卒業研究・修士研究時の悪循環を防ごう

はてな匿名ダイアリーで以下のようなエントリーを見ると、自分の研究室でうつ病になった子を思い出して心配になる。

私は、卒業研究や修士研究で得た経験が今後の人生においていくばくかの役に立つと信じているので、卒業研究や修士研究を真剣にかつ楽しく行って欲しいと思っている。でも、一方で、卒業研究や修士研究は長い人生において、何回か登場するちょっとした進級試験でしかないことも理解している。だから、はっきりいって卒業研究や修士研究で自分の心や体を壊すなんていうのはあまりにももったいないと思う。

博士研究は別として、卒業研究と修士研究は成果ではなく努力を評価の対象としている。「でも、中間試問や最終試問とかでは成果について問いただすじゃないか?」という疑問もあろうかと思うけれども、それは、努力の度合いを成果を用いて判断しているだけで、実は成果自体を評価対象にしていない。その証拠に、博士の修了条件とは違って、貴方の成果を査読つきの学術論文の公表を求めていないでしょ?

しかしながら、この「努力を評価する」という仕組みは、時として学生を追い詰めてしまうこともある。なぜならば、一般的に努力とは他人の目にどう見えるかであって、自分がどれだけがんばっているかではないからだ。

私の研究室でうつ病(あるいは、うつ症状)になってしまった学生の全員以下の二つの自己認識で心の調子を崩してしまったみたいだ。

  • 自分が求める理想像に自分が追いついていない。「自分はもっとできるはずなのにできていない!」
  • 自分としてはがんばっているのに、周り(主に教員)からの評価が低い。「あんなにがんばったのに、全く評価してもらえなかった!」

私の視点から見ると

  • 現在の知識、技術力(私の研究室の分野で言えばもっぱら、数学能力、プログラミング能力、英語力)、研究に費やせる時間からすると、あまりにも高い研究目標を掲げている(場合によっては、博士研究レベル)
  • 時間を費やしている事柄が、研究本来の目標からすると重要ではない、あるいは、関係ない事柄。

ということがほとんどだった。そして、今思うとまことに申し訳ないことながら、うつ症状を示した学生はみんな、野心的で、プライドが高くて、まじめで、やる気があって、私のアドバイスを「はい、わかりました」と元気に返す、私が(教員が)大好きなタイプの学生ばかりだった

悪循環はこうやって深まっていった。

  1. 学生がテーマ選択時に比較的難しい(試行錯誤が必要となる)テーマを選ぶ
  2. 研究に取り組むうちに問題にぶつかるが、「これぐらいの問題は自分ひとりで解決しないといけない」と思い、一人で悩む
  3. ゼミや進捗報告のミーティングで、研究が進んでいないことが教員や先輩から指摘される。学生は、表面上は明るく傷ついていないように返すが、内心傷つく
  4. 教員や先輩は「わからないことがあったらすぐに質問しなさい」と学生に伝える
  5. でも、学生は「これぐらい乗り越えられないといけない」と思い、なかなか質問できない。
  6. また、ゼミや進捗報告のミーティングで、研究が進んでいないことが教員や先輩から指摘される。
  7. 再び、教員や先輩は「わからないことがあったらすぐに質問しなさい」と学生に伝える
  8. 学生は、質問したらこれまでの自分の努力が無駄になるような気がして(あるいは負けたような気がして)質問できない
  9. 学生は、今までよりもいっそう研究にいそしむ
  10. しかしながら、質問をしないので、教員や先輩から見ると意味のない部分に時間を費やしてしまう
  11. 当然、ゼミや進捗報告のミーティングで、研究が進んでいないことが教員や先輩から指摘される。
  12. 学生としては、自分にできる限界まで研究をしているのに評価されないので、自分に対していらだつ
  13. 学生は、今までよりもいっそう研究にいそしむ(場合によっては、通学時間が無駄だと思い自宅で研究するようになる)
  14. 10から繰り返す
  15. ある日、限界を超えてしまい学生は「自分はダメなやつだ」とつぶやき、大学から姿を消す

努力しているかどうかは他人からどのように見えるかということに左右されるので、研究室に来なくなったり、研究の進捗状況を披露しなくなったりすると、教員の目からみると「あいつは、何をやっているのかわからない」という感覚になり「卒業できなくなるとかわいそうだから、ちょっとはっぱをかけておくか」ということで、「どうだ、最近研究進んでいるか?」みたいな、お尻たたきトークをする展開になる。

自分では一生懸命やっているつもりなのに「お前、最近研究やってないんじゃないか?」なんて、疑いの目で見られると学生は「信じてもらっていない」と感じ、余計に研究室に来なくなったり、研究の進捗状況の報告をしなくなったりしてしまう。

そして、悪循環はとどまるところを知らず、教員も学生も不幸な展開にたどりついてしまう。

以上、一般的なように書いてはいるけど、あくまでも半径5mの話。あと、一部は、私が学生のときの経験も入っている。

このような悪循環を防ぐには、まず第一に「卒業研究・修士研究はあくまでも試験であり、これの出来、不出来で人生が左右されることはない」という事実を教員と学生の両方が認識する必要があると思う。「卒業研究ができなかったら、自分の人生がおしまいだ。」なんて思う必要はない。どうにでも、リカバリーはできる。そうではなくて、「一生に一度しか経験しない、卒業研究で何か学べたら良いな。」ぐらいの心持で取り組む方が前向きだ。教員も「一生に一度しか経験しない、卒業研究で何か学びとれたら良いね。」ぐらいで指導するのが適当だと思う。最初から全力をかけてしまうと、学生の方がついて来れないのではないかと思う。

第二に、学生がいくら野心的で、まじめで、優秀そうに見えても、最初は手ごろなテーマを与えるべき。どんなに運動神経が良いと思われる人でも、その人がスキーの初心者ならば、我々は彼/彼女をいきなり上級者コースにつれていくことはしない。上達の具合に応じて導かないと。そして、学生は教員の提案を尊重した方が良い。たとえ、将来は研究者になりたいのだとしても、卒業研究を一生研究している研究者はいない。「卒業研究で何か学べたら良いな。」という精神が重要だと思う。

第三にとにかくコミュニケーションが途絶えないように、学生や教員のスタイルにあったやり方で、質疑応答や相談、進捗報告ができるようにするべき。自分のスタイルに合わないことは、続けられないので無理ない方法を選んだほうが良い。基本は、教員の方がうまく環境を整えてあげるべき。たとえば、私が心がけているのは以下のこと。

  • 私にいつでも質問して良いことを繰り返し伝えている
    • 「どんな内容でも、私に質問してかまいません。『たとえばUNIXでファイル移動はどうやるんですか』でもかまいません。質問にすらなっていなくてもかまいません。」「もし、私が答えられないならば、『ごめん、わからない』と言うし、あなたが調べるべき内容ならば『自分で***を使って調べてみて』といいます。」
    • 「いつでも、私に質問してかまいません。もし、私が忙しくて質問に答えられない場合は『ごめん、今、忙しいから後で答える』と伝えるので、あなたが質問するタイミングを考える必要はまったくありません。」
    • 「私の発言を裏読みする必要はありません。私が忙しいといっているときは本当に忙しいだけで、あなたが嫌いなわけではありません。答えられない質問や答えたくない質問はそれぞれ『ごめん、答えられない』、『ごめん、答えたくないので自分で調べて』と直接言います」
  • 一日で最初に会ったときに「どう、研究で何か困ったことある?」と尋ねる
  • 自分が帰るときに「質問ある人いる?」と尋ねる
  • 私の所属している研究室では、必ずゼミ合宿をしている

他にも昼食会(単に何曜日のお昼は学生と一緒に食べると決めるだけ)やお茶会、飲み会、タバコ休憩、英語勉強会など試してみたら良いと思う。私の周りの先生がたは、節目ごとに研究室でミニパーティーをしているところが多い。研究室配属、前期最後のゼミ、中間発表、本発表、後期最後のゼミや大掃除の際に、研究室で鍋、ピザなどをつっつきながら、ちょっとお酒を楽しむなどをしている。仲間と一緒に料理をつくったり、パーティーの準備をしたりすることで、研究室内で親密感が醸成されているみたい。

第四に、もし最悪の状態になったとしたら教員と学生の二者間で解決しようとせずに、大学のカウンセラーや精神科のお医者さんに助けを求めて三者間(多くの場合は保護者も含めて四者間)で問題を扱う。教員も学生も専門家ではないので、過剰に責任を負いすぎないようにする。

大学のカウンセラーの先生が言っていたのは(私も研究室でうつ病の学生がいるのにショックを受けてカウンセリングを受けに行った)、次のこと。

  • うつ病患者は7人に1人の割合
  • 数年連続でうつ病の学生がでたとしても研究室の運営がどうのこうのという話ではない
  • できる限り病院にかかるのが重要
  • 教員が責任を負いすぎるのを防ぐ。大学の教員は研究と教育の専門家だけどカウンセリングの専門家ではない

また、学生から「自殺したい」という言葉が出たときに教員はある程度対処できるように心構えをしておくべき。実際にそのような事態に直面すると、本当に心臓が殴られたような感じになって、頭が麻痺してしまうけれども、7人に1人がうつ病である時代には、基本的な対応を心得ておくべき。私が参考にしたのは以下のサイト。

特に以下は読んでおこう。

注意しなければならないのは、以下のことだと思う。

  • 青年期の自殺は、何度か自殺予告を繰り返してから自殺するという特徴がある。「『死ぬ死ぬ』といっているうちは死なないさ」とは考えてはいけない。予告しているうちに、どうにか専門家の手を借りて死にたいと思っている原因を取り除くようにするべき
  • 相談されたときはひたすらに聞く。研究者として、教員として説教・議論したくなってしまう性質なのはわかるけれども、自分を押し殺してひたすらに聞き、同意する。自分を殺すことと交換にしてしか自分の思いを述べる機会を作れないと思い込んでいる相手のせっぱつまった気持ちを尊重する
  • 自分だけで問題解決を図らない。保護者、専門家、同僚の教員、自殺予告をした学生の友達など総力戦で行く。
  • 生きていればこそいろいろと誤解も解く機会もできるので、相手の理由が理不尽でも死なせないことが重要。

思ったより長くなってしまった。どうも、自殺すると研究室にお金が入る仕組みってないのかなぁを読んで、何かスイッチが入ってしまったみたい。

追記

このエントリーをたくさん見ていただいているようなので、他のエントリーも宣伝させていただく。お役に立てば幸い。

  • 研究能力の発達段階:もし、自分が成長していないと思ったら、これを読んでみて。絶対、研究室配属直後よりも成長しているから

追記(2011年11月9日、その1)

はてなブックマークのコメントより。冗談だと思いますが一応。

  • 博士課程の学生は死ねということですね。。。

このエントリーで「博士研究は別として、卒業研究と修士研究は成果ではなく努力を評価の対象としている。」と書いたのは、ほとんどの大学院で博士号取得要件として、査読付き雑誌論文X本以上という条件が課せられているからです。博士号取得のためには結果が求められます。その部分が卒業研究や修士研究と違います。

追記(2011年11月9日、その2)(2012年9月3日追記)(2013年2月14日追記)

卒論関係のエントリーをまとめました。ご参考まで。

特に努力が評価対象ですから、アウトプットを見せる必要があります。うまくアピールしましょう。

研究室やゼミの意義は他人と議論できること、他人が出されているダメ出しを聞けることです。

質問すること自体が苦手な方へ