私が「何がいいたいのかわからない」と言う場合

以下の相談をいただいた。

こんにちは。突然メールする失礼をお許しください。
文系修士2回生です。
修論指導を受ける学年なので、ゼミに加えて4月から月1くらいのペースで
教官に相談に行っています。
資料などを作っていくのですが、大体「何がいいたいのかわからない」といわれることが
多いです。作っていった資料も、あまり読んでもらえず、
話終わりに「あ、これ」という感じで返されることが多いです。
データ(研究材料)も、なかなか理解してもらえないです。
たとえば、私が「このデータ使いたいです」といったときは「使えない」といわれたのに、
後になって(その話を忘れたのか)「このデータを使えない?」と聞かれました。
そこで、そのデータを使って分析していったら、「使えないかもしれないなー」と
いわれ、また分析を修論の中に位置づけたものをもってきてといわれています。
ただ、これが続くと「ひっくり返されて書けなくなる」恐怖心が募り、行けなくなってしまいそうで怖いです。
こういう教官にはどう接するべきでしょうか?
授業やTAは2年間真面目に参加していましたが、この先生とかかわることに心底疲れてしまい、今とても感情的になっています。
ちょっとした工夫でモテカワ卒論生を演出!!のコメントより

まずは、教員がよろしくないという前提の下で、きっちり証拠をとりつつ教員とコミュニケーションを続けたらよいと思う。

その上で、ちょっと気になった「何がいいたいのかわからない」と言われるという件について、分野が違うので参考になるかわからないけれども、私が学生と研究の相談をしているときに「何がいいたいのかわからない」と言う場合を書いてみようと思う。

問題や目的を提示してくれていない場合

工学系の論文では多くの場合に以下の問いについての答えを論文中に書くことになる。

  1. 問題:この論文で取り組む問題は何か?
  2. 背景:なぜ、その問題を解決する必要があるのか?
  3. 先行研究:その問題について、これまで何がどこまで行われてきたのか?
  4. 目的:その問題について、この論文では何をどこまで行うのか(解決法・緩和法は何か?)
  5. 方法・実験:実際に何を行ったのか?
  6. 結果・評価:行った結果、問題に対してどういう結果が得られたのか?

先に列挙したものが明確でなければ、後に列挙したものをいくら一生懸命説明しても、それが妥当なのかどうかの判断がつかない。「問題」が提示されていなければ、「目的」が適切なのかどうかがわからない。「目的」が提示されていなければ、「方法・実験」が意味あるものかわからないし、「結果・評価」がどういう価値を持つのかもわからない。

私が学生だったころも、あるいは今でも、一番時間かけてがんばり、一番自信もって説明できるのは「方法・実験」と「結果」の部分(「評価」は「結果」を解釈して、目的に対してどういう意味を持つのか説明することなので難しい)。なので、「方法・実験」と「結果」を一生懸命に詳細に説明してしまうことが多い。多くの学生も一緒。

でも、「方法・実験」と「結果」のみが説明され、「問題」や「目的」が説明されていないと、「方法・実験」と「結果」を評価できない。判断基準がない。なので、そういうときに私は「がんばった&がんばっているのはわかるけど、何がいいたいのかわからない」というコメントをすることになってしまう。

情報の時系列・空間配列での提示ができていない=理解しづらいので資料に目を通すのがしんどいとき

持ってきた資料や、してくれている説明が整理されていないとき「何がいいたいのかわからない」というコメントを良くする。たぶん、時間かけて、こちらががんばって情報を時系列・空間配列で再配置しなおせば言いたいことを推測し、まとめることができるのだけど、親じゃないのでそこまでやってあげる気力がわかない(自分の力で情報を時系列および空間配列で提示できるようになるのが卒論・修論で身に着けるべき技術でもある)。

  • 時系列:時間の順序に従い、一般的には古いものから順に情報を並べる方法
  • 空間配列:情報を、大きい情報から小さい情報(全体から部分)に向かって並べる方法

大学生・社会人のための言語技術トレーニングで引用したものを再引用

もう一つ重要なのが、空間配列の考え方が、その後の物事の捉え方や考え方に大きな影響力を与える点です。一度空間配列のスキルが身につくと、ある対象を見たとき、無意識に大きなものから小さなものへと視線を動かしたり、頭の中で空間配列のルールに従って情報を整理したりするようになります。そのため、空間配列が身につくと、情報提示の仕方に変化が現れるだけでなく、情報の取り入れの過程での頭の働き方まで変わってきます。

日本では残念ながらこの空間配列を教育現場で学習する機会はほとんどありません。それどころか、日本語訳も確定していません(本書では便宜的に、spatial order を空間配列と呼びます)。一方、言語技術を実施する国ではこの空間配列を、小学校4〜6年生のころに学習し、スキルがに身につくまでトレーニングが繰り返されます。

(三森ゆりか著:大学生・社会人のための言語技術トレーニング, p. 73 より)

用語や書式がでたらめなとき = 読みづらいので資料に目を通すのがしんどいとき

上と同様。自分しか理解できない用語や記法・図法を用いていたりすると、読む気力が湧いてこないので「何がいいたいのかわからない」というコメントをたまにする。多くの場合は「でたらめに作ったならば読むのは時間の無駄だから読まない」というけど。

PowerPointなどのスライド作成ソフトウェアで資料をつくるならば以下の本が良いかも。

時間&気力がないとき

上述の情報の効果的な提示ができていない、および、用語や書式がでたらめという状況があり、その上で、時間や気力がないときには、資料や説明を聞く気力がなくて「何がいいたいのかわからない」と言ってしまう場合がある。これは4割ぐらいは私も悪い。

まとめ

読む人の立場にたって、読み手が知るべき情報を適切に、かつ、読みやすく配置すれば「何がいいたいのかわからない」と言われ辛くなると思う。よくがんばった(他の学生や先輩からも「わかりやすい」と言ってもらえる)のに「何がいいたいのかわからない」と言われるならば、それは教員が悪いのだと思う。

教員のいうことがコロコロ変わる件

私も良くやる。前提が変われば結論が変わるので、変わった結論だけに注目するのではなく、どういう経緯で「ダメなのか」をぜひ記録して、検討してほしいところ。理由なしで「ダメ」というならば教員が悪い。