明だと、
これ全然現状を反映した答になってないですよね?

文科省)長期的にはもともと博士の卒業生とアカデミックポジションはそうとう乖離がある。
昔はなかった、今はそうとう乖離がある。
基本的に博士でた人がアカデミア以外の産業界で活躍するのは必須です。
そのために博士課程の大学院教育をちゃんと産業界に…

)ですから、一種生活支援の話と研究費の話がちゃんぽんになっている領域の話で、非常に一般国民からみますと非常に不思議な話だろうと聞いてると思うんですよね。
そこを整理しながら論点を進めて頂きたいが、いかがでしょうか?

博士定員を抑制しないで良いのか?

)研究中心の大学ならまだいいが、多くの大学の場合、大学の研究者として、私学とか中小規模の大学の場合、どうしても大学院がステータスになる、なると修士より博士課程ということでですね。やっぱりかなり安易に博士課程をつくっているのではないか?
中小のところを見ると、博士課程の在籍者がせいぜい二人とか三人ですね。特に人文社会系なんてのは特に少ないわけですが、そういうところどうするかというのは、やはり大学の認可権、あるいは色々な評価を考えるところの文科省としては、もう少し大学の運営というのを考えていかなくてはまずいんじゃないか。

)一点だけ。今のに関連するんですが。
要するに、PDが多い、と。余ってる、と。
小・中・高校の理科離れ、その原因は理数系を教えられる教師がほとんどいない。
そういうことを考えるとPDになにか施策としてやるとすると、教員免許を与えるような補助をすると。
で、そっちに送り込む、ということをやる。これが就職支援事業として意味のあるものになるし、
一方でこれを改善するために、大学においてドクターを養成するのを各分野ごとに適正なドクター養成というような仕組みにしない限り、永遠にドクター過剰が続く。
たとえば僕のいたようなところだってね、ある時にドクターを数を3倍に増やさないといけないような文科省からの、アレが来て。
で、増やすわけでしょ。
すると今まで10名で足りてたのが、30名ずつだしゃ20名ずつ余っていくわけですよね。
それが10年つづくと200名ですよ。
というような政策を改めない限りはこれ永遠に出続けるわけですよ。
だからここのところをどう考えているのか、最後に一言だけちょっと。

)非常に難しいご質問ですけれども、大学院の博士課程というのは他の局で担当しているが、私の範囲で説明させていただきますと。
各大学において博士課程の定員について冷静な分析がされている。
ご指摘のように、実は教員に向いているという方たちに対して、免許をとらせると。もちろん博士号もとるわけですけれども。
そういう仕組みを導入しようという大学も出て来ている。
そういう中で多様な分野に博士号をとった人が行っていただくのが基本だと思いますが、当面の様々な問題点、我が省全体、教育省で対応すべきと思っております。

個人的にこの話は今回の事業仕分けの文脈からはずれていると思う。でも、重要。一番良いのは博士課程の定員をなくしてしまうこと(博士課程をなくせといっているわけではない。定員を充足しなければならないという制限をはずせということ)。そもそも、一定数の博士希望者/適任者がいるという前提がおかしい。多い年と少ない年があって当然。

博士課程の目的がアカデミック志向過ぎはしないか?

つまり、たしかに PD増えるのは世の中いいことかもしれませんが、そういう人達の就職口ってのはとてもアカデミックに偏っていて、とても民間では、技術系、エンジニアリングはともかく、その他はない。特に博士課程の卒業生になると。
そのへんのそもそも大学の認可の仕方だとか、どうしても日本の場合は研究者中心ですからアカデミック志向、どこの大学もみんな博士課程作りたがってる。
それを申請書どおり認めるんだけど、よくよく見てみれば教授1人に院生1人がけっこうある。
そういったところの見直しを進めていかないとポスドクをいくら支援しても延々と生まれてきてしまう恐れがある
学部学生に限らず大学院のキャリア教育というものをきちっと大学の側にやらせないと、大学が今のままだとどんどんどんどん博士課程まで作っていってしまう。現に作っちゃってるんですけどね
そこをなんとかしないと日本の場合の研究者の行き先は大学とごくごく限られた研究機関ですから、これをやっても根本的な解決になんないんじゃないかと思う。

文科省)いいですか。あのー今松井先生と南先生のお話があった件については、私たちも今問題意識をもって
評価委員会であるとか、学部の新設もふくめて、どういうふうな方向性が実学(ジツガク)な部分と連携するかという点は
これからスタートしたばかりだけど、先生かたのおっしゃった方向性で対応していきたいと思っている。
あわせてPD部分で産業界の話がでたが、補正予算を含めてその点、新しい目を出しています。簡単に説明させてください。

文科省)今年度の補正で、産業界からみた場合PDの方、とったこともないし、あんまりとっていただいてない。
ただ一旦とった会社からは非常に評価高いという結果がでていますので
補正予算で中小企業中心に一回ポスドクをとってみてもらえませんか、というような事業を始めていまして、今三十数人、三十社程度にですね、選ばれていますので、そういったことをやっていただけますと、ポスドクも産業界でしっかり活躍できるということが実証できると思います。それから先ほど

)ごめんなさい、そのPDの分野教えてもらいます?

)企業の方でやってますので、生命系とか工学系が多いです。

)南先生のお話ですが、半年一年先、その辺の人数や就職先もわかりますので、また改めて世の中に公表していきたいと思います

まったくご指摘のとおり。これは100%今の大学教員が悪い。民間就職を逃げとみなすダメな教員はさっさと引退して欲しい。なんで「俺の教え子はアカデミックだろうが民間だろうが立派に働けるぜ!すごいだろ!」と思えないんだろう。

なぜ、博士の就職だけを特別扱いしなければならないのか?

)これはなんかロースクールに似てると思う。
大学院をたくさん作ってしまったけれども、アカデミックなポストがない。
作ってしまった責任は文科省にあるから、なんか面倒みないといけないということだと思うんですけど、これを長期的にマッチングしていく・長期的に社会に必要とされているアカデミックなポストに合わせていくと。あるいは大学院生にアカデミックなポストはないから最初から就職するようにと教育する、というようなことを長期的に考えておられるんでしょうか。
大学院生に、ドクターにしろというんだったら、もっと早く就職しろって言ったほうが親切なんじゃないかという気もするんです。どうなんでしょうか。

文科省)今の後藤政務官から説明にありましたけれども、まず大学の博士課程の定員につきましては、国立大学については第2期の中期計画に向けまして、現実を踏まえた是正をお願いしているところです。
さはさりながら、今後の、将来のわが国を考えますと、ポスドクの方たちには様々な社会の分野でご活躍してもらえるんではないかということで、学術審議会の学術分科会におきましてはですね、やはり博士課程の教育の質をよくして、かつ産業界との接点を広げていくと。
課題たくさんございますけれども、その方向性を維持しつつ、やるべきという議論が今進んでいます。

)そうすると、減らしていくということと、中身を良くしていくことに尽きる、と。
今まで大学院生の中身は良くなかったという話で、なんか無責任なように聞こえんたんですけれども。

文科省)ご指摘の点は反省しますが、結局大学におきまして、技術職員の減少とか様々な状況の中で博士課程の教育が特に本来の目的を逹っしていない、ということがございます。
従いましてTA、RAの様々な制度を駆使しまして、本来の関係、学生としてしっかり学べる関係をつくっていくべきだと、財政的に様々な検討をしているところでございます。

)なぜドクターを出た人間だけ、これだけ特別扱いされるのか私はちょっと不思議で。
つまり社会的に需要ないのに供給過多にしてしまって、それは個人の戦略が間違っていたというわけでもありましてですね。
たとえば普通に大学でて、なかなか就職みつからない人間に生活保護を与えるのかというのと同じ話でドクターをとった人間だけなぜこうやって生活を守ってあげないといけないのか、基本的にあんまり僕は理解できないですね。
政策的に間違いがあって、その分の償いとしてやってる、というのなら理解できますけれども。
あまりここにそんなにお金をかける必要なくて、まあ個人的な意見ですけれども、自然淘汰に任せればいいのではないかと。
つまりアメリカの実情なんか見ますと、わたし分野ちがいますけれどもドクターとって普通に就職する人間はゴロゴロいるわけですね。途中やめていく人間もいますし。そうした厳しさがあって、初めて競争に勝った人間が優秀になってアカデミックな分野であろうがなかろうと就職していくわけですから。そうした過保護的なものなのかなという印象をうけます。

文科省)ご指摘のとおり、アメリカにおきまして1980年代から2000年に向けまして
高等教育の予算を倍増いたしまして、そういう意味では生活を自立しながら、大学院で学べると。
その分ご指摘のとおり厳しい環境にございます。
それがわが国が逆になっているというところがございますので、そこはアメリカン・スタイルで厳しくはしますけれども、一定の自立ということはさしてあげたいと考えているところでございます。

)我々の一般的な立場から拝見すると、先ほど議論ありましたが、ドクターの方々のセーフティネットということでしょうか。
場合によっては雇用対策的な色彩が非常に見えてしまうという感じがするんですね。
そうしますと、しかも特定分野への雇用対策という形になってしまいますので、そうしますとありうるべきということになってしまいますと、雇用対策であるとすると、普通の大学生も含めて場合によってもっと広めに対応していくような部分が。
もしくは特定分野であるとすれば、より戦略的にこの分野をサポートするんだというものがないと。
先ほどからの議論の繰り返しになるが、なかなか成果評価というものが、なかなかこういう人材が出た、だけではなかなか国民の方々に説明がしづらい部分があるんじゃないかなぁと。
あらためまして、成果目標といったようなもの、これくらいの雇用創出できたんだというような部分との対応が求められるという感じが致します。

)あと一言だけ、これを研究の枠内でやると、研究費のバラエティが増えていってますます混乱する。
やはりタカダさんの言ったように、就職対策は就職対策で別個に考えるべきだし、それで
…だからといって必ず研究職かということはないわけで。
だって小学校の教員、免許制うんぬんかんぬんありますけれども、なんらかのちょっとした制度設計をすれば、今小学校・中学校の教員どんどん足りなくなっているわけですから、優秀な方が。
そうしたところにやるのもひとつ。まあもちろん任期付きもかまいませんが。
なんかいわゆる就職対策として考えなきゃ。
これを研究費の中にいれちゃうと、もう先ほどでも満腹状態がさらにメニューが増えてしまったという印象が非常に強いんです。
これが意見です。

理由は、日本の社会において科学的成果がポンポンでるような枠組みを構築するためには必要不可欠だから。科学的成果がポンポンでるためには以下のような社会が必要。

  1. 多様な研究テーマ、研究者の確保
  2. 大学・研究者間のみならず民間や政府も含めて研究者が環流できる環境の構築
  3. 失敗からの復帰が可能な社会の構築

多くの経済学者が指摘するとおり、成功する事業や研究をあらかじめ予想するのは難しい(経験的にはほぼ不可能)。また、国家というのは企業と違い外側がない。なので、国家内で広く浅く多様性を保っておく必要がある。

研究成果を社会で生かすためには、研究者だけでは無理で、民間企業による商品化、政府による規制および規制緩和のすべてがそろわないといけない。そのためには研究成果の価値や危険性を理解できる人材が民間企業と政府にいないといけない。

そして、研究とは未知のものを既知にする行為なので、本質的に成功が保証されていない。常に失敗の可能性があるにも関わらず、失敗が許されないのであれば、研究者は結果の見えたしょうもない問題にしか取り組まなくなってしまう。それでは、インパクトを与えられる研究成果は決して得られない。

ポスドク問題は、明らかに2番と3番がうまくいっていない証拠。これを放置しておけば、永遠に科学的成果がポンポンでるような枠組みを構築できない。

学術振興会特別研究員の成果は何か、また日本の税金への還元はあったのか?

)ありがとうございます。予算をつかうからには目的と効果が明らかになければ、いかんと思います。
これは若手研究者を育てるうち3つのメニュー。
1つはテニュアトラック。
もう1つは科研費補助金、競争的な環境の中で研究を支援していこう。
3番目の予算になると、優れた研究者に対して奨励金を給付する。
さらに広がりが、目的と手段との特定性がかなり薄れることになると思います。
今のと意見と同じだが、政策を予算をもってやるには。これをやるんだということに対して、するどく効果と目的が合致したものが、より予算としては適当だということになるわけで。
特に3番目の予算の場合、けっこう長い事業だと思いますが、どれだけの成果があらわれて、どれだけのことが日本に税金に対して還元があったのかということはどう評価されるんでしょうか?

文科省)131ページに、今の政務官の質問に対する、お答えというか成果実績がある。
この支援を受けた人が後に常勤的研究者になったかということのパーセンテージをつけている。
一番下のところDCを受けて10年後の追跡調査、だいたい9割方この支援を受けた人が常勤的な研究者になっている。
こういった支援を行なうことによって、常勤的な研究者に育っていったと評価できると考えております。
それから支援を受けた著名な研究者も出しておりますけれども、数値的に申せば、大体この支援を受けた人は10年くらい経てば9割方常勤の研究者になっているということでございます。

)今の点について言うと、優秀な人をかなり絞って給付していますね。
その人たちが常勤研究職になられる可能性が高いのは当たり前で、この予算を使ったから、こういう風になったという説明にはなっていない。そういう意味で、目的と予算がするどく合致していないと申し上げた。
どうでしょうかね。

)それは、あのー
この制度そのものが、このお金で研究をして賞をとれ、というものではなく。
ドクターの学生の段階で将来性を見込んで、審査をして、選定して、あなたは将来性がある人だからアルバイトせず、ちゃんと研究してくださいって言って、そういう感じでフェローシップ出して、その結果として、9割以上の方が研究者になられている。
まさにそれが、これの成果だと我々は思っております。
それを見出してフェローシップを与えたことが成果であると思っております。
趣旨がそういう趣旨なものだから、そうご理解していただきたいと思います。

)一点補足をさせて頂きたい
先ほど主計局からの御説明で、PDへの給付の数が増えているという説明がございましたけれども、
事業シートの131ページをごらんいただきますと、
ポストドクター対象の制度はPDというものでございますけども、これの人数はずっと横這いでございます。
全体通してみますと平成14年度の1579人をピークにむしろ減少傾向にある
少なくとも特別研究員事業について申し上げますと、PDへの給付の支援者数は減少傾向にある。
以上でございます。

文部科学省側からの説明に追加して、研究者側からもう少しわかりやすい形で研究成果の還元を説明する必要がある。

ポストドクターの雇用費用あるいはインターンシップ費用などを民間から得られないか?

)博士を取得した人の、セーフティネット事業のように見えるんですが、どうしてもアカデミックポジションは限定されていますので、民間企業の出口をなんとかしなきゃいかんという、これは避けられないと思う。
そうすると民間企業もこの事業に巻き込んで、そちらからも少し出資を受けるという工夫はありませんか。

)事業シートの131ページをご覧いただきますと、
たとえば博士課程おわったPD、右の方にかっこで倍率が書いてあります。ほぼ10倍。
PDの中でも特に選りすぐられた人材でございますので、こういった方々には是非アカデミアを目指していただくということがあると思います。
他方で、たしかに博士課程を終えた方が産業界でも活躍していただくということは大変重要でございまして、
そういった施策については122ページのかっこ2、イノベーション創出の行政の事業でございますけれども、他にも今回の事業仕分けの対象になってないけど、新規の事業の提案などもさせていただいているところでございます。

)そうじゃなくて民間企業に資金を出してもらってくださいと言っているんです。

)私どもも実はそれに越したことはないと思っていますが、現実ドクターコースの学生をインターンシップで受け入れるというのが一般的にはネガティブなところが多い。
この事業を申請する大学は自分で相手企業を探してきて、ある程度お願いベースで日頃の付き合いをいろいろ考えながら、なんとかこう組んできてる。
今、博士についてはそういう状況は現にございます。それがもう少し博士に対する評価が高まってくると、おっしゃられたことにもなるかもしれません。

)いや、ちゃんとおっしゃいましたよ。
ちゃんと受け入れた民間企業は非常に高くかっているということ。

)そう思います。

)それをどうやって今のような形にしていけるかが、文科省として政策的にやって頂きたいところ。
国費を使うばっかりじゃなくて。

)そう、その方向で。

)実際にとった、採用したら評判が良かったということであれば、そういう企業にお金を渡してPRしてもらえばいいのでは。
それとも本当に評判いいんですか。

)…不明瞭
アンケートで評判いいと言っていただいているから評判がいい。
…1…ページにもあるようにアンケートでは評判よかった。
ただPDとってくれた企業は1%くらいしかないので、そういう意味ではよほど限定して取られているんだろうとは思います。
したがって、評判よかったこ‥継続して頂きたいし、雇用もして頂きたい。
そういったことをもっと大きな企業にも知っていただいて、博士PDの能力が実は非常に高いんだとよく周知して頂くとともに
従来は自分のところで鍛えるんだ、10年前はですね、大学に対する期待が高まっているので、大学でも企業の期待に応える教育をしていかなければならない。合わせ技でやっていきたいと思います。

指摘は正しいが、現状では無理。話が逆、博士がどんどん民間に就職できるようになれば、民間が博士課程に対して奨学金をどんどんだしてくれるようになる。博士をどんどん民間に送り込むのが先。自分のことは棚にあげて述べるならば、むしろ、大学の教員や研究所の研究員が民間に転職していくべき。

学歴と収入増加が一致していないのがだめなのでは?

)時間があるようなので(会場少し笑)
日本は教育というのがハタチくらいまではともかくとして、それ以降は自分が教育受けるかは結局自分が決める自己投資なわけですから、長くなればなるほど、収入が増えていく。そいういう関係があってしかるべき。
アメリカではタクシーの運転手をやってお金を貯めてでも大学にいく。
ってのは要するに大学にいけば、それだけの収入の増加が見込めるわけですよね。
日本の場合は自己投資期間の長さと収入がマッチしないという、そこらへん大学の教育だとか根本的な問題があるように思うので、ここんところの制度をどんなに触っていても、根本的な問題は解決しない気がするんですけど。

おっしゃるとおりだけど、この事業仕分けの席で言われても。しかも、これを予算削減の理由にされましても。予算を削減するとこの問題が解決するのなら別だけど。

おわりに

議論のほとんどが、アカデミックキャリアパスをどのようにつくるのかの話と博士課程の学生が民間就職に向かわないのは何故かの話に費やされている。この話の流れで、どうして科研費の若手研究が削られているのかさっぱりわからない。しいて言えば、文部科学省側が財務省主計局からの質問にまともに答えていないのが敗因かと思われる。

とりあえず、ここまで。