「質問する」のは後天的技能

質問が出ない場合は、そこに理解しようとしない人が潜伏しています。何のために聴いているのか分かりませんし、時間の無駄です。世の中には、質問ができる人とできない人がいます。前者が学ぶ姿勢、後者は教えてもらう姿勢です。

ここがメインのエントリーではないけれどもちょうどうまいフレーズなので使わせていただく。

先天的特徴や才能は授かってしまったからには本人の意志や努力でいかんともしがたいけれども、後天的技能に関してはある一定のレベルまでは適切な方法で訓練すれば多くの場合身に付けることができる。「世の中には、質問ができる人とできない人がいます」というフレーズは、思わず納得してしまうフレーズだけれども、これは現実世界のスナップショットをとったときに正しいことであるけれども、人生レベルでみれば正しくない。以下の条件が揃っていれば誰だって質問する(質問できる)。

  1. 質問が許容されている環境にいる
  2. 何かわからないことはっきりさせたいことがある
  3. 自分自身が「何かわからないことはっきりさせたいことがある」というのを自覚している
  4. 相手との意志疎通手段が確保できている

今現在、あなたが「質問ができない」のは、上の条件のうちどれかが欠けているから。たとえば、私が国際会議に参加したり、海外の研究者と話したりするときに質問ができなくなるのは4の「相手との意志疎通手段が確保できている」が満たされていないから。学校で先生たちが学生や生徒たちに「最近の子たちは質問してくれない」と嘆くのは2の条件を満たしており(「絶対に何か分からないことがあるはず。そうでなければそもそも学生でいるはずない」)、かつ、1と4の条件を先生側が調えているのにも関わらず質問しないから。つまり、3の条件「自分自身が『何かわからないことはっきりさせたいことがある』というのを自覚している」が足りないのだと思っている。

現在、「質問ができない」と思って困っている人は、その理由が2と3の条件を満たしていないときのみ頑張ればよい。1については環境が悪いからしょうがない。良い環境を見つけてそこで質問力を磨くべし。4については、質問力の前に意思疎通手段を確保しないといけない。2と3については、自分にいつも問いかける習慣をつければ少しは好転するかも。

以下、ご参考まで。

追記:質問が許容されている環境にいるかどうかは直接確かめる

  • bookmarker98 1をどう判断するか、か。俺は1を上手く判断できなくて、質問してよく怒られた。後、質問して理解できないと、何で理解できないのか?と問い詰められる恐怖もある。環境って大切だよね。
  • heis101 現実には、1なのかどうかの判定が一番難しい気がする。「そんなんやったら訊いてくれたらよかったのに」ということはよくあるが、本人にしてみれば「訊ける状況ではなかった」ということになるだろう。

今、自分が質問が許容されている環境にいるかどうかを判定するためには、5〜6回質問してみないとダメだと思う。ここは勇気の使いどころ!空気読んでいても消耗するだけだから、さっさと威力偵察を試みて状況を把握すべき。もし、自分でそれを確かめるのがしんどいならば、他人の状況を良く観察したほうが良い。他人が叱られている内容や理由を横でこっそり聞いて理解するのは案外勉強になるよ。