自殺するくらいならアカハラ相談室へ

以下は、卒業研究・修士研究時の悪循環を防ごうのコメントへの返事です。

まず、あなたがまだ学内カウンセリングサービスを利用したことがないならば、いますぐに予約をとってカウンセリングを受けるべきだと思います。以下のように自殺という言葉がよぎること自体すでに健康的な状態ではありません。そして、もし本当に寝れなくなっているようでしたらカウンセラーの方に病院を紹介してもらってください。止まらなくて辛い咳に対して、咳止めを服用するのが逃げではないように、心身の調子がわるいときに薬や施療を使用するのは逃げでも、汚点でもありません。

自殺でもして問題を公にしてやりたいという気持ちがかなり強いです。今のところは教授のために死ぬなんて人生無駄にしすぎだろ、と抑止されていますが。
先生の「一生に一度しか経験しない、卒業研究で何か学べたら良いな。」にかなり救われましたし、社会人となった先輩方も口ぐちにされていたことなので当面はこの言葉を言い聞かせて頑張りたいと思っています。しかし私の気持ちがそうであっても、それが実行できない状況は一体どうやって乗り切ったらいいのでしょうか?
卒業研究・修士研究時の悪循環を防ごうのコメントより)

以下は、あなたが学内カウンセリングサービスを利用して(場合によっては病院で診察を受けて)いるとした上での話とします。

私は理工学系M2の女子で、恐らくアカハラであろう事態がきっかけで悪循環に陥ってしまい精神的にかなりまいっています。
うまく説明ができなので箇条書きにして悪循環の流れを説明しますと

  1. 学会発表のプレゼン作製で1対1の個人指導が行われる。その際に、「あなたはこういう性格だから、こんなこともできない」「賢くない証拠」といった罵りや嫌味を浴びせられ続ける。(あまりの威圧感に過呼吸になってしまうことがしばしばあった)
  2. 上記出来事に対していくらなんでもこれはアカハラではないか?と思い、学科長にハラスメント相談していいか意見を聞きに行く。しかしその際は卒業に影響を与えるかもしれない。学会発表準備という普段よりも指導が厳しくなる状況下だから、少し様子を見てみようと言われる。
  3. 学会発表が無事に終わるも、学会期間中教授と会うこと話すことは全くなかった。その後数日間、就職先の研修会など私用のため研究室を欠席。
  4. びくびくしながら研究室に出席する日々が続く。
  5. 1週間ほど前、ごみ分別をきっかけに教授ともめてしまい「あなたはいなくていい」とあしらわれる。同日の午後、教授から別件の指示を貰うも、指示とは異なる行動をとってしまい「私(=教授)の指示に逆らうなら宣言しろ!」と叱責を受ける。指示と異なる行動をとってしまったのは、私が勘違いしたことが原因であり、逆らっているつもりはこれっぽっちもないと伝えるが、聞き入れてもらえず。性格の否定や罵りを受け耐えきれず泣いてしまった。
  6. それ以来、研究室の諸活動(掃除とかごみ捨てとか)を行う時は、私を関わらせようとせず、手伝い等を申し出ようものなら酷く不機嫌そうな声で応対をされる上に、基本的に無視される。幸い研究に関しては話しを聞いてもらえてはいるが、いつか無視されだすのではないか気が気でない。

と、このような悪循環にはまっており、最近は睡眠に影響が出始めました。
卒業研究・修士研究時の悪循環を防ごうのコメントより)

大前提としてあなたの指導教員が「コト」に対する否定・批判でなく、「ヒト」に対する否定・批判をしてしまっているので良くないと思います。「ヒト」に対する否定・批判に対してショックを受けてしまうのは当然であり、あなたがアカデミック・ハラスメントであると認識するのも当然だと思います。

一方で、決定的に関係がこじれた経緯はタイミングが悪いとしか言いようがないものだと思います。どういう経緯かわかりませんが「あなたはいなくていい」と午前中に言うほどもめた相手に対して、午後には別件の指示を出しているというのは、ある意味でもめたことに対して汚名返上というか、名誉挽回というか、とにかく信頼関係回復の機会を設けたことになると思います。その信頼関係回復の機会を損ねられたら「私(=教授)の指示に逆らうなら宣言しろ!」と言ってしまうのも私は良くわかります。私も言い方は違いますがこういう主旨の説教を学生にしょっちゅうしています(以前は私もしょっちゅうされました)。

「私の指示に不満・疑問・批判があるならばちゃんと私に伝えてください。指示に従うと決めたならばちゃんと指示通りにやってください」という説教に対して「指示に逆らったわけではありません。単なる勘違い/ミス/能力不足です。」と答える学生は良くいます(私も学生時代に指導教員から説教されたときに同じように返事していました)。まず、このような返事はよくありません。というのは、「指示を受け入れたのに、指示に従っていなかった」という事実を自分が認めていること、そして、どういう理由であれ、指示を無視したことに対する謝罪をしていないからです。誰だって無視されるのは嫌です。無駄になることがわかっていることに労力使うのは嫌です。誰だって嫌に感じることをしたのに、それに対して何も言及がないのは「嫌な気分にさせられた」という事実を無視された気になるので傷つきます。少なくとも私はそうです。

そして、この指示を受け入れたのに、指示通りにしない/無視するというのが1度だけならば、「単なる勘違い/ミス/能力不足」だという謝罪の仕方(上記で書いたとおり、実際には謝罪ではなく言い訳ですが)も受け入れるのですが、何度も繰り返している場合は私はこのような発言を謝罪であるとはみなしません。そして、私は、その学生が理由はどうあれ「私に無駄な行為を繰り返させ、そのたびに私が傷ついているという」事実を認識していないと理解します。理由は、「単なる勘違い/ミス/能力不足」を防ぐ努力をしていないからです。

現在の私の指導技術からしますと、何度かは「私に無駄な行為を繰り返させ、そのたびに私が傷ついているという」事実が存在することを口頭で説明しますが、それでもだめなら体験してもらうことが多いです。つまり、教員としての公平性を損なわない範囲でその学生からの依頼をすべて無視します。また、私からの働きかけも止めます。その学生が口先ではなく、行動で反省していると私が認識するまで続けます(たとえば、私が指導や指示をするに値するアウトプットをその学生が自分から出してきたとき。あとは研究室に対して自分から貢献したとき:掃除や担当が決まっていない「誰かがやる仕事」を自分からおこない続けたときなど)。

指導教員の指示・指導が常に正しいわけでもなく、常に一貫性がとれているわけでもありませんが、指導教員との今までのやりとりを振り返ってみて何度も「指示を受け入れたのに指示にどおりにしていない」という批判がされているならば、上で書いたような認識をあなたの指導教員も持っているかもしれません。とりあえず、1週間前の出来事に関しては、あなたにもうまくないところがあったのですから

それ以来、研究室の諸活動(掃除とかごみ捨てとか)を行う時は、私を関わらせようとせず、手伝い等を申し出ようものなら酷く不機嫌そうな声で応対をされる上に、基本的に無視される。幸い研究に関しては話しを聞いてもらえてはいるが、いつか無視されだすのではないか気が気でない。

に書いてある通り、手伝いなどを申し出るのはやめて、そもそも、指導教員が掃除やごみ捨ての話を言い出す前に自分から掃除やごみ捨てをすることをお勧めします。そのようにふるまって「掃除やごみ捨てを勝手にするのをやめてくれ」と言われたら、やるのを止めたらよいと思います。

また、研究に関して話を聞いてもらっている現状をキープするために、単なる勘違い・ミス・能力不足による指示の無視が発生しないような工夫をしたら良いと思います。

全般的にあなたに非があるという書き方になってしまいましたが、教員側の見方もあった方が今後の対策の参考になるかと思い書いてみました。ですが、基本的にはタイトルのとおり、自殺を考えるほど辛いと感じているならば、躊躇なくアカハラ相談室に相談した方が良いと思います。