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何の役に立つのかわからないことを学ぶのは誰でも嫌であること

研究

数学の大統一に挑むも数式が増えてきたあたりで積読になっている私だけど、こういう話は大変面白く興味深い。
wired.jp

で、上記のエントリーのはてなブックマークコメントで紹介されている件のワークショップの参加者の方の感想&その翻訳が面白かった。
mathbabe.org

上のエントリーを日本語訳してくれたのが以下のエントリー。
github.com


日本語訳の方から勇気づけられるなぁと思った部分を抜粋。ここの用語が何を示すのかは別(私もわかっていない)として、以下の述べられていることは自分が時間を費やして学ぼうとすることに意味がなさそうなのであれば、学びに時間を費やすのは嫌だと数学者でさえ思うという点。

時には IUT より以前に発表された望月の他の論文、一般の数学者にとっては不慣れな内容(Frobenioid や anabeliod)に関する論文への参照がなされ、数多くの新しい概念を理解する必要に迫られる。この結果として無限退行するかのような印象が生み出され、これもまた意欲を削ぐ効果をもたらした。しばしば望月の議論は一般論から具体論へ進むという形をとるからである(論理としてはよいだろうが、新しい概念を学ぶ際には必ずしもよい順序とは言えない)。例えば、もし望月の理論における Frobenioid(この単語は「Frobenius」と「monoid」の合成語である)という重要な概念を理解しようとしたとき、この概念を構築しようとするモチベーションが、彼の楕円曲線に関する Hodge-Arakelov 理論の研究から来ていることがわかる。しかし、この結果として 2 つの(数学的なというよりは)心理的な障害にぶつかる:

  1. Hodge-Arakelov 理論は最終的には使われない(数論的な 小平-Spencer 理論を構築することが、関数体の場合に触発された望月の当初の狙いであったが、このアプローチは失敗した)。最終的には使われないとしたら、ただモチベーションを理解するためだけに、どれだけの時間を非自明な理論の学習に費すべきなのだろうか?(もし費すとしたら、だが)
  2. Frobenioid の理論に関するほとんどの部分(望月の、IUT より以前に発表された 2 つの論文の内容)も、最終的には使われない(特殊例のみで十分である)。しかし、初めて学ぼうとした読者は気付かないかもしれず、全ての理論を理解しなければならないと(誤って)思い込むかもしれない。望月の Web ページに、究極的にはこの理論のほとんどが使われないことを述べている短い注釈があるが、独学中の数学者は気付かないかもしれない。たとえこの注釈を発見し、これらの論文のうち最終的に使われる重要な特殊例を取り扱った部分のみを読もうとしても、膨大な記号・用語や、前の方で述べられている結果が使用されているのを目のあたりにすることになる。こうして、「特殊例を理解するためだけでも、結局のところ最も一般的な議論を理解するために最初から読まなければならないのではないか」という恐怖を(間違ってはいるものの)感じ、結局は意欲を失ってしまうかもしれない。

これは Grothendieck のエタール・コホモロジーを学ぶときのことを思い起こさせる。近年では、この理論を一から直接的かつ(多かれ少なかれ)効率的なやりかたで構築し、重要な定理を証明していくようなよい本がいくつかある。数分冊に渡る SGA4 における Grothendieck の定式化では、非常に抽象的なトポスの一般理論を構築するために最初の何百ページもが割かれている。これは後の様々な一般化のための基礎となることを目指して書かれていた(そして後に実際に一般化された)。このような非常な一般性はしかし、エタール・コホモロジーのみを理解しようとするためには(任意の圏を理解するためにさえも)完全に不必要である。

ちなみに上記の感想に関係しそうなことが望月さんの進捗報告では書いてある。

話戻って、「5. 聴衆のフラストレーション」の部分は、自分が授業するときや発表するときは気を付けたいポイント。何かの定義を覚えておくということも認知的コストの1つなので、意味なくコストを強いられると聴衆の意欲がそがれてしまう。何のために、その定義を覚えておかなければならないのかを適宜示しながら説明していかないといけない。