プライドが高くて困っている人は「とりあえずやり終えてみる」をモットーに!

能力に見合わないプライドを叩き潰す方法を教えてください。僕は心の底で自分が優秀だと思っています。しかし大学は留年する、車の免許さえ取れない、社交性に欠けるで無能なこと明らかです。でも心の底では自分は優秀だと思っているのです。自意識と実際の能力の間に大きな乖離があって、明らかに社会不適合。自分の能力を上げて、プライドのレベルを下げる。前者は日々の努力次第としても、後者をどうしたらいいのか困り果てています。

広辞苑第5版によるとプライド、自信、自意識の違いは以下のとおり。

  • プライド=自尊心:自尊の気持。特に、自分の尊厳を意識・主張して、他人の干渉を排除しようとする心理・態度。プライド。
  • 自信:自分の能力や価値を確信すること。自分の正しさを信じて疑わない心。
  • 自意識:自分自身がどうであるか、どう思われているかについての意識。

辞書どおりの意味で考えると、上記サイトの相談者の方は「根拠のない自信」を持っているのに、その自信に見合う成果がでないので自分を卑下している状況に見える。私のボスの言い方だと「目は高いところを見ているが、手がそれに追いついていない状態」。目線を高く置くのはとても素晴らしいことなので、そのままでまったく良いと思うし、「根拠のない自信」は出口が見えない状況において自分を保ってくれる支えになるものなので、これも悪くない。「根拠のない自信」は、未来の自分への信頼、つまり「今はできないとしても、未来の自分は十分な訓練を終えてそれができるようになっているはず」という思いであることを認識するべき。逆に「根拠のある自信」とは、今の自分への信頼、つまり「今の自分は、十分な訓練を終えてそれができるようになっているはず」というもの。未来の自分を信じることができるというのは、とても素晴らしいことなので自己卑下する必要はない。

悪いのは「根拠のない自信」を根拠として、何かをやってみないうちから評価を下してしまうこと。

水泳のクロール泳法を泳げるようになるまでの筋道を考えてみる。(追記:練習の位置づけが間違っているかもしれない。コメント欄参照のこと)

  1. 水に顔をつけること
  2. 水の中で目を開けること
  3. 水の中で鼻から息を吐き出しつづけられること(顔を水面に出した瞬間に息継ぎをするための基礎)
  4. けのび(水に浮く姿勢を覚えるための基礎。力の抜き具合もこれで学ぶ)
  5. ばた足(手に意識がとられると足の蹴りがなくなり、下半身が沈む)
  6. けのび+ばた足
  7. 息継ぎなしクロール(けのび+ばた足+手の動作)
  8. 息継ぎありクロール
  9. クロール+ターン

水泳選手の綺麗なクロールに憧れて、いきなり水に飛び込んでもほとんどの人はまともに10mも泳げない。アホらしいけど、水の中で鼻から息を吐き出し続ける練習、けのび、ばた足の順番に動作をひとつひとつ覚えて、それができてから手の動作をつけないといけない。いきなり、息継ぎありのクロールを覚えようとしても、その他の注意しなければならないポイントがありすぎるため、習得はとても難しい(世の中にはいきなりできてしまう人もいるけど)。

難しい事柄は複合的な技術の結果によって成し遂げられるため、いきなり成果を求めてもほとんど失敗する。どうしても下積みが必要。この下積みが必要ということは、本を読んだり、人の体験談を聞いたりしただけでは絶対に腑に落ちない。理解してもダメで、腑に落ちないといけない。下積みが必要であるということは、自分の血肉として存在を感じるべきことであり、頭で知識として覚えておくことではない。

自分の血肉として「下積みが必要である」と感じられるようになるためには、何か複雑な要素を持つ物事をやり終えてみるしかない。それが習い事でも良いし、勉強でも良いし、アルバイトでも良いし、スポーツでも良いし、恋愛でも良い。とにかく、何かの目標を達するために地味な作業や誰にも感謝されないようなつまらない作業を黙々と終え、その結果として目標を達成できたという体験が必要だ。

頭で下積みが必要と理解しているのにも関わらずかかわらず行動を起こすことができないならば、自分自身をそれをやらなければならない状況に追い込むべき。持続的に何かをやり遂げる熱意はなくても、義務感や他人からの非難を恐れる臆病な心、そして、一瞬だけの思い切りがあれば、何かの作業の担当者に申したり、何かの役職に立候補したり、何かのイベントに参加申し込みをしたりして、自分がそれをやらないとマズイ状況に追い込めば良い。あとは、環境が「わたし、いちぬけた」と言わせない状況に追い込んでくれる。

「根拠のない自信」とは未来の自分に対する信頼であるので、基本的に良いことだと思う。今の自分が「根拠のない自信」からみると物足りないのはしょうがない。なんせ、未来の自分じゃないから。今の自分と理想の自分を切り分けて、明日の自分が今の自分よりも1mmでも理想の自分に近づけられればそれでよしと考えておけばいいんじゃないだろうか。

追記

ブックマークのコメントより

  • かめはめ波を出せる根拠のない自信があるのですが、何からはじめればいいでしょう?(オイ

ネタにマジレスですが重要だと思いますので。

このような一見、不可能に思えることでもそれを実現できるように下積みをやってみるべきです。たとえば、かめはめ波についていえば、必要条件として強靭な肉体が必要不可欠のようです。ですから、まずは何らかの武術(いちおう、中国の武術がよろしいのではないかと思います)を始めてみれば良いと思います。体を鍛え、技を学ぶうちに「そもそもできると思っていたことができない」ことを体感できると思うので、根拠のない自信は消えると思います。

一例をあげますと、高校生の時代ジャンプの格闘漫画を愛読していた私は「俺は骨の一本や二本折れても強い精神力があるから動けるはず」と根拠のない自信を持っておりました。ところが、スポーツの試合中に目のまわりの骨(眼窩)を骨折したこと、また、別のときに右肩と左肩をそれぞれ脱臼骨折したことを通して「ちょっと骨がかけるだけで動けなくなる」ことを体感しました。この結果、「俺は骨の一本や二本折れても強い精神力があるから動けるはず」と根拠のない自信は魅力を失いました。

  • プライドが高いから最後までできない…最後までやり遂げたが故プライドが無くなってしまうのが怖いな、自分は。だから最初に挫折する。

私としては、この「プライドが高いからできない」という言い訳を自分に許してしまうことが「プライド」のネガティブな側面だと受けて止めています。もちろん、プライド(誇り)を自分が立つ杖として用いるのは素晴らしいことなのですが、実際には自分が行ないたい、行なった方が良いというものを「プライド」が邪魔してしまうのはいかがなものかと思います。

こんなときは、「なぜ、そのプライドをなくしてしまうのが怖いのか?」「そのプライドによって己れの何が支えられているのか?」を問いかけて見るのが良いかと。プライドの価値は己れが与えるもので、他人が与えるものではありません。もし、そのプライドが己れにとって非常に価値があるのならば、「プライド故に行なえなかった」ことは「挫折」ではありえません。「プライド故に行なえなかった」ことが「挫折」であるならば、そのプライドは己れを支える役に立たない偽物のプライドなのだと思います(プライド故に行なえなかったことを後悔するのは人間として当たり前の現象でしょうが、挫折と感じるならば、本当はそれをやりたかったわけですから、そのプライドは持つべきものじゃないのです。)