メモ:戦争体験・被ばく体験を「語り継ぐ」

違和感というか、疑問があるのでとりあえずメモ。

Session 22の録音したものを聞いている。8月8日と9日のメインセッションは荻上チキさんが長崎で取材したものの放送だった。
www.tbsradio.jp
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主たるテーマは、長崎や広島で原爆によって被ばくした人たちが高齢化し、お亡くなりになることで被ばく体験を語れる人が少なくなっている。そこで、それを「継承」する取り組みを紹介している。

で、違和感を覚えているのは、ある人の体験を別の人が「語り継ぐ」という点。「貴重な語りが語り手が亡くなることで世の中から失われてしまうのを防ぐ」という点には賛同するのだけど、その手法として「別の人が語り継ぐ」ということが目的化してしまうのは変じゃないかと思っている。

8月8日に登場する森口貢さんが被ばく体験を語り継ぐ意味について説明されていたので、それをもう一度聞きなおしてみたい。8月9日の交流証言者というのはどうも「別の人が語り継ぐ」ということが目的化してしまっているような気がして変な気持ちになる。あと100年たったときに「長崎で被ばくした***さんの語りを語り継ぐ 3代目 ***です」みたいなことになるのだろうか。実際の体験者と直接触れ合った人がいるという過渡期だからこその戦争体験・被ばく体験の次世代への引継ぎ方なのだと思うのだけど。

ヨーロッパとかでは第一次大戦の戦争体験を語り継ぐということを今でもしているのだろうか。戊辰戦争や西南戦争での戦争体験を語り継ぐという活動はどうなっているのだろうか。

一方で、こういう事実がわからなくなってしまうのもいけないということは頭ではわかっている。数年前に旧街道を散歩する趣味をしていたとき、ある宿場町とその隣の宿場町で古い町並みの残り具合が全然違っていることがあった。最初は自治体が街並み保全にお金を投じているかどうかの違いかと思ったが、教育委員会などが設置している史跡の説明を読むと、その違いは太平洋戦争で空襲を受けたかどうかの違いだった。現在がどうしてこうなっているのかの背景に戦争の影響とかがきっちりとある。記録に残し、興味に応じて参照できるようにしておく必要がある。