補足:学生がはてなダイアリーを使うときに気をつけるべきこと

学生がはてなダイアリーを使うときに気をつけるべきことにコメントやトラックバックはてなブックマークのコメントでいろいろご質問いただいているので補足を。

これ、「はてなダイアリー」に限ったことじゃないよね?

教育ソリューション:授業で使うはてなを読んで、一ネタ書こうと思って書いたエントリーですのでご勘弁を。はじめは、「はてな村が云々」、「はてなブックマークが云々」とかいていたのですが、書いているうちにちょっと熱くなり、5〜6回書き直して現在の内容となっております。

これ「学生」関係あるのか?

関係あります、間接的にですが。基本的に情報発信初心者向けの心得です。

全体的に防御的な考えの下で書いています。あくまでもたたき台としてお使いくださり、自分の性格や用途に基づき適当に発展/変更してください。

余談:はてなダイアリーで特に気をつけよう

はてなダイアリーを含むはてなシステムにおいては、mixiなどをはじめとするSNSよりは疎な、他のブログサービスよりは密なコミュニティーが形成されています。このため、情報発信に慣れるまでは防御的に振舞う方が良いと思います。

私は、発言主が特定でき、かつ、他の利用者の行動が把握できるコミュニティほど密なコミュニティになり、発言主が特定できない、あるいは、他の利用者の行動が把握できないコミュニティは疎なコミュニティになると考えています。

はてなシステムは、はてなシステム下におけるすべての情報発信は、はてなidの下で行われます(はてな匿名ダイアリーを除く)。このため、発言主が特定できます。また、おとなり日記自動トラックバックはてなブックマークはてなキーワードでのピックアップなどにより、はてなダイアリー利用者の行動把握を手助けする機能が満載です。さらに、はてなは、提供しているサービスのAPIを公開しているため、さまざまな人がさまざまな観点で行動の履歴を観測しています(ほとんど、はてなブックマークについてですが)。

この結果、はてなのシステムが嫌いな方々から「はてな村」と呼ばれる程度の密なコミュニティが構成されています。

密なコミュニティでは情報の共有度が高いので、注目の集まる速度や集中の度合いが、疎なコミュニティに比べて高くなります。特に「はてなブックマーク」による拾い上げが凄いので、「よくこんなものを見つけられたなぁ!」というちょっとした発言すら多くの人の目に触れます。特に古くはフレーム、最近は炎上と呼ばれるネット上のいさかいは、多くの人の野生を刺激するのか注目の度合いが半端なものではなくなります。

また、はてなシステムでは、通常のブログサービスが提供する以上の発言の場(はてなブックマークのコメント、はてなキーワード、匿名ダイアリー)を提供していること、また、注目の集中度が高いので、複数の発言の場で同時に批判や非難が始まることがあります。初心者にはこれがつらい。「自分 vs 世界」という感じになってしまうので精神的に楽ではありません(「自分 vs 世界」は、ほとんどの場合は勘違いです。多くの場合は「(自分 vs 1人)× 十数セット」です)。

はてなシステムにおいては、はてなスターはてなブックマーク(ほんとにこれは両刃の剣。面白いサービスです)により、賞賛も得やすいのですが、初心者にとって経験値が貯まるまではネガティブな意見は本当にしんどいのでやはり防御的に振舞うのがオススメです。

なんで、自分の本名や先生や同級生の本名を書いちゃいけないの?

  • 本名はとりあえず明かさない。
  • 先生や同級生の本名も明かさない。

日本の社会は個人の発言や行為の責任を個人ではなく、所属先にとらせようとする傾向があります。本名を公開している状態で、トラブルが発生したとき、その責任がブログの筆者自身に来るならばまだどうにかなると思うのですが、それが所属先に行ってしまうと自分で対処しきれなくなることがあります。

情報発信に慣れていないときには、Webで公開すべきではないようなこともWebで公開してしまうことがあります。そんなときに、先生や同級生の本名を出していると意図しない迷惑が本名を出された先生や同級生にかかる可能性があります。

思ってもいないトラブルを起こさないためにも情報発信の加減がわからない場合は防御的に振る舞っておく必要があると思います。

余談:自分が行った行為に責任を取る

  • あなたが渋谷のスクランブル交差点の中央でおこなって恥かしいことはネットでも行ってはいけない。

よくネットはバーチャルといわれますが、ネットを介した人間関係やその維持方法が新しいだけで普通にリアルな話です。ですから、ネット上でやらかしたことは普通に自分に跳ね返ってきます。Webブラウザの向こうに人間がいるわけですから、自分が現実世界で恥かしいと思うことはネットでもやらないようにしましょう。

また、私も良く忘れてしまうのですが、書き手は読み手が自分と同じ文脈で物事を理解してくれると勝手に思いがちですが、同じ日本人同士すら、さまざまな背景を持っているため、同じ文脈で物事を理解できません。だからといって、それを気にしすぎると何もかけなくなりますので、せめて、自分が恥ずかしくない程度の事柄を書きましょう。そうしたら、自分の発言に責任をとらなければならなくなったときも少しはダメージの軽減ができます。

何で批判をブログに書いちゃいけないの?

  • どうしても誰かを批判したくなったら、オフラインで批判する。ブログに書かない。

防御的な理由からです。批判は相手に良くなってもらいたい、あるいは今の現状をどうにか良い方向に持っていきたいという気持ちからするものですから、できるかぎり、批判対象の物事に対して、時間をおかず、相手にとって受け入れやすい形で提示するべきです。

面子や世間体を重要視する我々の文化の中では、不特定多数の前で自分の非を鳴らされることは、おもしろい事柄ではありません。ブログを使った批判は、どうしても不特定多数の前で批判相手の非を鳴らすことになってしまうので上の条件にあいません。

相手が受け入れ難い形の批判や批判のための批判も自分の精神安定のためには重要ですが、得てして激しいリアクションがあります。この激しいリアクションに対して情報発信初心者が耐えられるかどうかは疑問です。

ましてや学生の場合、社会的にも弱者ですし、大学内においても本質的には弱者です。学生が見聞きする範囲で批判したくなることの多くは、自分より強者である大学や先生、バイト先の人間、先輩、あるいは親になることが多いと思います(自分よりも弱者に対しては直接批判を伝えると思います)。自分よりも強者への批判は相手が理不尽な場合には直接的な不利益になって帰ってくる場合が多いです。

ですので最初は防御的にふるまい経験値を十分に上げてから、難易度が高い行為を行うべきだと思います。

ネガティブな意見は自分を高めるために役に立つのでちゃんと受け止めるべきでは?

  • ネガティブな意見があったとしても、それは「あなた自身」に対するネガティブな意見ではなく、「書いた事柄」に対する意見なので理解したら流す。初めてのネガティブ意見は心臓を殴られたような気分になるが慣れると案外流せる。

研究能力の発達段階でも書いたのですが、ネガティブな意見を受け入れられるようになるには経験が必要です。経験を積んだとしても、許容量を越えたネガティブな意見は受け止めきれないことがあります。学生の方々は基本的にネガティブな意見を受けなれていません。まずは流し、慣れてきたら理解し、最期は受け止められるようになれば良いと思います。

本人自身へのネガティブ意見が来たらどうすんの?

まずは、オフラインで叫びましょう「お前にオレの何がわかる!!!」。そして、オフラインで相手を思う存分に罵り、その後、泣きましょう。で、寝て、忘れましょう。

ブログに書かれた発言に対して批判があるのはしょうがないことです。発言には責任をとるべきです。間違った発言ならば、謝罪し訂正すれば良いのです。しかし、本人に対する批判をたかがブログ上の情報から行う人は思慮が浅い人といわざるを得ません。そんな、思慮の浅い人のために時間を使っても短い人生もったいない限りです。相手にするのをやめましょう。

衝動でエントリー書くのはやめたほうが良いのでは?

おっしゃるとおりです。なので以下がオススメなのです。

  • 怒りが頂点に達しているときは寝る。

バリエーションとして、「走る」「筋トレする」「信長の野望において圧倒的な戦力で日本を統一する」「KOEI三国志において圧倒的な戦力で中国を統一する」などもオススメです。Civ 4などでストレス発散しようとすると下手くそな人は逆にやられて怒りがたまります。なお、私のエントリーは案外怒りや失望に任せて書いたものが多かったりします。

悲しいときも書かない方が良いのでは?

  • 悲しみが頂点に達しているときは書き綴る。そこから文学が生まれるかもしれないという幻想が湧くまで書き綴る。

精神的な苦痛は自分がそれを認識し、他人に語れるようになるとある程度緩和するようです。もし、悲しみを感じていて文章が書けるのであれば、思う存分書くべきだと思います。自分の受けた衝撃やそれをどう思ったのかを物語化を通して再認識し、それを咀嚼することができれば、悲しみから立ち直るのに良いかと。

じゃあ、それをブログに書くべきかという問題がありますが、悲しみは喜びや怒りに比べて共感されることが多いように思いますし(社会的儀礼として悲しんでいる人には追い討ちをかけないというのがあると思います)、また、ネット上には多種多様な人材がいますので、いろいろな慰めや共感を得ることができる可能性が高いと思います。

悲しみと称賛しか書けないとなると、ブログに書くことがない。

TBSラジオ安住紳一郎の日曜天国でも、安住アナが似たことを言っていました「明るい・幸せな気分だと次の言葉がでてこない」。情報発信初心者向けの話ですから、慣れたら何でも書かれたらよろしいかと思います。

「喜び」なんかはおおっぴらに表明していいんでは?

  • 喜びが頂点に達しているときには友達や家族と喜ぼう

本当はそうなのですが、悲しみに比べて喜びは共感を得にくい感情だと思いますし、世の中にはいろいろな考えの方がいらっしゃるので、表現や情報の公開に留意しないといらぬ誤解をまねくことがあると思います。情報発信初心者には、防御的に振舞うのが良いと思いますので、オフラインを推奨しました。

余談:賞賛をしっかり受け止めよう

  • 誰かを誉めたくなったら全力で誉める。世界は賞賛に飢えている。

書き忘れましたが、賞賛された素直にそれを喜ぶ旨を伝えましょう。もしかしたら、賞賛の意を伝えてきた人は一世一代の勇気を振り絞って賞賛してくれたのかもしれません。そのとき、あなたが謙遜してしまったら相手はがっかりするでしょう。裏を読まずに素直に賞賛を受け取り、あなたが嬉しく思っていることをはっきり伝えましょう。

歴史ネタには歴史修正ネタも含みますか?

データ検証優先の歴史修正ネタは結構好きです。

でも、私は物語が一番好きなので偉人伝や面白エピソードが欲しいです。ヘタリアの下になった第二次世界大戦イタリア軍ネタとか、シモヘイヘの話とか大変楽しみました。アンサイクロペディアに嘘を許さなかった男ハンス・ウルリッヒ・ルーデルなんかも大好物です。世界史Wikiなんかはあらかた読みました。wikipedia.jaの落語家や歌舞伎役者のページなんかもエピソード満載で大好きです。

ネットの歴史ネタは?

年号と出来事の羅列ならばノーサンキューです。ちえの和WEBページ:コンピュータ偉人伝も大好きなページです。

普通に半年ROMれで充分では?

それじゃ、授業に使えないじゃないですか。半年ROMったら半期の授業が終わっちゃいます。

長々つらねてありますが要は「ネガコメすんな!」ということ?

違いますです。「ネガコメすんな!」は一部分です。