NHKプロフェッショナル仕事の流儀:人の中で 人は育つ 中学教師 鹿嶋 真弓

NHKプロフェッショナル仕事の流儀:人の中で 人は育つ 中学教師 鹿嶋 真弓の最後の一言

情熱がまず第一条件。情熱だけでは駄目だなって体験したので、そこに技がなくちゃいけない。

まさしく、これに基づいた内容だった。

特に凄みを感じたのが、受験で落ち込み精神的にも不安定になっている女生徒に「あえて」言葉をかけなかったというところ。クラスメイトとの関わりの中で乗り越えて欲しいという心からの行為であるとナレーションで説明が入った。教師である自分に依存させる形で何かを乗り越えさせるというのは、クラスメイトの関わりの中で乗り越えさせるという行為よりも比較的簡単だと思う。しかし、それをやらない。生徒たちの仲間に自分をねじ込まずに、あえて外部に置くことを選択し、それを実行する。これは先生として苦しいだろうに。

また、受験日を前にしてクラスの雰囲気はどんどん緊迫していく。そこで鹿嶋先生がとった手法が仲間同士との激励の握手を交わさせるということ。鹿嶋先生が言う「みんな静かにして。さっきまでふざけていたけれども、私は心の底から**君が合格できることを祈って手を握っている。それぐらいのつもりでみんなも握手をして欲しい」。そして、その言葉とともに映し出された、鹿嶋先生と生徒との力一杯の握手の映像。私は思わず涙してしまった。あれはすごいインパクトがある映像だった。

昨年度、私は研究室の助手として2回目の卒論・修論の指導を手伝ったが力が及ばず良い論文を書かせることができなかった。彼らに一生懸命注意したし、一生懸命アドバイスした。とにかく、自分の考えを言葉を必死で伝えた。でも、あの鹿嶋先生と生徒との握手を見て、私が思わず涙してしまったということは、私が本当に伝えるべきは言葉でなかったんではないのか。

あの握手にこめられた力。受験を控えて崩れ落ちそうな雰囲気のクラスを支える手立てとして仲間同士の握手を選んだという発想。もし、自分にもこういう引き出しがあり、かつ、相手が20歳を超えた大人であるということに気おくれせずにあのとき彼らと握手を交わしていたら、そして、握手を交わすことで、私は君が立派な卒論・修論を書き上げるという行為を通じて、自分を卒業・修了するに足る人材に自分自身で引き上げることを心から期待しているし、君ならば絶対にできると信じているということを伝えられていたら、今、後悔、やるせなさ、敗北感、恨み、怒り、悲しみを感じなかったんだろうかと思う。

15歳は仲間同士の握手で乗り越えられた。22歳と24歳も仲間同士の握手で乗り越えられるんだろうか。