席を譲らなかった若者

らくだのひとりごと:席を譲らなかった若者を読んで、すごく頭が揺さぶられた気がしました。

「老人は敬うべきもの」という価値観については、先日読んだ「オレさま化する子供たち」で述べられていたGive and Takeな人間関係の把握を感じました(私自身も「老人は敬うべきもの」という価値観を理屈がある上で認めているのでGive and Takeな人間関係の把握をしています)。

自分にとってメリットがあるから敬うべきというのは、Give and Takeな人間関係の把握です。理屈抜きで「老人」と「若者」という役割を受け入れ、「若者」は「老人」を敬うべきであるから「若者」という役割の自分は「老人」を敬うというのが共同体的な人間関係の把握です。私も席を譲らなかった若者もコメント欄の多くの人も自分にとってメリットがあるから敬うべきと考えているのでGive and Takeな人間関係の把握をしていることになります。

コメント欄も盛況でおもしろいのですが、抜けている視点があるのではないかと思います。それは、老人は若者に直接ものを言うのが怖かったのではないかということです。直接言うのが怖かったので直接いうのではなく、嫌みをいったのではないでしょうか?

あと、年をとると誰でも多かれ少なかれ自制心が衰えるそうです。2004年 情報学セミナーでユニバーサルデザインというテーマで発表されている方がATMの操作を題材にして紹介されていました。老人は目的とするキーとそれに似たキーが存在するとき(たとえば、銀行の支店名が「京都」と「京都北」のようなとき)、似たキーを押すのは間違いであるというのがわかっていても思わずそのキーを押してしまうそうです。しかも、何回も。年をとると間違いであるということがわかっていても、それを押したいという衝動を押さえることができなくなるとのことです。

今回の嫌みをいった老人も嫌みをいうのを押さえられなかったのではないかなぁと思います。

訓練と個人差によって程度の差がありますが、肉体的衰えだけでなく精神的衰えも万人に確実に訪れます。そのときに、衰えを許されない社会というのはちょっと住みづらいですよね。