平井和正

センター試験の試験監督の朝、平井和正さんがお亡くなりになったのを知った。私にとっては歴史上の人物と同じように「平井和正」と呼ぶのがしっくりくる。

私が平井作品に出合ったのは中学生のころ。90年代半ば。そのころは、物語が終わるのが悲しすぎて、図書館にあった長編シリーズを手当たり次第読んでいたころ。幻魔大戦を読み始めた。まさに、終わらない物語だった(もう一つはグインサーガ。そのころであった創竜伝アルスラーン戦記も終わっていない)。中学生のころに出会ってから博士課程ぐらいまで1年〜2年に1度くらいの頻度で読み返していた。

幻魔大戦、真幻魔大戦、新幻魔大戦、ハルマゲドン、ハルマゲドンの少女、地球樹の女神、アダルトウルフガイシリーズ、ヤングウルフガイシリーズと呼んでいるうちに、黄金の少女、犬神明、月光魔術団、ボヘミアンガラスストリート、ウルフガイDNAと新作が刊行されるタイミングで大学生になっていた。月光魔術団以降、電子出版へ移行していた平井和正ウルフガイ・ドットコムを起点として、作品発表するために久方ぶりに読者と交流を図る企画をやっていて、そのイベントに参加したこともある(生、平井和正を見たのは最初で最後)。平井和正に感化されてニセ科学を信じていた過去語り大会:メガビタミン健康法もたしなんでいたこともある。

私が平井作品を知ったのが90年代なので、既に平井和正は変な人だった。オカルトばりばり、陰謀論ばりばりの人。でも、幻魔大戦シリーズ、アダルトウルフガイシリーズ、地球樹の女神は本当に面白く、何度も何度も繰り返し読んだ。地球樹の女神の章題「ストローハットとデッキチェアー」「本に挟んだ古い手紙」、ボヘミアンガラスストリートの「やさしいうそつき」「さよならがいえない」は本当にキラキラした言葉として今も私の中にある。ボヘミアンガラスストリートも透明感が好きで何度も読み返している。ヤングウルフガイシリーズは、読み始めたのが中学生ということもあり「うざいやつだ」という印象があって、大学生ぐらいまで再読する気にならなかった。

月光魔術団、ウルフガイDNA、気まぐれバスシリーズは、ストーリーとしてはちゃんとしていないけど、魅力的なキャラクターとうまいストーリーテーリングでとても楽しんだ。ここいらへんの作品は「sex」が重要な役割を果たしていたので、読みながら「ああ、ハインラインの晩年作と同じだな。平井和正もそういう年代なんだな」と感じながら読んでいた。

晩年の方の幻魔大戦DNA、幻魔大戦deep、幻魔大戦deep トルテックは、文章力とストーリーテーリングだけの作品だったと思う。ここに登場する東丈は、真幻魔大戦で目覚めて飛び立っていった東丈じゃない。違う東丈でも、やっぱり、魅力的だった(たぶん、東丈でなく平井和正だった)。

中学生のころに平井作品を読んで、それに親しんだので、良い意味で「終わらない作品」というものに耐性がついたのだと思う。一方で、幻魔大戦シリーズは真幻魔大戦で東丈が目覚めた時点で物語は終わっていて、後の話はサイドストーリーであるので、名残惜しいものの、終わっていないのはそれはそれでよいと思っている(でも、新幻魔大戦での正雪 vs お時は読みたかった。未来において救世主たるものが一度魔に堕ちているというのは今でも非常に魅力的な展開だと思う)。

たぶん、私は平井和正晩年のファンで、最後まで彼の作品を楽しんでいたので「宗教に狂ったのでファンに見放された」みたいな平井和正紹介を見ると頭にくる。「オカルト&陰謀論狂いだけど、面白かったよ!」と言いたい。平井和正作品と平井和正の言動の両方を知って「作品は作品。作者は作者」というのを実感したのだと思う。

平井和正が逝き、紙媒体としての平井作品は徐々に姿を消していく中で、kindle平井和正作品がでてくる。Kindleウルフガイ・ドットコムが始まる2000年代に主流になっていたら、もっと多くの平井作品もでたかもなと思うとちょっと残念だけど、ファンとしては、まだ平井作品を読めるのがうれしいところ。早く、真幻魔大戦と新幻魔大戦の合本でてほしい。

今年の夏あたり、出張した夜に平井作品を通して平井和正にまた会おうと思う。