中田 考:イスラーム生と死と聖戦を読んだ、解説がイスラーム国の衝撃の池内 恵さんで驚いた。
感想を箇条書き
- 1章〜3章は勉強になった。神の説明については創造神という大前提のもとで考えるならばそうなるだろうなということで納得。
- クルーアン(コーラン)以外にハーディスという経典(というか聞き書き集)があるというのは知らなかった
- シャーリア(クルーアン&ハーディス)の解釈というのをどうやっているのかというのは知らなかったので勉強になった
- イスラームは他宗教にも寛容の意味が理解できてよかった。プライベートな場での話にイスラームは立ち入らない。でも、公の場でイスラームの法に反してはいけない(たとえばイスラーム世界で教会の鐘を鳴らすのはイスラームの法に反している)。この説明だと私の認識する寛容ではない。
- 4章以降は、中田さんの理想的な世界のあり方についての議論。本のスペースと位置づけの関係かもしれなけど強引な展開があるように感じた
- 預言者の後には法は新たに作られず、カリフは法を守るのみというならば、カリフの正当性はいったいどういう理路で定められているのかがわからなかった。後半のカリフ制の主張の根幹がここのなので、前半と同じようにカリフの正当性(誰かカリフかでなく、カリフというポジションの正当性)の説明が欲しかった
- 預言者ムハンマドが統治した領域をイスラム世界とするならば、ともかく、その後の正統カリフが征服した領域をイスラム世界(さらにはその後のイスラム国が征服した領域)とするならば、結局、武力で勝ったことが正当性を保持する根拠なので賛同できない
- 終章のカリフの正統性についても「イスラム世界全体から信任されたという事実」が正当性の根拠と主張されているので、上のイスラム世界の範囲の考え方と合わせて、理屈上は大戦争を促しているように見える(中田さんは戦争無しでイスラム世界全体から信任されるプロセスを構築することを含めてカリフ制の復活を夢見ている)
- (神の定めた)自然法の体現としてのカリフを受け入れるとして、それが成り立つためには武力が必要で、かつ、領域国家を否定するというとき、どういう政体がそれを実現できるのかが分からない
この本読んで思ったのは「預言者の言動が記録に残るほど現代に近いと、それはそれで不都合があるのだな」ということ。浅い世界史知識で恐縮だけど、キリスト教のプロテスタント運動の一部(?)「聖書に書いてあることだけを正しいものとしよう」が、初期からスタートしている感じ。