竜神さんからの伝言

水からの伝言ウェブサイト)については、読んだことがないけれども、kikulog経由、Mixi:水は答を知っているコミュニティー:なぜ信じたのか、教えてくださいで大まかな内容は知っていた。

水に良い言葉を話しかけると、きれいな結晶ができるというのが基本の主張。まあ、普通に信じない。信じる人はお馬鹿だなぁーと思った。でも、水商売ウォッチのapjさんのブログのコメント欄を見て、あっさりと揺らぐ。

私は田部勝也さんのご意見に賛成で、「水伝が“いい話”だと思われることこそが怖い」と思います。
ですが、ふと思ったことに、日本古来のアニミズム的発想により「“水”に人格を認める」という前提があるのであれば、これは“いい話”と感じてしまっても仕方が無いのかな、とも考えています。

『水が「ありがとう」という良い言葉に物理的に反応する』というのは、全く受け付けないけれども、『水の神様が「ありがとう」という言葉に反応する』『水の神様が「ばかやろう」という悪い言葉に反応する』というのは、全く抵抗がなく受け付ける。この場合、水というのは物質ではなく、神様が宿る依り代になるわけだけど。自分の中の「八百万の神々がいる」という常識にびっくり。

ご飯に「ばかやろう」といったらかびるというのは、「ありがとう」といってもかびると思うが、ご飯に宿る神様に「ばかやろう」とは言えない。このような物質を依り代とみなす考え方の下では、物に話しかけ、感謝の念を伝えるのは全く持って当たり前(感謝しないと祟られるかもという思いがある)。

apjさんのエントリーのコメント欄にも書かれているけれども、この「八百万の神々」という常識というか、刷り込みがあると水からの伝言の物理現象以外は、結構すんなり入ってきてしまうのが不思議だ。

科学的思考にチューニングが終わっていると思っていたら、そうでもないことにびっくり。