Duchesse de Bourgogne

ベルギーリエージュで、Duchesse de Bourgogne(ブルゴーニュ女公爵)というベルギービールがあり、なぜベルギーでワインで有名なフランスのブルゴーニュという地名が出てくるのかさっぱりわからなかった、今日、ビデオにとったNHK BS hi:シリーズ「ハプスブルク帝国」第1回「双頭の鷲(わし)の下に」 を見て、Wikipediaで調べてやっと意味がわかった。

Duchesse de Bourgogneが指し示しているのは、ブルゴーニュ公国最後の君主であるマリー・ド・ブルゴーニュのこと。マリーの時代のブルゴーニュ公国はフランスのブルゴーニュ地方だけではなく、オランダ、ベルギー西部のフランドル地方も統治していた。マリーは父親のブルゴーニュ公がフランスとの戦争で戦死したため、婚約者のハプスブルク家のマクシミリアン(後の神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世)を呼び寄せ、結婚し、マクシミリアンにフランスを追い払ってもらった。その後、仲良くマクシミリアンとブルゴーニュを統治するが、落馬して事故死してしまう。

当時、ブルゴーニュ公国が現在のベルギーの一部を領土としていたこと、マリーが最後のブルゴーニュ公国の女公爵であること。そして、その死は突然の事故死であったことからベルギービールの名前として取り上げられたのだろう。

ちなみに、マリーはマクシミリアンとは政略結婚だったけれども仲が良かったらしく、Wikipeidaの記述によれば

1519年、ヴェルスで病没。インスブルックの宮廷教会内に霊廟を準備していたが、24,000グルデンの借金を理由に滞在を拒否されており、遺言により遺体は母エレオノーレが眠るヴィーナーノイシュタットの聖ゲオルク教会に埋葬される。しかし心臓だけはブリュッヘの聖母教会にある最愛の妻マリーの墓に共に埋葬された。

とのこと。マクシミリアン1世もハプスブルク家の飛躍の元となった奥さんを愛していたんだろうね。

こうやって、自分が知った事柄と新たな知識が結びつくという体験は何回経験してもスリリングでたまらない。